コラム「春秋一話」

 年/月

2020年8月10日 第7052・7053合併号

プラスチックによる海洋汚染

 海底のサメからマイクロプラスチックが検出されたという。網にかかった4種類・46匹のサメを調べた結果、3分の2の消化管に合計379個のマイクロプラスチックがあったと英国エクセター大学などの研究グループが7月22日に発表した。
 3月18日には米国太平洋岸の都市を流れる川で捕獲した魚の約4分の1から、マイクロプラスチックが検出されたとカルフォルニア大学の研究チームが明らかにしている。
 また、生まれて間もないウミガメが餌と間違えて食べ、大きな影響を与えていることが分かった。 ウミガメの産卵地として知られる米国のフロリダの海岸で採集した後に死んだ個体の93%が摂取していたという。
 マイクロプラスチックは5ミリ以下のプラごみ。小さいものはナノサイズにもなり、環境中へ拡散し、水道水にも混入していることが分かっている。発がん性のあるPCB(ポリ塩化ビフェニール)などの有害物質が付着し、食物連鎖で人間にも悪影響を及ぼすと指摘される。
 このマイクロプラスチックによる海洋汚染が、世界的な問題となっている。世界の海のいたるところで見つかり、魚や貝など様々な生物が摂取していることが報告されている。プランクトンやサンゴも食べることが知られており、生体系に影響することが危惧される。
 海岸にペットボトルやレジ袋、食品容器など様々なプラスチック製品が打ち上げられている光景も目にするが、プラスチックに依存した社会の歪みでもある。汚染は深海にも及び、海洋研究開発機構(JAMSTEC)の有人潜水調査船「しんかい6500」を使っての調査では、房総半島東沖の水深5700メートルでハンバーグのプラスチック袋を見つけたとのニュースがあった。昭和59年の製造とあり、何十年も海底にあったことになる。
 これに止まらず、日本周辺の深海底からは多くのプラごみが見つかっているという。潜水艇を使った水深1万972メートルのマリアナ海溝の調査でも、プラスチック袋や菓子の包みが発見された。北極海と大西洋をつなぐフラム海峡でも、堆積物に大量のマイクロプラスチックの蓄積があったとドイツの研究所が発表している。
 海洋汚染は深刻な状況だ。海で見つかるごみの8割は陸上由来とされる。2割は漁業ごみなど海由来。ほとんどが陸で捨てられたプラスチックで、川などを通じて海に流れ込む。
 昨年6月に大阪市で開かれた主要20か国・地域首脳会議(G20)では、2050年までに新たな海洋汚染をゼロにすることを目指す「大阪ブルー・オーシャン・ビジョン」が採択された。
 世界の海には1億5000万トンのプラごみが蓄積しているとの試算があり、このままプラスチックが海に流れ続けると2050年には10億トンに達し、8億トンとされる魚の量を上回るとの危機感がある。
 国連環境計画(UNEP)によると、国民1人当たりの年間のプラスチック排出量は、ワースト1の米国(45キロ)に続き日本は2位(32キロ)。環境省の調査では日本周辺の海域は他に比べて27倍ものマイクロプラスチックが存在するとされている。いわばマイクロプラスチックの“ホットスポット”だ。
 日本で出る廃プラスチックは年間900万トンとされるが、再利用は23%に過ぎない。燃やされるものも多いが地球温暖化の原因となる二酸化炭素排出につながる。マイクロプラスチックの汚染は「使用量そのものを減らす以外にない」と専門家は指摘する。
 プラスチックの“使い捨て”文化の見直しが求められる。脱プラを目指し、産業界のみならず消費者ができるだけプラスチックを使わず、廃棄物の発生を最小化する循環型社会への転換が求められる。
 消費者のライフスタイルの見直しを促すため、7月1日からコンビニやスーパーなどで使われるレジ袋の有料化が義務づけられた。郵便局でも原則有料化だ。廃プラスチックのうちレジ袋の占める割合は約2%とされるが、生活や社会の仕組みを変えていく第一歩としての意義が大きい。
 有料化から1か月を経て、コンビニではレジ袋を辞退する人の割合が増加したという。有料化される前の3割から7割超に大きく跳ね上がった。できることから意識改革を進め日常の生活を見直したいものだ。
(和光同塵)

2020年8月3日 第7051号

マイナンバーカードの活用

 このところマイナンバーカードの話題が多い。政府による特別定額給付金支給にあたり、郵送による手続き以外に、オンライン申請でも申し込むことができると周知され話題が多くなってきた。
 かくいう私も郵送が待ちきれず5月上旬にオンライン申請をした一人である。スマホのアプリを使い簡単に申請をすることができたが、なかなか通知がないと思っていたところ、5月下旬に申請に不備があったので郵送申請をするようにという通知が届いた。
 不備の内容は住民票に記載されている家族全員の氏名が記載されていないということだった。その後、2週間ほどして郵送された書類には家族全員の氏名が既に印刷されていたが、このように記載できるのなら、なぜオンライン申請ではできなかったのだろうと訝しんでしまった。
 マイナンバーカードは、2009年12月、民主党政権下の鳩山内閣時の「社会保障・税に関わる番号制度に関する検討会」設置に端を発し、2012年2月、野田内閣時に「マイナンバー関連3法」が国会に提出されたものの、11月に衆議院が解散したことにより廃案となっている。
 その後、政権が変わり、第2次安倍内閣が2013年3月に「マイナンバー関連4法」として再提出、5月に可決、成立し、5月31日に公布された。続いて、実施に向けた政省令等の整備が行われ、2016年1月から現在のカードの交付が開始され、合わせて個人番号の利用も開始された。
 このように審議を重ねて始まったマイナンバーカードであるが、その普及率は昨年3月時点で約13%だった。国民の6人に1人が発行したことになるが、実際にマイナンバーカードを何かに利用した人は少ない。ところが今回の給付金の支給にあたり、カード利用がにわかに注目を浴びることになったわけである。
 しかし、自治体側は給付金の決定からオンライン申請開始までの期間が短かったことで、準備が間に合わず対応がまちまちになった。また、カードに登録されている個人番号もシステム上では個人を特定できる項目が少ないなどの問題もあり、日本における電子的な取り扱いが欧米に比較して遅れていることが明らかになった。
 そもそも個人番号を利用することになったきっかけは、行政事務の効率化であった。今回、国民1人に10万円を支給する事業費総額は約13兆円であるが、そのうち1500億円は事務費であり、支給されるまでの期間も決定から2か月以上かかっている。
 一方、欧米諸外国でも同様の給付金支給が行われているが、アメリカでは年収に制限はあるものの1人あたり約13万円、子供約5万4千円の給付金が、決定から半月後には支給されたという。アメリカのカードが国民に義務付けられていることと、銀行口座、運転免許証、アパートなどの賃貸契約、確定申告などに紐づいている結果であるという。
 日本でも健康保険証や自動車運転免許証などマイナンバーカードと紐付けることが検討されている。「給付金は早くほしい、でも銀行口座は登録したくない」と考える日本人が多いと聞くが、これからさらにデジタル化が進む中で、個人番号がどのような方向に進んでいくのか、日本の慣習や文化を変えることにもつながるかもしれない。
(多摩の翡翠)

2020年 7月20日 第7049・7050合併号

猛暑でも冷夏でも暑中見舞いを

 夏になるととかく猛暑、というキーワードが出てくる。近年、猛暑日となるところが増えるなど、明らかに夏場の気温は高くなっている。そうした中、あえて冷夏の歴史を振り返ってみたいと思う。
 冷夏といっても、その感じ方は地域によって大きく異なる。西日本方面で冷夏というと、気温がそれほどは上がらない、天候不順な日が続く、といった感じだろう。
 ところが、東日本・北日本、特に太平洋側では、やませと呼ばれる北東からの冷たい風が流れ込み、その名の通り気温の低い冷たい夏となる。
 平成で代表的だったのが平成5(1993)年。気象庁は一旦各地で梅雨明けを宣言するものの、後に修正。各地で梅雨明けが特定できないまま秋を迎えるほど、全国的に気温も低く天候不順な夏となった。農作物も甚大な被害を受けている。
 そして、昭和で代表的だったのが昭和55(1980)年。明治35(1902)年以来、78年ぶりの大冷夏と言われた(1900年代初頭はほぼ毎年のように冷夏となっていた)。
 この年、東京では6月に真夏日が4日、熱帯夜も1日を記録するなど、どちらかというと空梅雨で、夏は暑くなるかと思われていた。7月に入るとオホーツク海高気圧が出現し、梅雨らしい天気が続いたが、7月21日に気象庁は関東甲信地方の梅雨明けを発表。
 梅雨明けから4日ほどは夏らしい天気が続いたものの(東京では7月に真夏日7日、熱帯夜3日を記録)、そこから状況が一変し、オホーツク海高気圧の勢力が猛烈に強まっていく。その後、東京では曇りや雨の天気が続き、気温も下がっていく。
 8月に入ると最低気温が11日間連続で20℃にすら届かない。8月3日には最高気温が21℃までしか上がらなかった。8月9日からお盆にかけての一週間は好天に恵まれるものの、その間前半は最高気温・最低気温とも低く、ようやく後半の4日間に最高気温が30℃を超えた。
 しかし、その後、8月中に日差しが出たのは2日間だけで、再び曇りや雨の日が続き、気温も真夏日が1日あっただけ。最高気温・最低気温とも平年より低い状態が続き、8月の東京の真夏日の日数は5日だけで、熱帯夜はゼロだった。
 東北に目を向けると、仙台では梅雨明けした7月22日とその翌日に真夏日となったが、この年の真夏日はこの2日間だけ。東京と同様に、以降気温が下がって、8月に入ると熱帯夜もさることながら真夏日もゼロ。最低気温が20℃を超えた日数は7日、最高気温が25℃を超えた日数は4日だけ。最高気温が20℃に届かなかった日数も7日あった。
 では西日本はというと、これほどの低温ではないものの、この年の夏の気温は平年を大きく下回っている。夏の間、オホーツク海高気圧が強い勢力のまま居座り続け、夏の主役でもある太平洋高気圧は南に偏ったまま北に張り出せず、南西諸島だけがその圏内で猛暑となった。
 さて、夏といえば暑中見舞い。「暑中お見舞い申し上げます」の挨拶文の後、普通は例えば「暑い日が続きますが、くれぐれもご自愛ください」などの文面となるところだが、上述のような冷夏だと「夏らしくなく、肌寒い日が続きますが、くれぐれもご自愛ください」といった感じの文面になるのだろうか。
 その暑中見舞い、かもめ~るの販売は年々厳しいものとなっていて、近年では個人よりビジネスでの利用が主となっているようだ。
 年に一度、年賀状をやり取りするのもよいが、夏の時期に暑中見舞いや残暑見舞いで、ちょっとしたやり取りをする、時代は変わっても、そうした心のやすらぎがずっと続いていってほしいと思う。
(九夏三伏)

2020年 7月13日 第7048号

漂泊の俳人「山頭火」没後80年

 分け入っても分け入っても青い山
 漂泊の俳人と呼ばれる種田山頭火が没して、今年で80年となる。俗世に背を向けて流転の人生を送ったが、その日々を句に詠み込んだ。
 虚無感を漂わせ孤高を思わせながらも寂しさが漂う作品は、今日でも知る人ぞ知る魅力がある。
 うしろすがたのしぐれていくか
 山頭火の句は自由律俳句として知られる。自由律俳句は、五七五の定型に縛られず、季語にもとらわれない。感情の自由な律動を表現し、口語で作られることが多い。
 てふてふひらひらいらかをこえた
 明治15(1882)年12月3日、山口県佐波郡西佐波令村(現在の防府市)に生まれた。本名は種田正一。
 生家は代々続く大地主、屋敷の敷地は約800坪もあり、近所では「大種田」と呼んだという。長男として、何不自由ない少年時代だった。
 しかし、10歳のときに母が古井戸に身を投げる。夫の放蕩を苦にしての自殺だ。
 母の死は山頭火の心に深い傷をつけ、「一家の不幸は母の自殺から始まる」と日記に記している。
 この頃から大種田も家運が傾く。父は明治40年に代々の屋敷を売却、種田酒造場を開業した。
 42年に山頭火は結婚、翌年に長男が生まれるも、大正5年には酒造場が破産、一家離散となる。借金苦による弟の自殺もあり、孤独、絶望…、心の折れそうな苦難は、想像に難くない。
 雪ふる中をかへりきて妻へ手紙かく
 明治44年に記したエッセイの一節に「僕に一大野心あり、僕は世界を―少なくとも日本を飛び歩きたし、風の吹く如く、水の流るゝ如く、雲のゆく如く飛び歩きたし」とある。家庭を持っても漂白への憧れは、元々あったのだろう。
 労(つか)れて戻る夜の角のいつものポストよ
 一笠(いちりゅう)一鉢、墨染めの衣に袈裟の風姿。大正15(1926)年、全てを捨て去り“行乞”(ぎょうこつ)の旅に出る。托鉢と言えば聞こえもよいが、食べ物の施しを受けながらの放浪生活だ。その中で多くの句を残した。
 鉄鉢の中へも霰
 誰でも人生のしがらみを捨て、飄然と旅に出たくなる思いが、一度は胸をよぎることがあるだろう。先の見えない不透明な時代、そうであればなおさら思うことだろう。しかし、実際にそうできる人はほとんどいない。
 捨てきれない荷物のおもさ前うしろ
 山頭火は生涯の大半を放浪にあけくれた。自らを「歩く禅」と称して、禅語を誦(となえ)ながら、ひたすら歩き続けた。歩くことで禅の心を探求したという。
 どうしようもないわたしが歩いてゐる
 熊本から宮崎、大分、中国地方、四国八十八ヶ所、山口、信州、東北…、そして昭和15(1940)年10月11日、松山市にて没。享年58歳。今年で没後80年となる。
 まつすぐな道でさみしい
 破滅の俳人とも言え、評価は多岐多様だろうが、放浪への憧れを含めて、山頭火の句は今も多くの人々を魅了している。
 おちついて死ねそうな草萌ゆる
 墓は生まれ故郷の防府市・護国寺にある。生家から小学校まで通った路地裏の1キロ足らずの道が「山頭火の小径」と名付けられ、民家の塀や壁に山頭火の句が掛けられている。
 うれしいこともかなしいことも草しげる
 防府市には「山頭火ふるさと館」もあり、その生涯を紹介している。山口県の地酒として「山頭火」も有名。
 平成22(2010)年10月には「没後70年記念」のフレーム切手を中国支社が発行している。今年も発行が期待される。
(麦秀の嘆)

2020年 7月6日 第7047号

コロナ後の東京一極集中は

 5月25日の「緊急事態宣言」の解除から1か月が経った。発令中の通勤電車は、在宅勤務社員の増加や学校の休校による学生の乗客が減ったことにより、通勤時間帯でも空席が見られることもあったが、自粛解除により徐々に以前の混雑状態に戻り、6月後半はほぼ以前の状況となっている。ふと気がつく違いは、冷房している中でも電車の窓が常に開放されていることだろうか。
 だからと言って感染者が減り続けているわけではなく、毎日発表されている東京都の感染者数は群を抜いて突出している。これは東京都の人口にもよるのだろうが、特に繁華街などでの感染が増えているとの報道を聞くと、東京の特異性と結びつけずにはいられない。
 そのような中、東京都は6月11日に、5月1日時点で推計した都内人口が初めて1400万人の大台を超えたと発表した。東京都の人口増加は毎年4月、5月が顕著であり、若年層の就職・進学に伴う転入が主な要因と見られているが、新型コロナウイルス感染拡大が襲っていた中でも、今年3月1か月で前月から3万人、4月1か月で2万人増えていたという。
 東京都の人口は1964年の東京オリンピック開催前の62年に1000万人を超え、それ以降、97年に減少が見られた以外は増加し続けている。一方、日本の人口は2008年の1億2800万人をピークに、18年には1億2600万人と10年で約200万人減少している。
 日本全体が人口減少しているなか、東京都だけがいまだに人口増加が続いており、加えて東京の特徴として昼間の人口流入が多いことが挙げられ、東京の昼間人口は、約1600万人であるが、関東6県からの流入人口は約300万人である。いかに東京に一極集中しているか、人が密集しているかがよくわかる。
 東京への一極集中のメリットとはどのようなことだろう。様々な企業へのアンケートなどをまとめた資料から次の3点が挙げられていた。①集積が集積を呼ぶという経済の規模②都民だけで1000万人を超える大規模市場の存在③首都である東京というブランド力の高さ。これらが複合して東京の価値を上げ、結果として一極集中、密集につながっているのだろう。
 これらの人口密集に今回一石を投じたのが新型コロナウイルスである。感染拡大防止の「緊急事態宣言」発令により事業所にも出勤自粛の要請が出され、休業、生産停止や長期的なテレワークが行われた。今後、企業の経営スタイル、労務管理にも大きな変化がみられるはずだ。本社移転、機能分散、在宅勤務の日常化といった分散型経営の動きが出てきてもおかしくない。感染症だけではなく、首都直下地震などの大災害に備える必要も大きい。
 長期化するコロナ禍は人々の思考、ライフスタイル、企業のあり方から国のあり方までをも見つめ直す一大転機となる。感染拡大の収束に向けた動きが最優先されるのはもちろんだが、「ポスト・コロナ」時代を見据えたドラスチックな意識改革と行動変化が必要かもしれない。
 日本郵政グループでも全国24000局の郵便局などのリソースを活用した地方創生に積極的に取り組んでいる。地方が活性化し魅力的な地域を創造することが、テレワークなどの企業の働き方改革と繋がることが期待される。今後の東京への一極集中がどのように展開していくか注目していきたい。(多摩の翡翠)

2020年 6月29日 第7046号

新しい生活様式で夏を乗り切る

 5月10日に奄美地方が梅雨入りし、沖縄、九州南部、四国、中国、近畿、東海、九州北部、関東甲信、北陸、東北南部、東北北部と、全国的に梅雨の季節となった。四国が平年より5日早く、九州北部が平年より6日遅い以外は、大体1~3日平年より早い、もしくは遅い梅雨入りだ。
 ちなみに、北海道はよく梅雨が無いと言われる。これは、梅雨前線が梅雨末期に北上していくと活動が弱まっていくため、長い期間雨が続くことは無いことなどからだ。ただ、梅雨期間中に太平洋高気圧の勢力が強く、梅雨前線の活動が活発なまま北上した状態が長く続くと、北海道でも本州以南でいう梅雨のような曇りや雨の天気が続くことがある。
 もうすぐ7月を迎えるが、気になるのが梅雨明け。以前は普通に梅雨明け宣言の形で出されていたが、今は「梅雨明けしたとみられる」という表現に変わっている。
 平成5年夏、記録的な冷夏となったこの年、気象庁が一旦、梅雨明けを発表したものの、太平洋高気圧の勢力が弱く、8月に入っても曇りや雨の日が続いた。その後、沖縄・奄美を除いて「梅雨明けが特定できない」と修正した。
 平成7年から「7月下旬の前半に梅雨明けした」という形で発表する形になったが、分かりづらいという声が多く、平成9年から現在のような表現となっている。
 梅雨明けには大きく分けて2つのパターンがある。1つは、太平洋高気圧の勢力が強まり、梅雨前線が北上して梅雨明けとなるパターン。もう1つは、太平洋高気圧の勢力が弱く、オホーツク海高気圧の勢力の方が強く、梅雨前線が南下して日本の南海上で消滅して梅雨明けとなるパターンだ。
 前者の場合、「梅雨明け10日」と言われるように、安定した夏型の気圧配置が続くことが多い。後者の場合、そもそもオホーツク海高気圧は冷たい空気を持つので、徐々にそれが温められていく形となる。このパターンで梅雨明けした年の夏は、どちらかというと天候不順な夏になることがしばしばみられる。
 さて、6月25日時点で、すでに沖縄地方では梅雨明けしているが、まだ梅雨明けしていない地方では、今でさえ最高気温が30度を超える真夏日が観測される日もあるなど、蒸し暑い日が多い。
 梅雨が明けると本格的な暑さとなる。とりわけ、近年は最高気温が35度以上となる猛暑日も各地で頻出するようになった。そこで大切なのはやはり熱中症対策。毎年のように熱中症で亡くなる人、救急車で搬送される人が出ている。
 今年は新型コロナウイルス感染拡大の影響で、マスクの着用が余儀なくされている。真夏の暑い時にマスクを常時着用することは辛いものがあり、熱中症のリスクも高くなることが指摘されている。
 日本郵便は6月4日、「社員のマスク着用について」とのお知らせを発表した。新型コロナウイルス感染防止対策と同時に、熱中症予防の対策も必要となってくることから、休憩時に周囲の人との距離を十分あけたうえで適宜マスクを外すことや、喉の渇きを感じる前にこまめに水分補給をすること、郵便車や郵便バイクへの乗車中や屋外配達中等、熱中症のリスクを考慮して適宜マスクを外すこととし、お客さまへの理解を求めている。6月5日から10月31日までの期間実施し、今後の状況次第で見直すこともあるという。
 今年は例年以上に業務に困難を強いられている。これから迎える本格的な夏。集配業務に携わる人たちには、くれぐれもご自愛いただきたい。そして3密を避けることなど、新しい生活様式の下、元気に、健康に、暑い夏を乗り切ってほしい。
(九夏三伏)

2020年 6月22日 第7045号

郵便の配達に心から感謝

 新型コロナウイルス感染症は、まだ収束が見えてこない。第2波、第3波も懸念される。世界で最初に感染が広がった中国でも、北京での感染者が再び増加している。6月13、14日の休日には、無症状の患者も含めて79人が新たに確認された。学校の再開延期、飲食店での宴会、結婚式の取りやめなどの対策が打ち出され、第2波への警戒が続く。感染者は更に増える見込みと伝えられている。
 今から約100年前のインフルエンザの世界的な大流行、いわゆる「スペイン風邪」では、日本は1918年8月から19年7月にかけての第1波、19年9月~20年7月の第2波、20年8月~21年7月の第3波に襲われた。感染者と死者は、それぞれ第1波2116万8398人、25万7363人、第2波241万2097人、12万7666人、第3波が22万4178人、3698人の合計2380万4678人、38万8727人。
 注目されるのが死亡率。第1波は1.22%だが、第2波は5.29%に跳ね上がった。第3波は1.65%、合計でも1.63%。第2波が警戒される所以だ。新型コロナウイルスも第2波、第3波の対策が欠かせない。
 当時もマスク着用やうがい、手洗いが奨励された。今回の新型コロナウイルスでは、欧米に比べて日本の感染者や死者が少なかった。欧米よりも日本人が感染症になりにくいのは、生活文化が影響していると専門家は指摘する。
 「雨が多い日本では、泥だらけになった靴や草履でそのまま部屋に上がることはなく、玄関で靴を脱ぐ。また、雨が多いということは、水が豊かということ。神社などで手を水で清める風習があるように、手を洗うことが定着している」とされる。
 新型コロナウイルスでは、郵便局の社員も細心の注意を払い、苦労しながら業務に携わっているが、改めて郵政事業への信頼が深まっている。社会インフラの郵便・物流・金融を支えている郵便局の社員に、多くの感謝や激励のメッセージが寄せられている。
 「手紙を出すことも不要不急なのではと悩むこともありますが、このご時世だからこそ、遠くの友人や家族に届けたいと思います。新型コロナウイルスの脅威の中でも、社会のために働いていただいているお一人お一人に家庭があり、心配や不安が絶えないはずなのに、笑顔で対応していただき、とても温かい気持ちになりました」
 「日本郵便にお勤めの方々のおかげで私は今、大切な人たちに“想い”を届けることができているのだなと感じました。本当に感謝しています」
 「会えずとも心は通じる。心の距離を近づけるためのツールの一つが私にとっては手紙と郵便ポストです」
 「郵便配達していただき、心から感謝しております。コロナウイルスの危険と背中合わせの毎日、心から感謝しています。日常生活に大切な郵便。本当にありがとうございます」
 「私達の生活を支えてくださっている皆様へ。毎日のお仕事、お疲れ様です。不安で不便な毎日を過ごしていますが、いつもと変わらず皆様が仕事を続けてくださっている事で大変助かり、心より御礼申し上げます。どうぞお身体に気をつけて、安全を祈っております」
 テレワークなど新しい生活様式も議論されているが、人と人とのコミュニケーションの大切さは変わりない。手紙も大きな役割を果たしている。国民生活のインフラとして、ユニバーサルサービスを担い、地域を支えている郵便局ネットワークの意義を改めて認識させられる。
(和光同塵)

2020年 6月15日 第7044号

出生率1.36、進む少子化

 2019(令和元)年の日本人出生数は86万5234人、前年の91万8400人より5万3166人減少した。統計がある1899(明治32)年(138万6981人)以降で最少だ。一方で死亡数は、前年の136万2470人から1万8628人増加し、138万1098人で戦後最多となった。
 出生数から死亡数を引いた自然減は、前年の44万4070人に比べ7万1794人増え、51万5864人と過去最大の減少幅。初めて50万人を超えた。厚生労働省が6月5日、「令和元年(2019)人口動態統計」を公表した。
 自然減は2005(平成17)年に2万1266人と初めて発生し、翌06年には8223人の自然増となったものの、07年以降は再び自然減となった。それ以降、13年連続で自然減となっており、毎年のように拡大し続けている。
 1人の女性が生涯に産む子どもの推計人数を示す「合計特殊出生率」は1.36。前年の1.42より0.06ポイント低下した。4年連続の低下で、8年振りに1.4を割り込んだ。人口の維持に必要とされる2.07からさらに遠ざかった。
 都道県別では沖縄の1.82が最高で、宮崎1.73、島根1.68、長崎1.66、佐賀1.64と続く。最低は東京の1.15。宮城1.23、北海道1.24、京都1.25、埼玉1.27と低い。沖縄は唯一の自然増である(2393人)。
 出生率の低下は親になる世代の減少や晩婚化が指摘される。25~39歳の女性は1年で2・0%減った。今後も減少傾向が続くと予測される。平均初婚年齢は夫31・2歳、妻29・6歳と、いずれも6年振りに上昇した。第1子出生時の母の平均年齢は、2015(平成27)年以降、30.7歳で推移している。
 婚姻件数は1万2484組ほど増え、59万8965組となった。7年振りの増加だが、改元に合わせた“令和婚”をと、その前年に2万471組ほど減ったように、結婚を控えたことも影響したのではと厚生労働省は見ている。離婚件数は156組増加し、20万8489組。
 政府は少子化対策大綱で20年までの5年間を「集中取組期間」と位置づけていたが、出生数の減少に歯止めがかからない。5年振りに見直し、5月29日に閣議決定した「少子化対策大綱~新しい令和の時代にふさわしい少子化対策~」では、育児休業給付金や児童手当の拡充、不妊治療支援などの方向性を示している。
 「新型コロナウイルス感染症の流行は、安心して子どもを産み育てられる環境整備の重要性を改めて浮き彫りにした」と指摘、2025年までの目標として、子どもが欲しい人の希望がかなった場合に見込める出生率である「希望出生率1.8の実現」を目指し、若い人たちが将来展望を描ける環境整備を進めるとしているが厳しい状況だ。
 子育て世代への経済的支援は重要だが、非正規雇用の拡大などの格差是正、保育園の整備や保育士の処遇改善、待機児童の解消、働きやすい環境の整備、男女の固定的な役割の打破なども大切だ。男性の育休取得率2025年に30%にすると大綱は掲げる。
 女性も出産・育児と仕事が共にできるように、企業の理解、子育て支援サービスの充実などが求められる。郵便局ネットワークを活用した様々な社会的貢献も期待されよう。日本郵政グループは出産後も職場復帰ができるように、テレワークやサテライトオフィスなど多様な働き方を支援する環境整備にも取り組んでいる。一層の充実が期待される。
(和光同塵)

2020年 6月8日 第7043号

「社会がまさに存在する」

 新型コロナウイルス感染症は世界に広がり、日常生活や経済活動に大きな影響が出た。早期の終息が望まれるが、社会システムの転換期になるとの指摘も多い。感染した英国のボリス・ジョンソン首相の言葉が注目されている。「There really is such a thing as society(社会がまさに存在する)」。
 これは同じ保守党のマーガレット・サッチャー首相の「There is no such a thing as society(社会など存在しない)」に対比されるからだ。彼女は1987年、女性誌“Woman's Own” のインタビューに応えて「社会など存在しない。個人としての男、女がいて、家族がある。ただそれだけだ」と発言した。
 “鉄の女”との異名で呼ばれたサッチャー首相、規制緩和、金融システムの変更、多くの公営企業の民営化など政府の市場介入を抑制する政策を進めた。法人税の大幅な税率引下げの一方で、付加価値税(消費税)は引き上げた。いわゆる“サッチャリズム”とされる新自由主義、市場原理主義による政策だ。
 アメリカのロナルド・レーガン大統領も同様の“レーガノミクス”と呼ばれた新自由主義の政策を進める。日本でも新自由主義への批判が生じ、周回遅れと揶揄されながらも、小泉純一郎首相が「官から民へ」と規制緩和、民営化を軸とする“小泉構造改革”を推し進めた。社会保障費の抑制や郵政民営化などの新自由主義的政策だ。
 規制緩和などによって、大企業や資産家などが更に富裕化することを是認、それらによる投資や消費が中間層・貧困層の所得も引き上げ、富が再配分されるとする。「富める者が富めば、貧しい者にも、やがて富が滴り落ちる」という「トリクルダウン理論」だ。
 しかし、再配分よりも富の集中や蓄積、世襲化が進み、政府の役割よりも個人の「自己責任」だけが強調され、非正規雇用の増大、格差拡大の要因にもなったと指摘される。2019年時点で10億ドル(約1100億円)以上の資産を持つ富裕層2153人の富は、世界の総人口の6割にあたる約46億人分の資産の合計を上回っているとの報告がある(国際NGOオックスファム)。
 “サッチャリズム”の継承者と目されてきたジョンソン首相が、「社会がまさに存在する」と発言したことが、驚きを持って受け止められた。「この国の最大の国家資産である国民保健サービス(NHS)の周りに人間の盾が築かれてきた。我々のNHSを守れ」と強調した。一時は集中治療室(ICU)に入り、助からない可能性もあったとされる。
 かつて、日本では「一億総中流」と言われ、厚みのあった中間層は影が薄い。今回の新型コロナウイルス感染症は様々な社会の歪も浮かび上がらせた。医療や介護といた社会インフラの重要性、弱者にしわ寄せされる失業や倒産の危機、社会システムの在り方を考えさせられる。
 1989年に848あった保健所は、今や469に減少した(全国保健所長会の資料)。PCR検査が進まない原因の一つとされる。公立・公的病院の再編成や統合、病床の削減も進められている。ICUの人口10万人あたりのベッド数が、感染が猛威を振るったイタリアの約12床に対し日本は約5床と半分以下となっている。
 公的健康保険が貧弱なアメリカでは、よほどのことがないと病院に行けない。新型コロナウイルス感染症では、低所得層の死亡率が高いと指摘されている。貧富の差によって人の命が左右されるような社会であってはならない。
 柘植芳文参議院議員は「郵便局、郵政事業が国民にとって最も身近な存在であるという認識が改めて深まった。公的な使命を果たす郵便局の役割を、この際しっかりと検証して見直し、新たなビジネスモデル作りを行ってもらいたい」と強調する。
 また「様々な論評を聞いていると、日本はすべからく官から民への流れに乗って、多くの組織形態を簡略化、小さな制度を作ってしまった、これが今日の事態に対応しきれていないということが言われている。もう一度立ち止まって、郵政事業をどういう方向にすべきか基本的な事を考えるべきだ」と話す。
 日本郵政の増田寛也社長も「郵政グループが持っている郵便局や集配網というリアルなネットワークの価値というものが、非常に重要であると再認識させられたのではないか」と語っている。アフターコロナとして新しい生活様式も議論されているが、地方創生に大きな役割が望まれる郵便局の公的使命を改めて考え、地域コミュニティの核となることなどを期待したい。
(麦秀の嘆)

2020年 6月1日 第7042号

ベストセラー「ペスト」を読む

 新型コロナウイルス感染拡大と時期を同じくして突然売れ始め、ベストセラーになっている小説がある。フランスの作家アルベール・カミュの「ペスト」である。
 1940年代、戦後のフランス領アルジェリアのオランという街にペストが流行し死者が急増する長編小説であるが、感染が拡大し、外出自粛が要請された現在の日本と重ね合わせ、この小説に解を求めた人が多かったのかもしれない。数十年ぶりに改めて読み直してみた。
 この小説は第二次世界大戦後の1947年に発表されている。作者カミュにとっては「異邦人」に続く2作目の小説で、当時としては、戦争や疫病という不条理の世界を生きる人を描き、それらに直面した時にあぶりだされる人間性を訴求した小説と言われている。
 物語の主人公は医師のリウー。彼の住むアルジェリアのオランの街中で鼠の死骸が数多く発見されるところから物語は始まる。最初はオランの為政者も大事とせずに放置する。ところがその疫病が人々に感染し死者が増え、ペストだと判明し、町が封鎖される。そして封鎖された町で主人公リウーが医師として疫病と戦い、彼の緻密な記録を通して読者に物語を伝えている。
 この小説自体は架空の物語であるが、実際の世界においてペストの流行は史実として残されている大流行だけで3回あったと言われている。
 最大の流行は14世紀に発生したペストで、この時、イタリアのフィレンツェでは人口の5分の3、ヨーロッパ全体では実に3分の1が亡くなるという事態だった。
 しかし、このことは単に人口が減っただけでなく、ヨーロッパ中世の社会を根底からぐらつかせ、権力構造、封建社会が崩れていくきっかけとなり、ルネッサンス、宗教改革が起こったと言われている。
 一方、国内において4月7日に発出された「緊急事態宣言」以降、多くの企業では在宅勤務、学校は休校となっていた。テレワークやオンライン授業は日常風景になり、これまでになかった生活を少しずつ国民が受容していくことが報道されている。
 このような生活様式の変化は今後のコロナ終息後においても受け入れざるを得ないのだろうが、我々はこの変化をどのような気持ちで受け止めていけば良いのだろうか。
 先ほどの小説「ペスト」の中ほどに次のような場面が出てくる。主人公リウーが「ペストと戦う唯一の方法は、誠実さということです」と言ったことに対して、「誠実さとはどういうことか」と尋ねられ、リウーが「自分の職務を果たすことです」と答えている。
 まさにいま現実としてコロナウイルスと日々戦っている医療従事者、そして外出自粛の中でも切らすことのできないインフラを担う郵便局などのエッセンシャルワーカー、このような人々の誠実な職務遂行により我々の生活が保たれ、次世代に繋げることができる。小説の主人公の言う「誠実さ」が我々一人ひとりにも求められるのではないだろうか。
 「ペスト」の最後は主人公リウーの次のような感慨で終わっている。「おそらくはいつか、人間に不幸と教訓をもたらすために、ペストが再びその鼠どもを呼び覚まし、どこかの幸福な都市に彼らを死なせに差し向ける日が来るであろう」。
 今回のコロナ終息後、我々が心しておかなければならないことだろう。
(多摩の翡翠)

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