コラム「春秋一話」
2026年2月16日 第7340・7341合併号
郵便局と地域のかかわり
郵便局の歴史は古く、創業は1871(明治4)年までさかのぼる。読者の方々はすでにご存じだろうが、創業者は前島密、現在の新潟県上越市の出身で、農家の次男である。彼は元々医学の修行をしており、医者になることを目指していた。
それが1853年にペリーが浦賀に黒船で現れると、国防の重要性を実感し、志を医学から国防に転じた。その後、明治政府から翻訳筆記方への出仕要請があり、英語もできた前島は、明治政府に仕えることになった。
そして、長崎に赴任していた時に知り合ったイギリス人から郵便制度の話を聞き、ぜひ日本にも同じような制度を導入する必要性を実感したのが、郵便局構想の始まりである。
この時、前島に郵便の仕組みを教えたイギリス人は、「情報の伝達は人間でいうところの血液である。国も血液が流れなければ健康体ではいられない。そして、血管は駅逓(郵便局)である」と、概ねこのようなことを言ったらしく、前島の頭の中に一気に郵便局構想ができあがった。
情報の伝達や通信の重要性は、それまでにも明治政府は考えていたのだが、具体的な案が存在しない状態だった。そこに前島が具体的なアイデアを出したため、一気に郵便局網の整備が始まった。
情報伝達が重要なのは、現代の私たちでも実感するであろう。スマホやパソコンから一瞬で情報が伝達できることで、瞬時に世の中の動きが知れる。情報を得ることで人の思考が動き、具体的な行動が起きる。情報伝達の重要性は国防を一時期研究した前島ならではだったのかもしれない。
前島の発議で1871年、東京―大阪間で最初の郵便事業が官営として開始された。しかし、まだまだ郵便局の数も他地域での伝達網も不足し、通信網といっても限られた機能しかなかった。
そこで、政府は地元の名士(庄屋や名主など)から土地と建物を無償で提供してもらい、その代わり彼らを「郵便取扱役」に任命して、「公務」である郵便業務を請け負わせることにした。
土地や建物を貸す方も「準官吏」としての身分を得ることができ、国は多くの郵便局が設置できるという双方に利点があることで、この仕組みは一気に全国に広まり、日本の郵便制度は急速な発展を遂げた。こうして現代では約2万4000にもなる郵便局網ができあがった。
ところで、創業当時から現代まで変わらずに郵便局が取り組んできたことがある。それは「地域との結びつき」である。かつての名士(庄屋・名主)が、地元の信頼を得て強い結びつきがあったのと同様、現代の郵便局も多岐にわたる活動を通じて、地域と密接な関係を保っている。
地元のお祭りやイベントへの参加、小中学校での郵便教室や金融教室、自治体と連携してのフレーム切手の発行、こども郵便局やスポーツ大会の開催、観光スポットの清掃活動、特産品の掘り起こしなど、様々な住民へのサービス提供が頻繁に行われている。
これは郵便局が単に「郵便・貯金・保険」といった三事業を取り扱うだけではなく、地域とともに歩む存在としての必要な活動だろう。地域交流や地域貢献のための活動の推進は、何かあれば地域住民が頼りにして相談する郵便局として、将来的にも欠かせない存在だ。
最近ではマイナンバーカード関連事務の受託、オンライン診療の拠点などにもなっている。人口減少、高齢化社会では金融決済や自治体の行政事務の代行など郵便局ネットワークを活用し、地域住民の生活を支援していくことは時代の要請といえよう。
ただ、郵便局の現場では課題も多い。郵政事業は三事業一体であることが強みだったが、現行の郵政民営化法では、日本郵政の保有するゆうちょ銀行とかんぽ生命保険の株式を処分することが明記されている。また、ユニバーサルサービスの義務は、日本郵便にはあるもののゆうちょ銀行、かんぽ生命保険にはない。地域の住民生活を三事業一体で支援する郵便局の役割をより強固にするためにも、日本郵便と金融二社との関係を維持できることなどを内容とする郵政民営化法の早期の一定の見直しが求められる。
21世紀になって早くも四半世紀(25年)が過ぎた。かつて「郵便の父」前島密が医学から国防、国防から郵便、そして貯金や保険などまでに関し、日本の将来を見たように、郵便局も時代に合わせて適宜適切な役割を果たせるようにすることは重要だ。
地方では様々な機関が経済合理化によって縮小している中、公的機関だった郵便局を維持していくことは、これからの国の在り方にもつながる大きな課題の一つでもある。 (有希聡佳)
2026年2月9日 第7339号
谷口雄史氏を偲んで
鳥取県因幡地区郵便局長会会長・鳥取大正郵便局長を務めた谷口雄史氏が1月23日、逝去された。享年69歳。
谷口氏は2014年2月、勇退した黒田敏博会長の後を継ぎ、鳥取県因幡地区郵便局長会会長に就任。「黒田会長の熱のこもった指導があったからこそ今がある。黒田路線を継承し因幡地区会を引っ張っていきたい」と決意を語っている。谷口氏の会長・統括局長としての歩みを振り返ってみたい。
「過疎・高齢化が進む地域社会にあって郵便局ネットワークは〝最後の砦〟。今後なお一層、郵便局と簡易局の協力体制を築いていこう」(14年7月、郵便局長・簡易郵便局長合同研修会)。
「地域と連携を図り、活性化と郵政事業の発展を推進していくことが大事」(14年11月、智頭町と連携し「野菜市」を開催)。
「全特会歌は我々の基礎となる局長会の姿と魂を具現している。自らのものとして血肉化してほしい」(15年2月、地区通常総会)。
「郵便局にまた来たくなるようにするために、女性社員一人ひとりが自分たちで郵便局づくりを行い、お客さまに喜んでもらうことが大切」(16年6月、INABA女子力向上セミナー)。
15年度から、連絡会内全局で年2回、地域の人たちが作成した作品をロビーに展示。「全局が同時に開催することに意義がある。全局の展示内容を盛り込んだパンフレットを局に置き、他局の作品展も見学してもらえるようにした」。
16年7月には、鳥取市と56郵便局が地域の活性化を応援する「すごい!鳥取市応援プロジェクト協定」を締結。「すご!ウサギ」ラッピングポストを鳥取市役所本庁前、JR鳥取駅前、道の駅神話の里白うさぎの3か所に設置した。
18年2月に鳥取県と日本郵便が包括連携協定を締結。10月には鳥取県と公益社団法人鳥取県看護協会と中国支社で「地域住民の健康づくりの推進に向けた連携協定」を締結。具体的な連携施策の第一弾として鹿野郵便局で「まちの保健室」を実施。
18年度から「グリーフケア」に本格的に取り組む。「若年層の郵便局利用をいかに拡大していくかが課題。郵便局が常に安心を提供し、気軽に相談できる拠点であり続けることがポイント」。
19年2月に「鳥取市地域食堂ネットワークへの支援に関する覚書」に調印し、地域食堂(こども食堂)への支援活動を開始。行政と郵便局との連携による全国初の試みとして注目される。
9月には令和元年度鳥取県自主防災組織等知事表彰を受けた。「これからの時代、過去最高や想定外の災害が起こっても不思議ではない。だからこそ、最悪にならないために日常から防災意識を持ち、災害への備えや対策を怠ってはならない」。
20年7月、麒麟のまち圏域における観光振興に向けた包括連携協定を締結。21年3月、鳥取県東部地域における情報ネットワーク構築に関する協定を締結。地域コミュニティFMと日本郵便による全国初の協定。「郵便局は地域に根差し、情報発信の拠点ということを地域の方々に理解していただきたい」。
鳥取在住のイラストレーター・りりぽっちさんが手がけたマチオモイカレンダーを見た一般社団法人山陰三ツ星マーケットの渡世唱子代表が話を繋ぎ、谷口氏との縁でりりぽっちさんが鳥取版の寄付金付年賀はがきのデザインを担当するようになった。
このほかにも、その人柄とバイタリティで業務・地域活動に大いに尽力され、リーダーとしても大いに手腕を発揮された。
谷口雄史様のご冥福を心からお祈りいたしますとともに、通信文化新報は今後も、皆さまのお役に立てる紙面をお届けできるよう尽力してまいります。(九夏三伏)
2026年2月2日 第7338号
郵便局に期待される多文化共生での協力
政府は1月23日に外国人政策を検討する関係閣僚会議を開催し「外国人の受け入れ・秩序ある共生のための総合的対応策」を決めた。
一部の外国人による、我が国の法やルールを逸脱する行為・制度の不適正利用について、国民が感じている不安や不公平感に対処する必要があるとする一方、「我が国が目指すのは、国民・外国人の双方が安全・安心に生活し、共に繁栄する社会である」と明記した。
外国人受け入れ政策の見直しを主張する政党もあるが、人手不足が深刻化する中で、日本企業が外国人材に頼らざるを得ない状況は変わらない。今後とも多文化共生の推進が求められる。
総務省は2005年6月に「多文化共生の推進に関する研究会」を設置、2006年には「地域における多文化共生推進プラン」(推進プラン)を策定した。そこで掲げられたのが「コミュニケーション支援」「生活支援」「多文化共生の地域づくり」の3本柱だ。
2020年9月には、外国人住民の増加と多国籍化に対応して「推進プラン」を改訂し、新たな柱に「地域活性化の推進やグローバル化への対応」を加えた。多文化共生は地域活性化のために重要だとの認識が高まっているのである。総務省はまた、多文化共生を推進する自治体を支援するために、モデル事例を収集し、その共有化を進めたり、「多文化共生アドバイザー」を派遣したりしている。
一方、全国知事会が昨年11月に採択した「多文化共生の実現をめざす共同宣言」は、「事実やデータに基づかない情報による排他主義・排外主義を強く否定します」としたうえで、外国人の持つ文化的多様性を地域の活力や成長につなげることで、地域社会を共につくる一員として包摂し、日本人、外国人を問わず、すべての方が安心して暮らし、活躍することができる多文化共生社会をつくっていくと宣言した。
地方自治体は、郵便局に対して、地域活性化における役割だけではなく、多文化共生における役割も期待している。総務省が2023年に全市町村(1741)を対象に実施したアンケート(回収率:71.7%)でも、「郵便局と協力して地域課題の解決・改善、地域の活性化に取り組みたい分野」として「多文化共生に関する協力(外国人住民への情報提供など)」が挙げられた。
こうした中で、岐阜県美濃加茂市は、外国人が日本での生活をより円滑に送るために必要な情報を提供することを目的として「外国人のための合同説明会」を12月7日に開催した。この説明会には美濃加茂郵便局(辻剛志局長)が、公的機関とともに初めて参加している(詳細は1月26日号1面)。
辻局長は「美濃加茂市内の郵便局では、多くの外国人に郵便サービスを利用いただいており、説明や窓口対応において課題を感じる場面もある。このような取り組みを通じて、外国人へ郵便サービスについて適切に情報提供ができたことは非常に有意義だった。今後も行政と連携し、国籍や文化の違いを超えた共生社会づくりに貢献していく」と語っている。
美濃加茂市は地域活性化のために、外部の人材を積極的に受け入れている。同市は昨年3月に日本郵便東海支社と協定を結び、同支社経営管理本部経営管理部地方創生室の北沢太将さんを出向で受け入れた。北沢さんは、今回の取り組みについて「日本郵便が果たす役割は多文化社会でますます重要性を増している。地域と企業、そして外国人市民をつなぐ、新たな一歩となる意義深い取り組みと言えると思う」と話している。
一方、日本郵便は、社会課題の解決による地域社会の発展に向けて、2022年6月に慶應義塾大学SFC研究所と連携協定を結んだ。両者は2023年から北海道東川町、長崎県壱岐市との協働体制を構築し始めており、地域社会の課題の解決や魅力創造に向けた新機軸を提供するためのテーマとして「多文化共生社会を支援する郵便局」も想定されている。多文化共生における郵便局への期待が高まりつつあるようだ。(酒呑童子)
2026年1月26日 第7337号
年賀状文化を何とか守ろう
年賀状の減少傾向が続いている。日本郵便が元旦に発表した年賀郵便物元旦配達物数(速報値)を見ると、全国で対前年比74%、支社別では北海道が70%、東北73.7%、関東76.1%、東京80%、南関東79.2%、信越67.5%、北陸70.3%、東海72.5%、近畿72.4%、中国72.7%、四国72.6%、九州72.2%、沖縄75.3%となっている。
2004年は全国で23億5800万通だったが、それ以降減少し、2008~11年頃に少し回復するも、再び減少し続けている。
発行枚数を見ても、2003年、2004年頃は44億5000万枚を超えていたが、2026年は7億5000万枚と、初めて10億枚を割った。
年賀状離れが進んでいるのは、時代とともにインターネットやSNSが普及し、コミュニケーションが多様化していることが大きな要因といえる。その他に、個人情報保護法の過剰な解釈もあり、住所が昔と比べてオープンになっておらず、結果、住所が分からないのでメールで年始の挨拶を済ませる、というケースもかなりあると思う。私などまさにそのクチだ。
社会に出てほどなくして、携帯電話が一気に普及した。その頃に出会った人とは、携帯番号やメルアドの交換はするが、住所を聞いたり教えたりすることはほぼ無かった。生活スタイルのこともあり、電話よりはメールということで、メルアドしか知らない人も結構いた。
結果、メールを送って「送信できませんでした」(‖相手がメルアドを変更した)となると、その時点で音信不通。今もふとした時に、当時出会った人たちは今頃どこで何をしているのやら、と思う。
年月は流れ、ここ何年かの間に、それまで年賀状のやり取りをしていた何人かの相手から「今年をもって年賀状でのご挨拶を失礼させていただこうと思っております」「高齢のため年賀状の支度が難しく、今年限りで年賀状を控えさせていただくこととしました」というような、いわゆる年賀状じまいの文面が書かれた年賀状が届いた。
新年早々、その年賀状を受け取ると、何だかあまりいい気がしない、というのが正直な思いだ。とはいっても、人それぞれ今の人生、生活がある。日々忙しかったり、実は病気療養中だったり、いろいろな事情もあるだろう。それに対して、こちらがどうこういう筋合いはない。
ただ、普段ほぼ会うこともなく、年賀状のやり取りだけが唯一のつながり、という相手もいる。そうした相手から年賀状じまいを告げられると、なんだか縁を切られたような思いがする。あ、もうこの人とは何の関わりもなくなってしまうんだな、と。
せめて「年賀状は一区切りつけても、お互いまだまだ頑張っていきましょう」みたいな、少しでも相手を気遣うような文言が添えられていると、また印象も変わってくるのだが・・・。
何とかこの年賀状離れに歯止めを掛けられないだろうか。例えば、シーズンが重なるお歳暮とタイアップして、お歳暮をいっそ「新春の贈り物」と位置付け、年賀状にQRコードを載せる。それをスマホでかざすと「差出人からの贈り物があります」と表示され、受取人は受取り日時を指定して受け取る。あるいは、QRコードを活用して、お年玉を送れるようにする、みたいな。
年賀状をはじめ、手紙文化振興を願って、各地で郵便局長をはじめ郵便局関係者たちが精力的に取り組んでいる。
年賀はがきの発行枚数や年賀状の配達物数が回復することは難しくても、せめて今後ある一定のところで減少に歯止めがかかり、日本の伝統文化としてずっと残っていくことを願ってやまない。(九夏三伏)
2026年1月19日 第7336号
社会的分断に拍車をかける生成AI
テキスト、画像、音声、動画などのオリジナルコンテンツを自動で生成できる「生成AI」の活用が急速に広がっている。
昨年末には、日本郵便が「年賀状はこんなに簡単に、楽しく作れる!」をコンセプトに、Googleが提供するAI「Gemini」の画像生成モデルを活用した年賀状作成ツールの提供を始めた。家族とともに映った写真を加工して、正月らしい和服姿にしたり、今年の干支である馬に乗った写真にしたり、独創的な年賀状が簡単に作成できる。若い人たちが年賀状作りに興味を持つきっかけにもなるだろう。
生成AIを活用することで、コンテンツ制作を大幅に効率化できるし、優れたアイデアを生み出すこともできる。
その一方で、いま生成AIは大きな問題を引き起こしつつある。昨年末に、「X(旧Twitter)」のAIツール「Grok」に画像編集機能が追加された結果、性的に加工した画像(ディープフェイク)が大量に拡散されるようになっているのである。1月3日には、漫画家の田辺洋一郎氏がGrokを使用し、アイドルの写真をビキニ姿にするなど性的な加工を施して自身のXに投稿するという事件が発生している。性的ディープフェイクの被害は芸能人だけではなく、一般女性、さらには児童・生徒にも広がっている。
しかし、問題は性的な加工だけではない。写真を加工することで様々なディープフェイクを作り出すことができるからだ。選挙における特定の候補者に関するディープフェイクは重大な問題である。有権者が誤った情報を信じ、選挙結果に影響を与える恐れがあるからだ。
さらに深刻な問題は社会に深刻な分断をもたらすことだ。これまでも、ネットの世界では自分と同じ意見に触れる機会が増え、異なる意見に触れる機会が減る結果、極端な意見が強化される「エコーチェンバー」(共鳴室)が、社会の分断をもたらしていると指摘されてきた。
また、アルゴリズム(計算手順)によって、検索履歴やクリック履歴などから、自分の意見に合った情報ばかりが流れ、異なる意見に触れにくくなる「フィルターバブル」も問題視されてきた。
ニューヨーク・タイムズ記者のマックス・フィッシャー氏は、著書『カオスマシン』の中で、SNSのアルゴリズムは国家の命運を左右するほど重大な影響を与えると警告している。
同書によると、フェイスブック(現メタ・プラットフォームズ)の研究者は「我々の開発するアルゴリズムは、人間の脳が分断と対立に強く惹かれることを利用している」と語っていた。同書はまた、フェイスブックがミャンマー国軍によるロヒンギャ(ミャンマー北部のラカイン州に住むイスラム教徒が大半を占める少数民族)への残虐行為を助長する役割を果していたと指摘している。2018年3月には、国連の調査官が「フェイスブックはミャンマーにおける暴力や憎悪を助長している」と述べている。
ディープフェイクが日常的になることで、憎悪や暴力はさらに増幅され、社会の分断に拍車をかけることになるだろう。
Grokでは、「画像を編集」というメニューを選び、加工する写真を選択し、指示をすれば、一瞬にして写真を加工することができる。超えてはいけないハードルが一気に下がったと言えるだろう。
インド政府はXに対し、Grokの是正措置を講じるよう命令した。また、フランスの閣僚はGrokの生成する性的・性差別的コンテンツを検察当局に通報した。さらにインドネシアとマレーシア政府はGrokへのアクセスを一時的に遮断した。各国政府が即座に反応したのは、Grokを野放しにしていては、社会的秩序を維持できないと考えているからだろう。
生成AI開発競争で米中が先行する中で、政府は昨年末にAIの開発や活用の方向性を示す「AI基本計画」を閣議決定し、「世界で最もAIを開発・活用しやすい国を目指す」との目標を掲げた。我が国はAIの利活用を推進すると同時に、ディープフェイクなどを規制するための法整備を急ぐ必要がある。(酒呑童子)
2025年12月22日 第7332・7333合併号
太宰と三島と大江
コンプレックスを芸術にした男たち
昭和を代表する作家は多数いる。中でも日本人として2人目のノーベル文学賞を受賞した大江健三郎は代表的な存在である。しかし、作品は非常に難解で、最後まで読み通せる読者の方が少ないのではないかとも思える。特に「個人的な体験」「飼育」「万延元年のフットボール」「遅れてきた青年」「性的人間」などの初期作品は文章と文章の関連性がよく分からず、途中で挫折してしまいがちになる。
そんな難解な作品を書く大江が尊敬してやまなかった作家が2人いる。太宰治と三島由紀夫である。この2人は日本文学史に名を残す作家であり、現代の若者でも知らない人はいないほど有名だ。
特に太宰の命日である6月19日は「桜桃忌」と呼ばれ、三鷹にある禅林寺には多くの若者が訪れて花を手向ける。また、三島の命日の11月25日は「憂国忌」と呼ばれ、これも多くの若者が墓前に集まる。大江は生前に様々な大学で講演会を行っており、そこで太宰文学や三島文学の卓越ぶりを紹介しており、その音声記録も多数現存している。
大江が尊敬した作家なのだから、太宰も三島も同じような作家なのかと思いがちだが、実は全くそうではないところが興味深い。太宰と三島は作風も正反対の方向を向いており、相容れるところがほとんどない。太宰の文体は非常に平明で分かりやすく、読者の心の中に素直に入ってくる。一方、三島の文体は硬質できらびやかであり、言葉を吟味しながら読まないと頭に入ってこない。その意味では大江の文体は三島に近いと言える。
ところが小説のテーマは大江はむしろ太宰に近いところがある。太宰は自分の生い立ちを自伝風に書いた作品が多く、過去の事実を脚色して小説に仕立てる達人だった。そして大江も自分自身をモデルにした作品が多く、特に障害を持って生まれた息子を題材にした作品がある。つまり文学の方向性では太宰と大江が近い関係にある。
こうしてみると、太宰・三島・大江の三者間の文学的関係が明らかになるが、よく読み比べてみると、実はこの3人は根底ではつながっているように思う。それは「コンプレックス」という抜き差しがたい負の側面を作品にしているということだ。
太宰は「人間失格」で代表されるように、自分を徹底的に卑下し、人間の弱い面を前面に出すことで人間の普遍性を表現している。一方、三島は「仮面の告白」という作品で自分の性的指向や考え方が普通ではないことを告白しており、これも誰もが自己に抱く負い目を表現している。言ってみれば「人間失格」と「仮面の告白」は表現形態の違いはあっても根底の部分は同じである。
大江に「死者の奢り」という作品があるが、それも人間の暗い内面を表現しており、明らかに太宰と三島の影響を受けているように読める。この「死者の奢り」は人間の死体を洗うアルバイトで出会った若い男女を通して生と死の意味を問う作品だが、これも自分の陰の部分を投影させている。
この著名な作家3人は生きた時代は違っても、それぞれが相手を尊敬していた。三島は太宰の自堕落な生きざまを嫌悪したが、文学上の才能は絶賛した。また、三島は大江が将来ノーベル文学賞を取ることを予言し、実際その通りになった。大江はこの2人の作家の文学的才能を尊敬し、両者のエッセンスを取り入れながら歴史に名を残す作家になった。
人は普通、自分の弱い面は隠したがるものである。それをこの3人の作家は逆にそれを文学作品にして世に問うた。太宰はかつて「小説を書くということは、裸になって通りを歩くようなものだ」と言ったらしいが、実際そうなのだろうと思う。とりわけ、普通なら隠したがる自己の負の部分を作品にする作家はそうだと思う。
文学史上に残る作家はいくらでもいるが、この3人の作家は、文学上の系譜では一本の線で繋がっているように思う。この3人のうち誰かの作品をこれから読むとしたら、皆さんは誰を選ぶだろうか。 (有希聡佳)
2025年12月15日 第7331号
「コスパ」と「タイパ」
毎年、いくつもの新たな言葉が出現しては消えていく。いわゆる流行語になる言葉もあればすぐに消える言葉もある。最近では「コスパ」と「タイパ」という表現が出現した。「コスト・パフォーマンス」と「タイム・パフォーマンス」のことで、日本語に直せば「費用対効果」と「時間対効果」である。
一定の費用や時間に対してどの程度の効果が生じたかを表現する言葉だが、これはおそらく経済用語として定着すると思われる。なぜなら私たちは社会生活の中で、常に無意識にもこれらに従って行動しているからである。
例えば、誰でもいつも行く店で割引セールや半額セールをしていたら嬉しいだろう。それが期間限定や数量限定だったら、あわてて買いに行くはずだ。同じものを手に入れるなら、なるべく安く手に入れたいと思うのが人情だからだ。
しかし、それも状況によって変化する。もし1キロ離れた店で、本来1万円の商品が9千円で売っているとなれば、多くの人がそこまで買いに行くだろう。しかし、それが10キロ先だったらどうだろうか。
やっぱり片道1時間かけてそこまで買いに行くだろうか。多くの人は地元で1万円払って、その商品を手に入れると思う。これは千円のために10キロ先まで行くことは、いわゆる「タイパが悪い」からである。
私たちが普段何かを購入する時も同様だ。特に昨今では物価高傾向が続き、今までなら買えたものが同じ値段では買えなくなった。チョコレートなどは原料のカカオの高騰により、今まで120円程度で買えたものが200円くらいになっている。他のあらゆる商品も大同小異である。
つまり経済学的に言えば、1円の価値が下がったことになる。チョコの例でいえば、今までは1円玉120個でチョコレート1枚と交換できたのに、1円玉1つの価値が下がったために200個ないと交換できなくなった。購入するときの満足度をパフォーマンスとするなら社会全体の「コスパが悪くなった」と言える。
これは国際的に見た通貨の為替レートでも同様だ。数十年前は1ドル100円の時代があったが円安が進み、現在ではおよそ1ドルが150円になった。つまり昔は円の価値が相対的に高かったため、1円玉100個で1ドル紙幣と交換できたが、今では円の価値が下がった(安くなった)ため150個ないと1ドルと交換できない。これも言ってみれば通貨のコスパが悪くなったということである。
こうした数字と価値の関係が貨幣価値や経済活動にとどまっているうちはまだいい。しかし政治や外交に及ぶと話が変わる。全く仮の話だが、紛争地帯で過激組織が3人を捕虜にしたとする。「このままだと3人とも処刑するが、もしお前が誰か1人を銃殺すれば残り2人は助けてやる」と言われたらどうするだろうか。
悪いと思いながら何の恨みもない誰か1人を銃殺し、残りの2人を助けるだろうか。苦悩の果てにできないとなれば、目の前で3人とも処刑されることになる。しかし、捕虜は100人で、その中の誰か1人を銃殺すれば残り99人は助けてやると言われたらどうするだろうか。
10万人、100万人だったらどうだろう。1人を犠牲にすれば残りの膨大な人数が助かるとなれば、心の迷いも減ってくるのだろうか。これは数に従って人間1人の命の重さが軽くなっていくということでもある。
戦争の虚しさだ。国全体の何百万人、何千万人という国民の数と個人の命を天秤にかけるのが戦争だ。これは1円の価値が下がった先の例と同じ理屈だが、経済と政治ではその意味合いが全く異なってしまう。
私たちは日々の生活の中で常に経済的なコスパとタイパに縛られながら過ごしているが、この理屈が政治という大きな枠に取り込まれ、人間1人の命の価値まで下がらないよう切に願う。(有希聡佳)
2025年12月8日 第7330号
友の助言で嫌いな人を克服
高校時代のこと。同じクラスのA君のことが嫌いだった。今思えば、「そんなこともあったな」くらいの笑い話になるのだが、当時は思春期真っ只中。自分はまだまだ子どもだった。
ある話題で友達と話が盛り上がっているところに、A君が入ってくる。そして、違う話をしてきて、その話にみんながついていく。自分としてはその話には興味がなく、面白くなくなる。そんなことの繰り返しだった。
最初の頃は、A君が話に入ってきても、何ら抵抗は無かった。しかし、毎回毎回、A君が話に入ってくると、ほどなくして話題が変わってしまう。いつしか、A君が主役みたいな展開になっていく。
そんなことが繰り返されていくうちに、いつしか私はA君が話に入ってくると、その場を離れるようになっていった。「せっかく楽しく話をしているのに、なんなんだコイツは・・・」そんな思いが募っていった。
私と仲が良かったY君もまた、同じようにA君を嫌っていた。理由は私が思うところとほとんど一緒だった。よくY君と「アイツ、ムカつくよな」みたいなことを話していた。Y君との話が盛り上がり、いつしかA君のことを差別用語のあだ名で呼ぶようになっていった。もちろん本人の前では言わないが。
私とY君と、ともに仲の良いM君という友人がいた。ある時、私とY君とM君とで話をしていた時、A君の話題になった。私とY君が普段話しているように、A君をあだ名で称したら、M君は「お前ら、いくら嫌いだからって、それ(を言って)はダメだぞ」と注意された。
後日、私とM君が話をした時、M君が「何でそんなA君のことが嫌いなの?」と聞いてきた。私は諸々説明をしつつ、「自分がいるところに向こう(A君)が入ってくるのが嫌」というような話をした。するとM君は「う~ん・・・あのさ、試しに自分(=私)からA君に話しかけてみたら?(話題は)何でもいいから」と言ってきた。
私としては乗り気ではなかったが、M君は同じクラスになって以来、いろいろな面で助けてもらっていた、全面的に信頼のおける大切な友人なので、無下にはできないなと思い、タイミングを見てA君に話しかけてみようと思った。
ある時、A君が席に座って何か資料のようなものを見ていた。そこで私は「何を見てるの?」と声をかけた。するとA君は「大学の募集要項だよ」と答えた。私は「文系なの?理系なの?」と聞き、そこからいろいろと話をしていった。逆にA君から私に文系か理系かと聞かれ、「決めてないんだよ」と答えた。するとA君は「俺もずっと決まってなくて、最近やっと決めたんだ。いろいろ調べてみて、人の話を聞きながら決めていけば大丈夫だよ」みたいなことを言った。
不思議な感じだった。あれだけ嫌いなはずのA君と普通に話をしている自分がいる。嫌な感じもせず、むしろ(進路のことで)ためになることを言われた思いがした。それ以降、A君と話をすることに抵抗はなく、話の輪にA君が加わってきても嫌ではなくなり、自然に受け入れられるようになった。
そのことをM君に話すと、「人間って意外とそんなもんなんだよ。もし自分から話しかけてみて、それでも嫌ならそれはしょうがないかなって思っていたけど。でもまあよかった」と言ってくれた。何だかM君には当時から私の全てを見抜かれていたような気もする。
高校卒業後も、M君には折に触れていろいろなことを相談するなど、今も大切な存在だ。そのM君とは出会った時からずっと、年賀状のやり取りをしている。今年はどんな言葉を添えて出そうか、ゆっくり考えよう。(九夏三伏)
2025年12月1日 第7329号
『逓信美談集』が伝える奉仕の精神
逓信協会(現通信文化協会)が昭和11(1936)年9月に編んだ『逓信美談集』を繙く機会を得た。4月19日に開催された東海地方郵便局長会の新会員研修会を取材させていただいた際、吉良平治郎の美談を知ったのがきっかけだ。
同書には「責任 わが身を捨てて行嚢を保護した集配手」と題して、吉良の美談に1章が割かれている。
吉良は、北海道釧路市から約15㌔、北に進んだ海岸線にある昆布森郵便局の集配人を務めていた。大正11(1922)年1月19日夜、彼は釧路局を出発し、昆布森局へ向かったが、途中暴風雪に遭い力尽きた。しかし彼は、我が身を捨てて郵便物を守りぬいたのである。
「平治郎が、釧路から約2里をへだてた宿徳内に通ずる坂路にさしかかった頃には、暴風雪はいよいよ烈しくなり、行く手は見えず、荷物は重し、その上襲ってくる飢えと身を切るような寒さに耐えかねて、雪の中によろめき倒れた。しかし郵便物の大切であることを思うと、また勇気を振るって起き上り、わずかに寒さを防いでいたズックの外套を脱いで、郵便物がぬれぬように行嚢を包み、そうして帯を裂いてその上をしっかりとくくった。さらに唯一の力としてたずさえて来た竹の杖を傍に立て、先端に手拭を結んで目じるしとした。それから救助を求めようとして、坂下の人家のある方を指して、深い雪の中を歩き出した。しかしものの一町も進まないうちに、吹雪は全く彼を埋めてしまった」(『高等小学修身書』)
『逓信美談集』には逓信次官を務めていた富安謙次(風生)の序文とともに、15の美談が収められている。そのうちの2つを紹介したい。
1つは「決死の三集配手―死を賭して破橋を渡り責任を完うした津山局の集配手」だ。昭和9(1934)年9月21日早朝、室戸台風による豪雨で、岡山県津山市を流れる吉井川の氾濫警戒情報が出された。この時、津山駅には郵便行嚢が保管されていた。津山郵便局で集配を担当する三浦政治、福田進、秋久繁夫は即座にその行嚢の確保に動いた。津山駅に行くには、吉井川にかかる今津屋橋を渡らなければならなかったが、橋は今にも流されそうな危険な状況にあった。制止する消防隊員に3人は言った。
「公務です。どうしても行かねばならぬのです」
これを聞いた消防隊員は「私たちは郵便局の皆さんが、こんなにまで我々の郵便物を大切にして下さるとは、夢にも考えていませんでした。町の人が聞いたらどんなに感謝することでしょう。津山市民に代わって厚く御礼を申します。では、どうか渡って下さい。我々はここで神に念じてあなたたちが、無事対岸に着くのを見守っていますから」と答えた。
決死の覚悟で今津屋橋を渡り切り、津山駅にたどり着いた3人の努力により、郵便行嚢は無事に確保された。今津屋橋が流されたのはその直後のことだった。
もう1つは、愛媛県宇和島市の三浦半島先端部にある蒋渕郵便局(現宇和海郵便局)の集配人、浅田宇之吉と宮本作一の美談だ。
大正13(1924)年2月3日、浅田と宮本は集配船を漕ぎ、西方約28㌔の日振島に向かった。ところが、その日は天候が悪く、突風が横なぐりに吹きつけて船が転覆、2人は海中に投げ出されてしまった。
しかし、2人は船中に結びつけてあった行嚢を確認、服を脱ぎ棄てて、荒れ狂う波と戦いながら転覆した船をもとに戻した。だが、櫓も舵も流されてしまい、波に身を任せるしかなかった。約3時間後、幸い船は無人島の横島に漂着した。
浅田は郵便物を守るために海に飛び込んで上陸を試みた際、波に飲み込まれて命を失った。それでも宮本は諦めず、行嚢と洋服を結び付けて上陸に成功、郵便物を守り抜いた。
『逓信美談集』には、これ以外にも犠牲奉仕の精神を伝える美談が収められている。残念ながら同書は、国立国会図書館のデジタルコレクションで閲覧可能だが、現物の入手は困難な状況にある。(酒呑童子)
2025年11月17日 第7327・7328合併号
日本語の難しさと繊細な表現
世界には実に様々な言語があり、一説には7000語以上あるそうだ。その一つ一つが独自の文化を持っており、独自の路線で進化してきた。当然、その文法的な仕組みによっても語彙の数からしても、表現できるニュアンスの数は千差万別である。文字数が少なければマスターしやすいし、多ければ使いこなすのが大変になる。
言うまでもなく、世界共通の言語は英語である。なぜ英語なのかといえば、かつての英国(大英帝国)が世界中に植民地を持ち、そこで流通していたことに端を発する。そして英国は経済的にも政治的にも先端を走っていて他国への影響力が強かったうえに、後に急激に発展したアメリカもそのまま英語を使ったためと言われている。
もう一つの理由は、英語は非常にシンプルで分かりやすいという特徴を持っている。アルファベットは26文字しかなく、基本的にこの26文字の組み合わせですべての単語を表現する。そして、その単語を並べてセンテンスを作ると意味が生じる。もちろん様々なルール(文法)がそこにはあるが、このシンプルさが世界を席巻する言語になった大きな理由である。
一方、私たちの言語はどうだろうか。日本語は世界的にも有数の難解な言語とされている。それは文字の種類だけでも漢字・ひらがな・カタカナの3種類あり、それらが組み合わさってセンテンスを作るからである。しかも常用漢字だけで2136文字もある。また数える単位も難しい。物なら「個」、紙なら「枚」、鉛筆なら「本」、本なら「冊」、動物なら「匹」や「頭」などとばらばらである。
一人称や二人称にしても、英語では自分はI、相手はYouしかなく、これは相手が目上でも目下でも関係なく使う。しかし、日本語だと自分のことは「私」「わたくし」「僕」「俺」「自分」など様々であり、相手のことは「あなた」「あんた」「ご自分」「お前」「〇〇さん」と呼び、自分と相手との立場によって変えなければならない。
会社の上司を間違えて「お前」と呼んでしまっては大変なことになる。他にも尊敬語、丁寧語、謙譲語などにも分岐しており、これらを上手く組み合わせないと流暢な日本語にならない。
これだけ日本語が複雑だと、確かに外国人にとってはマスターするのが大変であろう。その意味では日本語が世界の共通語になるとは到底思えない。その代わりこの複雑さが日本独自の繊細な表現を可能にした。人間の微妙な感情の襞を深く表現でき、喜怒哀楽を正確に描写できる。平安時代の文学を見ても、それは顕著である。こうして日本人は日本語によって独自の文化を築いてきたとも言える。
ただ、これだけ難しい日本語にも、ヨーロッパの言語と決定的に違う部分がある。それは日本語には「性」がないことだ。ドイツ語でもフランス語でも、またロシア語、スペイン語、イタリア語にしても名詞には必ず性があり、男性名詞か女性名詞に分けられる。中性名詞というどっちつかずの名詞まである。
名詞に性をつけることの習慣のない私たちにしてみれば、まずその単語が男なのか女なのか、中性なのかを覚えなければならない。ちなみに「日本」はドイツ語では中性名詞であり、フランス語では男性名詞である。おそらくヨーロッパの人たちは名詞を性別に分けることで微妙なニュアンスを表現しているのだろうが、そこは日本人には分からない部分でもある。
こうしてみると、言語というのはその国の歴史的背景を持ち、時代とともに変化しながら独自の文化を作ってきた。日本人は日本語の難しさと引き換えに、優美で繊細な表現方法を手に入れた。たとえ日本語は今後とも世界の共通語にはならなくても、日本人は日本語で作った考え方で、他の言語で作った思考回路の人々と上手く調和していかなければならない。
そう考えると、他国と協調していくには、まずお互いの言語を認め合うことが第一歩のように思う。(有希聡佳)
