コラム「春秋一話」
2025年04月28日 第7298号
経済学と日常生活の深い関係
何か欲しい物があるとき、それを買うのはいつにすべきだろうか。一般的には、「それを購入するお金がある時に買う」、もしくは「必要になった時に買う」と考える人がほとんどだろう。確かにそれはそうなのだが、経済学を元にして考えると、必ずしもそうではないことが分かる。
例えば最新の商品が発売になった場合、それを欲しいと思ったのなら、その時に買うのが一番効用が高いと経済学では考える。なぜならそれを欲しいのは「今」であって、1週間後や1か月後に欲しいのではない。あくまで予算や代替品との比較検討など他の要素を考慮しない前提であれば、欲しいと思う時に購入するのが一番満足度が高く、一番効率的なのである。
1か月後に購入するのでは、その1か月間は我慢しなくてはならない。しかもその頃には購入意欲も減退しているかもしれない。1か月我慢したあげく以前より欲しくなくなった物を購入するのは、消費者にとっての満足度が減少していることになり非効率である。このように経済学では、投じた資金に対する効用(満足度)も考慮に入れて考え、いつ購入すべきかを考える。
他の身近な例では、私たちが真夏の海に行った時にビールを飲むと非常にうまい。これは最初の一口が一番うまい。しかし何口も飲んでいるうちにそのうまさは階段を下りるように逓減していき、満足度が減っていく。しまいには腹がふくれ、のどの渇きも癒えて、もう飲みたくなくなる。
そのビール缶が例えば350円だったとしたら、最初の一口で半分の180円分くらいの満足度を得てしまい、次の一口で100円分、次が50円、次が20円、最後はただ飲んだだけで満足度は0円となり、トータルで350円分の対価を消費したことになる。
つまり満足度は最初が一番高く、次第にその満足度は減っていくということであり、これは経済用語で「限界効用逓減の法則」という。これはほとんどすべての事象に当てはまる。したがって欲しい物が生じたらその時に買うべきであり、何か飲食する時は最初の一口に集中すべきなのである。
こうした考えは企業のような組織にも当てはまるが、規模が大きいだけにより大きな意味を持ってくる。特に製造業では何か新しい製品を発売すると、最初こそ関心を持った消費者が殺到して好調に売れるが、時と共に関心も薄れていき、そのうち買われなくなる。企業は次の新製品を作ってまた売りに出すことになり、その繰り返しで常に新商品の開発をしなければならない。
サービス業では何か付加価値を付けると最初はありがたがられるが、そのうち消費者はそのサービスを受けること自体が当たり前になってしまい、ありがたくなくなってしまう。郵便局や宅配業者の転送サービスなどもその例だ。転居先に無料で郵便物や荷物を転送するサービスは本来の業務に上乗せしてできたサービスであり、元々こうしたサービスはなかった。
しかしこの制度は現在では当たり前の取り扱いに思われ、速やかに転送されないと苦情になる。最初は感謝されたサービスが時代とともにありがたさが薄れ、今では義務になってしまっている一例である。
このように製造業にしろサービス業にしろ、常に消費者の「飽き」や「慣れ」にさらされ、会社は満足度が逓減していくことを食い止めるために、絶えず革新をしなければならない。また消費者の満足度は最初が一番高いことを考えれば、いつ新商品やサービスの提供を開始するかを慎重に見極め、その限界効用がいつ逓減に転じるかを分析しなければならない。
私たち消費者も、目の前にある自分の持ち物を目にした時に、それを最初に購入した時の感激や嬉しさを思い出し、自分の中にある限界効用を今一度100%に戻してみると、案外見慣れた持ち物も新鮮に見えるのではないだろうか。 (有希聡佳)
2025年04月21日 第7297号
生真面目な日本人~幼児教育の大切さ
東京都心部に通勤していると、JRや地下鉄のダイヤが乱れることが多く、遅延が発生する。理由はいろいろあるが、単純に混雑が原因になることもあれば、人身事故や車両の故障、急病人の発生、乗客同士のトラブルなど様々である。今朝もJR総武線で人身事故が発生したため早朝から電車が運行見合わせになり、ホームは人であふれていた。しかも見合わせが長時間になったため改札口も閉鎖してしまい、駅に入れない大勢の人たちでごった返していた。
ところが誰も文句も言わず、黙って改札が開くのをじっと待っていた。8時過ぎになってようやく電車が運行を再開し、改札も少しずつ乗客を受け入れたが、皆黙々と駅構内に入り、駅員の指示通りにホームに向かって歩き始めた。筆者はこうした光景を見て、日本人のこの生真面目さというかお行儀の良さはどこから来るのだろうかと考えた。
そこで以前テレビで見た教育番組を思い出した。それは、日本人は日常生活で必要な規律を幼い頃からきちんと学んでいるため、他の国民より理性的に判断し、行儀良く振舞えるのだそうである。ほとんどの子供が幼稚園か保育園に通園するが、そこにある遊具での学びが大きく影響しているそうだ。
例えばブランコでは「危険」ということを学ぶ。前後に動いているものの近くにいればぶつかってケガをする可能性があり、自然と危険な対象物から離れることを学ぶ。また滑り台では「順番」を学ぶ。一人ずつ順番に階段を登り、一人ずつ下りてくる。相手を思いやり順番を守ることで、整然と物事が進行していくことを学ぶ。
砂場では「片づける」ことを学ぶ。シャベルやバケツなどを使って遊んだ後は、きちんと砂を払って、それらを持ち帰ってくる。ジャングルジムでは「方向」を学ぶ。自分の行先をその場で考え一段ずつ上に登っていく。行き先を自分で考えることで、進路を自分で決めていく。シーソーでは「バランス」を学ぶ。自分が上がれば相手は下がる、逆もまたしかりである。自分の立場と相手の立場を体と視覚で認識し、相手の状況を理解する。
こうした学びを幼少期からすることによって、日本人は大人になっても秩序や順番を守ることができ、整理整頓ができる人間になるというものだった。こうした遊具が外国の幼稚園や小学校にもあるのかどうか知らないが、少なくともこうした体験が社会生活に必要な理性の育成に貢献しているのは間違いない。
前述した交通機関のトラブルでも、こうした原体験が根付いているため、混乱を起こさずに粛々と対処できるのだと思う。それが日本人の国民性でもあろう。日本人の礼儀正しさや物事をわきまえる姿勢がこうした幼少時の体験に大きく依っているとしたら、幼児教育をもっと重要視することで、彼らが大人になった時に日本全体が良識を持った人々で満たされるのではないだろうか。
「教育」という言葉を聞くと、多くが小学校や中学校での教師による科目授業や家庭での親のしつけを連想する。もしくは有名中学や高校に入るためのいわゆる「お受験」や偏差値を連想する。しかし、もっと前の幼児期にこそ人間性を育む重要な時期があるようにも思う。
近年「闇バイト」なるものが横行し、若者が会ったこともない人間からの指示、それも電話での指示でいきなり他人の家に押し入って強盗をするご時世になっているが、こうした他人を思いやれない若者はもしかしたらきちんとした幼児教育を受けてこなかった背景があるのではないだろうか。
今朝の電車の遅延から、幼児教育・日本人の国民性など、いろいろな連想を巡らせた1日となった。(有希聡佳)
2025年04月14日 第7296号
リボンで子どもたちの食を支える
子どもの「食」に関する取り組みが各地で行われている。平成31(2019)年、鳥取市では郵便局ネットワークを活用したフードドライブが始まった。鳥取県因幡地区連絡会の55局にフードボックスを設置して、家庭で利用しない食品を市民から持ち寄ってもらい、それらをこども食堂へ寄付するというもので、郵便局と行政が連携してこども食堂へ支援する全国初の取り組みとして注目された。
その後、こうした動きは全国へと広がりを見せており、郵便局でもフードバンクへの食品の提供など、さまざまな形での取り組みが行われており、その数も増えている。
こども食堂は、家庭の事情等で十分な栄養の食事をとることができない子どもたちに対して、子どもが1人でも行くことができ、無料あるいは低料金で食事を提供することを目的に始まった。
そのスタイルも多様で、月に1回だけ開催しているところもあれば、1年365日朝昼晩3食を提供しているところもある。子どもが数人程度利用しているところもあれば、大人数が集まるところもある。子どもの孤食の解消、食育、交流の場にもなっている。
運営費やスタッフの確保、地域との連携、食中毒等の保険衛生面といった課題もある中で、こども食堂はいわば民間発の自主的な取り組みとして、各地で増加し続けている。
そうした中、フードリボンプロジェクトというものが最近、注目されてきている。「フードリボン参加店」のステッカーが掲げられた飲食店に行き、お客さんは1つ300円のリボンを子どもの一食分として「先払い購入」し、店内のボードに掲示する。店に来た子どもたちは、それらの掲示されたリボンを1つ手に取って、1食分の食事ができるという仕組みだ。店によっては、お客さんからのメッセージや子どもからの返事が書かれているところもある。
対象となる子どもの年齢や、利用時間は店によって異なるほか、提供される食事メニューは、まかない食のようなイメージとなっている。
フードリボンのリボンは、福祉作業場で働く人たちが作成している。フードリボンに取り組む飲食店が増えていくと、リボンを作成する個数も増え、障がい者雇用への貢献にもなる。
この取り組みを知った時、何となく「こども食堂」みたいだな、と思ったが、それもそのはず。フードリボンプロジェクトは令和3(2021)年5月に、子どもたちが当たり前にご飯を食べられる場所を作りたいという思いから、飲食店による新しいこども食堂の仕組みとして、一般社団法人ロングスプーン協会(千葉県市川市)が始めたものだ。
ロングスプーン協会では、令和5(2023)年4月に千葉県市川市と提携して以降、全国10か所の自治体と提携するなど、フードリボン活動の普及を全国各地域で進めており、全国の小学校区に1か所ずつ活動店舗を設置していこうと取り組んでいる。これまでに、2025年3月15日時点で、フードリボン参加店は238か所、実施店は171か所(67か所は準備中)。また、子どもたちのために支援されたリボンは6万6120食分、子どもたちに届けられた食事は4万8510食(2025年2月末時点)となっている(ロングスプーン協会ホームページより)。
特に食に困ってはいないが、利用していいのか迷ってしまう子どもがいる、あるいはフードリボンについて、利用する子どもや親へ十分に浸透していないといった課題もあるというが、子どもたちの今日の一食を、ペイフォワードで支える新たな仕組みとして、今後ますます注目されていくと思う。(九夏三伏)
2025年04月07日 第7295号
外交力を支える郵便インフラの輸出
「2030年に45兆円」。これは日本政府が掲げる海外でのインフラ受注額の目標だ。昨年末の経協インフラ戦略会議(議長・林芳正官房長官)で決定された「インフラシステム海外展開戦略2030」で定められた。
会議では、石破総理が「インフラ市場の構造的な変化や国際情勢を踏まえ、世界の需要を取り込んでいく。相手国から選ばれ海外で稼ぐためには、トップセールスは特に重要で、私も行う。政府一丸となって強力に取り組みを推進してもらいたい」と述べた。
政府が力を込めるインフラ受注拡大で重要な役割を果しているのが、我が国が誇る郵便インフラだ。2008(平成20)年に総務省の「国際分野における郵政行政の在り方に関する懇談会」で郵便インフラ輸出構想が示されていたが、第2次安倍政権時代の2013年6月にまとめられた「日本再興戦略」でインフラ輸出の強化が打ち出されて以降、郵便インフラの輸出は動き始めた。
日本の郵便の正確性・迅速性は高く評価されており、万国郵便連合(UPU)が発表した「郵便業務発展総合指数」(2023年)でも、「最高位グループ」の評価を得ている。
総務省は郵便事業の近代化・高度化に取り組む新興国・途上国に対し、日本の郵便の優れた業務ノウハウや関連技術の提供を推進してきた。
2013年にミャンマーとの協議を開始した総務省は、翌2014年4月に「郵便分野における協力に関する覚書」に署名している。それ以降、郵便分野の専門家を現地に派遣して業務指導を行い、ヤンゴンなど主要3都市の郵便の送達率を改善した。ヤンゴンの中央郵便局の内部オペレーションの改善でも貢献している。2015年1月には、ベトナム政府と「郵便協力覚書」を締結、ハノイやホーチミンの郵便オペレーション改善を支援した。
ミャンマーやベトナムでの貢献はUPUから高く評価され、2021年には日本郵便がカンボジア郵便のEコマース対応に向けた業務改善プロジェクトに参加することになった。
カンボジア郵便が要望したのは、郵便局内の作業遅延と従業員の身体的負担の改善。日本郵便は非効率なオペレーションを改善するため、ロールパレット(荷物を囲むための格子状の枠が付いている運搬用の台車)とフリーローラー(運搬用の大型ローラーコンベア)の導入を提案した。
日本郵便輸送部の加治佐洸介係長(現郵便・物流業務部要員企画・業務改善室係長)は「作業スピードがアップしただけでなく、足腰に負担をかけず安全に作業ができるようになったことで現場の方々にとても喜んでいただきました」と振り返る(「JP CAST」2023年12月21日)。
高品質の郵便インフラを支えているのは、組織や人材育成などのソフトとハードの両面だ。日本企業の郵便区分機などは、海外の郵便事業の効率化に貢献してきた。例えば、モスクワ郊外にあるロシア郵便の輸送センターは、東芝の小包区分機を導入した結果、1週間かかっていた作業が16時間に短縮された。
一方、我が国は海外の郵便事業のデジタル・トランスフォーメーション(DX)支援にも力を入れており、ベトナムでは日立製作所がデジタルインフラ構築と物流DXの実証を進めている。
郵便インフラの輸出は、相手国の郵便サービスの改善や品質向上に寄与し、友好関係の強化に役立っている。日本はASEAN諸国のほか、ロシア、インド、ウズベキスタンとも郵便協力覚書を締結し、さらに中・東欧、コーカサス、中央アジア地域などへの新規開拓も進めている。これまでに41か国を対象に計45件の調査研究・実証実験を実施している。
トランプ政権の誕生によって国際情勢が大きく変わりつつある中で、日本の外交力強化のためには、ASEANだけではなくグローバルサウス諸国との連携強化をはじめとした多角的な外交が必要とされている。
郵便インフラ輸出が、新興国、途上国などとの信頼関係を強め、日本の外交力を支えることを期待したい。 (酒呑童子)
2025年03月24日 第7293・7294合併号
郵政民営化と郵便局の数
2007年10月1日に郵政民営化が行われ、JP郵政グループが誕生した。それまでの経緯で何度も国会で議論され、主導した小泉政権に対する野党の猛烈な反対を押し切ってのスタートだった。これは与党内からも反対の声が多数あがったほどである。
当初から「郵便局が民営化したらサービスが低下するのではないか」「過疎地の郵便局は廃止になるのではないか」などユニバーサルサービスの崩壊を懸念する声が多々上がっていた。その民営化から18年。現状はどうなったであろうか。
郵便局数の増減実数を見てみると、民営化当時は全国で2万4574局あったが、その後徐々に減り続け、2024年12月末では2万3497局となり、この18年で1077局減少した。これは平均にならすと毎年約60局ずつ廃止になっている勘定である。それも採算の取れない過疎地域での廃止も多数あり、簡易郵便局の一時休止や廃局には加速度がついている。
こうした現状を見ると、確かにユニバーサルサービスが提供しづらい状態になったといえる。本来、郵便局に課せられた任務は郵便、貯金、保険といった日常生活に関わる重要なインフラを請け負うものであり、全国どこに住んでいても国民がこうしたサービスが受けられることに存在意義があった。そして三事業が一体となり、お互いが連携することでユニバーサルサービスが成り立っていた。
しかし、民営分社化により各事業が分断され、それぞれが独自の会社となった。独立することで各会社が専門の業務に特化し、より高度なサービス提供ができるようになったのだろうか。別会社になったことでお客さまの利便性が低下したのは事実である。
ひとつは郵便・物流部門と金融部門が二分されたことで、配達に訪問した社員がお客さまに頼まれて貯金通帳や保険証書を預かってくることができなくなった。また、公務員ではなくなったために内容証明を認証するには「郵便認証司」という資格が必要となり、それを持ってないと内容証明の処理もできず、場合によってはお客さまを延々と待たせることになった。
メールやLINEなどに押されて郵便取扱物数も減少の一途をたどっており、料金値上げも避けられなくなった。他にも人件費に割く予算も減少したため慢性的な人手不足が発生し、窓口の営業時間を短縮せざるを得なくなった。民営化前までは24時間営業していた単独マネジメント局の「ゆうゆう窓口」も今では19時で早々と終了する局がほとんどである。
こうした状況を見ると、民営化時に懸念されていた事柄がすべて事実になってしまったと言わざるを得ない。民営化が果たして国民の利益になったのか、ただ不便になっただけなのかは様々な観点から検証が必要であろう。すべてが民営化に起因するとも限らないが、民営化以降に郵便局数が減少し、多岐にわたるサービスも低下したとなれば、どうみても民営化による利点が大きかったとは言い難い。
現在では郵便局がかつて国営だった認識が社会にまだ残っているため、民営化前と民営化後を比較して郵便局の利便性を議論することもできるし、改善することもできる。しかし、今から20~30年経った頃には、ほとんどの人は郵便局がかつて国で運営されていたことすら知らなくなっているだろう。
そうなれば郵便局は民間企業のひとつとしてしか認識されず、不採算部門は切り捨てられていくことになる恐れがある。ユニバーサルサービスの義務もなくなっているかもしれない。つまりは時代とともに国民の利便性から遠ざかっていくことになる。そう考えると利用者目線で見た場合、郵政解散まで断行して小泉政権が行った郵政民営化は本当に必要だったのか、その意味が年とともに薄れていく思いがする。そして郵便局数の減少がそれを象徴しているように思う。(有希聡佳)
2025年03月17日 第7292号
不景気対策~江戸時代と現代
江戸時代が約260年続いたのは多くの方々がご存じだろうと思う。しかし、ほとんどの人が江戸時代は最初と最後しかイメージにないのではないだろうか。つまり、関ケ原の戦いを経て徳川家康が政権を握った頃と、ペリー来航以降の幕末動乱期である。
その間に挟まれた江戸中期についてはあまりイメージがない。なぜなら江戸中期は太平な世が続き、特に大きな争いごともなかったため印象が薄いからである。しかし、人が殺し合うこととは別に、もう一つの戦いがこの江戸中期にはあった。
それは財政上の不景気対策という戦いである。この時代はちょうど米と貨幣が流通手段として並行した時代であり、混乱が生じやすい時代であった。そして、幕府財政がひっ迫し、国家運営に四苦八苦した時代でもある。武士や庶民も普段の生活の中で起きる不平不満をあからさまに口にするようになった。
武士や大名は石高制のため、米の価値が下がると自動的に自分たちの禄の価値も下がる。米が豊作で供給過多になり米相場が半分に下がると、1万石の大名も実質5千石になってしまう。庶民は物価高や年貢の多さに苦しめられ、その都度幕府はその対応に追われた。
実際、江戸時代にはいくつか大きな改革が行われた。一つは8代将軍徳川吉宗による「享保の改革」である。吉宗はとにかくなりふり構わず富を幕府に集中させることを考えた。庶民には倹約をきつく求め、年貢を厳しく取り立ててまずは幕府が財政的に潤い、庶民の生活改善はその次にしようとした。
つまりは「幕府ファースト」であり、この姿勢に庶民からは反感の嵐となった。結局、彼の改革はうまくいかずに失脚し、次に大ナタをふるったのは10代将軍徳川家治の側用人、田沼意次だった。田沼改革とも称され、彼は裕福な商人や、その連合体である「株仲間」から多額の税を取ろうとした。今でいう高い法人税の徴収である。
現代でも国民は「税金はお金のある所から取ってくれ」との思いがあるが、田沼はまさにそれを実践した。「取れるところから取る」考えは現代でも納得できる税金徴収の手法であり、そこに文句を言う人は少ない。また、蝦夷地(北海道)や印旛沼を開拓して広大な土地を耕せるようにした。貿易ではあわびやナマコ、ふかひれなど「俵物」と呼ばれる特産物を外国あてに売って利益を得、幕府財政を立て直した。
田沼時代は賄賂がはびこったというブラックなイメージが強いが、裏を返せば賄賂を贈るだけの財があるのなら、それは受け取り、多少その見返りをしてやるのは至極合理的な考えでもあるとも言える。現代でも企業に寄付をすれば何かしらのクーポン券をもらえるし、株主になれば優待割引券がもらえる。
江戸時代を通じて最も合理的かつ特効薬的な改革をしたのは田沼ではないかとも思う。この田沼時代の後には松平定信による「寛政の改革」、水野忠邦による「天保の改革」なども行われたが、そのいずれもが極端な倹約を庶民に求め、決して評判のいいものではなかったし、庶民を苦しめただけで成功もしなかった。
こうした江戸時代の財政難対策は現代にも通じるものがある。今でも国家財政が窮すると政府はまず税金を上げることを考える。そして逆に年金や社会保障などの支出を削減しようとする。財政を立て直すには「支出を減らして収入を増やす」というシンプルな方法しかないのは、今も昔も同じではあるが、それが行き過ぎると社会全体に閉塞感が蔓延し、国民はさらに消費を控えてしまう。
江戸時代は政権自ら庶民に倹約を命じたが、現代は言われなくても国民は節約せざるを得ない。年貢が増えたのと同じように消費税は増えていく。ある政党が減税を求めると、「国家財政が窮するから消費税減税はしない」と、幕府ファーストならぬ政府ファーストの答弁をする。これでは江戸時代中期となんら変わらずなんの進歩もない。せめて田沼意次のような大胆な大ナタを振るう政治家が現れてくれるのを期待するのは私だけだろうか。(有希聡佳)
2025年03月10日 第7291号
たまには古いものを紐解いてみよう
本紙が発行される3月10日は「サボテンの日」。岐阜県瑞穂市で大規模なサボテン園を経営する、株式会社岐孝園によって制定された。
3月10日にしたのは、「サ(3)ボテン(10)」という語呂合わせから。また、サボテンは3月に花を咲かせることも由来となっている。サボテンに関する情報を発信することで、サボテンの特徴や魅力を多くの人に知ってもらうことを目的に制定されたという。
サボテンで思い出される歌が2つある。1つは、小学校の頃に音楽の授業で歌った「赤い河の谷間」という歌。アメリカ民謡で小林幹治の訳詞(他にも阪田寛夫版や早川義郎版などの訳詞がある)。英語の原題は「RedRiver Valley」。
小林氏の訳詞で「昼なお暗い森よ」という一節が出てくる。小学校での音楽の授業で歌を歌う場合、覚えるまでは歌詞を見るが、歌詞だけを見るよりは、メロディーラインの楽譜が書かれていて、その下に書かれている歌詞を見ることが多かった。その楽譜の下に書かれた歌詞は漢字ではなく平仮名だった。
メロディーラインとの兼ね合いで、平仮名で書くと「ひるなーおくらーいもりよー」となる。当時、小学生だった自分は、この平仮名だけを辿り、「ひるな」「おくら」「いもりよ」という風に頭の中に入ってきた。「おくら」・・・食べ物のオクラ?「いもりよ」・・・両生類のイモリ?「ひるな」・・・はて?「ひるな」って何ぞや?といった感じくらいにしか捉えていなかった。その後、長い年月を経て、大人になってからふと思い出して歌詞を改めて見て、昼間でも暗い森を表現した一節であることを理解した。
もう1つの歌は「サボテンの花」。1975(昭和50)年2月5日に発売されたバンド「チューリップ」の通算8枚目となるシングル曲。作詞・作曲は財津和夫さん、編曲はチューリップ。オリコンチャート最高19位を記録している。
それから年月が流れて、大ヒットしたフジテレビ系ドラマ「ひとつ屋根の下」の主題歌として、財津和夫さんのソロシングル「サボテンの花~ひとつ屋根の下より~」として1993(平成5)年4月28日にリリースされた。ドラマの人気も相まって、60万枚以上の売上げを記録するヒットソングとなった。
楽曲とドラマとのタイアップはこの頃、音楽業界においては定番と言っていいくらいになっていた。今、ひいてはこれからブレイクしていくような歌手の楽曲を主題歌とすることも選択肢としてあったと思う。しかし、「ひとつ屋根の下」の脚本を手掛けた野島伸司さんは、「サボテンの花」の歌詞の内容や楽曲のイメージがドラマのテーマに沿ったものであるとして、強くこだわった。
1975年から1993年、実に18年もの年月が流れている。最初にヒットした1975年の時点では、18年後に再びヒットするとは当時誰も思わなかっただろう。本来、この「サボテンの花」は共に暮らす恋人との別れを描いた楽曲だが、それが、歌詞の内容と関係なくても、いくつもの点でドラマのシーンとリンクしているのは見事だなと思った。
ヒットしたもの、ブームになったものは時代とともに熱も冷めていく。大人の事情で静かに消えていくものもある。過去のものは過去のものとして位置付けたままにしてしまわず、それを現代のものと組み合わせてみると、新たな息吹がもたらされることもある。
ふとした時にでも、古いものを紐解いてみると案外、今の、ひいてはこれからの時代に使えそうなものもあるかもしれない。そうした見抜ける力が自分にあったらな、と思っている今日この頃だ。(九夏三伏)
2025年03月03日 第7290号
日本相撲協会100周年と日本郵便
まもなく春の訪れを告げる大相撲春場所が始まるが、今年は大相撲の記念行事が目白押しだ。日本相撲協会が財団法人100周年を迎えたからだ。
相撲博物館では4月17日まで「優勝力士~大相撲この100年」が開催されており、優勝力士に手渡される賜盃(模盃)や優勝額、化粧廻しなど、優勝力士を物語る貴重な資料が並んでいる。両国国技館2階正面側通路には、100年史年表が掲示されている。
大阪・関西万博に合わせ、8月3日には「大相撲万博場所」が、翌4日には「SUMO EXPO 2025」が開催される。10月にはロンドン公演が行われる。
さらに来年6月にはパリでの公演が予定されている。パリで初めて公演が行われたのは、ジャック・シラク氏がパリ市長を務めていた1986年だ。そして、シラク氏がフランス大統領に就任した1995年に再びパリ公演が行われている。シラク氏は大の相撲ファンで、シラク政権時代、在日フランス大使館の仕事の一つは、毎日の取組結果を大統領に知らせることだった。
訪日外国人旅行者が拡大する中で、大相撲に対する海外からの関心も高まっている。日本橋にある荒汐部屋は大きな窓から朝稽古を見学できるようになっており、多くの観光客が訪れるという。
いまや相撲は観光資源として注目されているわけだが、「国技」として継承されてきた相撲の継承発展は日本の伝統文化を守るという点でも重要だろう。横綱土俵入りや塩撒き、四股踏みといった所作は神事に由来し、11代垂仁天皇の時代に出雲国の野見宿禰(のみのすくね)と大和国の当麻蹶速(たぎまのけはや)が対決したのが、その起源とされる。
郵政省時代から、日本郵便は相撲の継承発展を後押ししてきた。郵政省は1978(昭和53)年7月から1979年3月にかけて、特殊切手「相撲絵シリーズ」を5回にわたって発行している。相撲博物館に保存されている約3700点の絵の中から数十点を選んだうえで、郵政審議会専門委員、東京国立博物館の菊地貞夫氏、相撲博物館長の市川国一氏の意見を参考に図柄を決定したという(本誌1978年3月29日号)。
第1集の題材となったのは、三代歌川豊国の錦絵「横綱・秀ノ山雷五郎の土俵入りの図」などだ。江戸時代の力士・秀ノ山雷五郎は、身長164センチ、体重158キロという「小兵力士」のハンデを、不屈の精神で克服し、38歳で横綱まで上り詰めた。
「相撲絵シリーズ」からおよそ40年を経て、2020年5月には大相撲を題材とした特殊切手「日本の伝統・文化シリーズ」の第3集が発行されている。63円切手は、「寄り切り」「上手投げ」などの決まり手や、横綱土俵入りの型「雲竜」「不知火」のイラスト。84円は、「相撲絵シリーズ」同様に相撲を描いた錦絵を題材としており、「秀ノ山雷五郎の土俵入りの図」が再登場した。
明治時代に途絶した錦絵を蘇らせたのが、昭和の横綱大鵬と同じ北海道弟子屈町出身の木下大門さんだ。弟子屈郵便局は2020年から木下さんの相撲錦絵展を開催してきた。
一方、日本郵便とJPビルマネジメントは2015年から2019年まで、東京・丸の内のJPタワー商業施設「KITTE」で、相撲の魅力が体感できるイベント「はっきよいKITTE」を開催してきた。1階アトリウムの吹き抜け空間には、本物の土俵が設置された。例えば、2019年8月の「大相撲KITTE場所」では、炎鵬と遠藤によるトークショー、横綱の綱締めや幕内・横綱の土俵入り、幕内力士による取組が行われた。また、相撲の禁じ手を面白おかしく紹介する初切も披露された。
コロナの影響で、2020年以降、「はっきよいKITTE」は開かれていないが、昨年11月には関東地方郵便局長協会と川崎区内の郵便局が「川崎区内郵便局長杯親善相撲大会」を開催している。
日本郵便は、読売新聞グループ本社と「伝統文化の振興にかかわるプロジェクト」に関する連携協定を2023年8月に締結している。伝統文化振興の一環として、日本郵便が相撲の継承発展に貢献することを期待したい。(酒呑童子)
2025年02月17日 第7288・7289合併号
成功した企業が辿った道
アメリカの南北戦争が終わった19世紀末頃のペンシルバニア州に、ハインツという男がいた。彼は物事を創意工夫して新しいものを作ることに人一倍関心があった。当時のアメリカは戦争が終わったばかりで不景気で、特に食料事情も悪かった。
そのため半ば腐った肉や魚が市場に出回り、購入する側もそれを承知で購入している状態だった。当然味もひどいので、庶民は不味さをごまかすために、有害物質まで含んでいる怪しげな調味料をかけて食べていた。
そんな中、なんとか食べ物をおいしく安全に食べることができないかと考えたハインツは、自宅の台所を改良して実験室とし、さまざまな食材を調合して調味料を作り始めた。
いろいろな香辛料にたまねぎや砂糖、塩、酢などを混ぜ込んでペースト状にし、口当たりが滑らかでのど越しもよく、しかもおいしいものを追求した。人間の口は特に甘いものを美味いと感じる特徴がある。しかしあまり砂糖を入れてしまうと健康によくないため、それに代わるものを探した。
なかなかいい食材が見つからなかったが、ある時試しにトマトを入れてみたところ、トマトの酸味と甘みがちょうど良く、何度も味見をした結果、ついに完成にこぎつけた。「トマトケチャップ」の誕生である。
このケチャップは爆発的に受け入れられ、自分の名前を冠した会社「ハインツ社」を設立して本格営業に乗り出した。現在では年間10億本以上の売り上げを誇り、トマトケチャップのシェアは世界一である。
ところがハインツ社が順調に成長した理由は製品の味だけではなかった。ハインツは、どうすれば自社製品の信頼性を消費者に伝えられるかを考えた。当時は品質の劣る食品が出回っていたため、ほとんどの製品は中が見えないように色付きのガラスや陶器に入れた状態で販売されていた。
そこでハインツは透明なガラスにケチャップを入れて、堂々と自社製品の新鮮度をアピールした。また、どうすれば従業員に気持ちよく働いてもらえるかを考え、工場に当時まだ普及し始めたばかりの電球を使うことにした。
この時代の電球はまだ安全性に問題があり、たびたびショートするうえに、人がスイッチをひねった瞬間に感電することもあった。大統領さえ電球のスイッチを入れるのを嫌がったという逸話もあるほどである。
しかし、ハインツは工場内をすべて電球にすることで作業場を煌々と明るくし、従業員が長時間の作業でも疲れないようにした。また明るくすることで従業員の気持ちも高揚し、作業効率も上がった。他にも様々な工夫を重ね、消費者の信頼と従業員の意欲を高いレベルに維持することに成功した。
まさに商品の品質と消費者の購買意欲と従業員のモチベーションの3つをうまくかみ合わせた末の成功である。こうしたハインツの「ごまかさない」誠実な姿勢が会社を一大企業に押し上げる原動力になった。
こうしてみると、会社の成功というのは単に製品が優れているだけでは難しいことが分かる。その優れた部分を消費者に伝える方法や、従業員の勤労意欲向上など、別の様々な要素が必要になる。また、いつまでも同じ製品にしがみつくわけにもいかず、改良を加えて新商品も出さなければならない。ライバル会社が現れていつ競争状態になるかも分からない。
こうしたいくつものプラスアルファのハードルを乗り越えた先に会社としての成功があり、ハインツを初めとする成功者たちは、一様にこの工夫を繰り返してきた。同時代にスタートしたコカ・コーラ、ケロッグ、ケンタッキー・フライド・チキンなどなどである。
現在の日本でもハインツのトマトケチャップは多くの家庭の食卓に上がっている。ただ日本の文化や伝統からしても、まだまだ調味料といえば醤油やソースが主流である。ケチャップを使う料理はそう多くない。冷蔵庫の中でも隅に追いやられているのが現状のようだ。ナポリタンやオムライスが好きな筆者としては、ケチャップがもう少し食卓の中心に来るよう願っている。(有希聡佳)
2025年02月10日 第7287号
傷ついた人をもっと大切に
世間をにぎわせているフジテレビ問題。説明責任を求める声の高まりを受け、1月17日に開かれた会見は「記者クラブ加盟社だけが参加できる」「動画撮影は許可しない」などの形で行われ、大いに批判を浴びた。
その後、1月27日に再度会見が行われ、午後4時から始まった会見は日付をまたぎ、10時間24分にも及ぶ異例の長時間会見となった。
一連の報道をめぐり、フジテレビの番組では次々とスポンサーが離れ、本来放送予定だった企業CMに代わって、ACジャパンのCMが放送されている。
ACジャパンのCMは、放送予定だったCM枠に空きが生じた場合などに放送される。有事の際や、企業が不祥事を起こした場合や事件・事故などによる場合があるが、今回は各スポンサーが自社の企業イメージ等を勘案し、CM放送の自粛、差し替えとなっている。
現在、主に放送されているACジャパンのCMは、脈を日常的に測ることを推奨するお笑い芸人・なかやまきんに君出演の「なかやま、検脈!」(日本心臓財団)、タレント・ゆうちゃみさんが防災グッズを啓発する「ゆうちゃみの3日ぶん」、こども食堂は誰でも来ていいみんなの居場所というメッセージを伝える俳優・松重豊さん出演の「こども食堂は、あなた食堂。」(全国こども食堂支援センター・むすびえ)、耳の聞こえにくさを感じたら聴力検査受診を呼びかける歌手・近藤真彦さん出演の「往年のアイドル」(日本耳鼻咽喉科頭頸部外科学会)、SNSの噂を鵜呑みにすることに警鐘を鳴らす俳優・嶋田久作さん出演の「決めつけ刑事(デカ)」のほか、新海誠監督の映画「すずめの戸締まり」の主人公で、震災で親を亡くした高校生・すずめが登場する「がんばれ、全国のすずめたち」(あしなが育英会)、目の病気の一歩手前「アイフレイル」を啓発する「アイフレイルの歌」(日本眼科医会)など。
この中でも「決めつけ刑事」は、SNS等で誰が発信したか分からない不確かな情報が拡散し、何の罪も無い人が傷ついてしまう、そうしたことに警鐘を鳴らしている内容となっている。
SNSの普及とともに、ネット上の誹謗中傷も問題となっている。人を傷つける、信じられないような酷い内容の書き込みが多く散見されるようになった。
人間には外言と内言がある。外言は、外に向かって発する、他人との相互交渉のための機能を持つ音声化した言葉。内言は、思考の用具としての機能を持つ、発生を伴わない自分の心の中で用いる言葉。昔も誹謗中傷や名誉棄損はあったと思うが、内言と外言はそれなりにうまく棲み分けができていたように思う。
本来の心理学上の定義とはそれてしまうかもしれないのでご容赦願いたいが、私はネットへの書き込みは、本来的には内言に分類されるものだと思う。しかし、それが外言となって牙をむき、そして人を傷つけてしまっている。
何を言われても動じない強い人もいれば、ちょっとしたことで傷つく繊細な人もいる。中には「ネットの書き込みなんて見なければいい」なんて言う人もいる。防衛機制によって自らを守ることも大切だ。しかし、何よりも無神経に他人を傷つけてしまう、傷つけていることに気付いていない、こうした存在こそ厳しく罰せられるべきだ。
「傷つき傷つけ 傷つけそして傷ついて 残ったものはほんの少しの優越感と 計り知れない虚しさだけ」若い頃に書いた自作の歌詞の一部だが、我ながらそうだと思う。
いっそここはひとつ、日本郵政グループに、ぽすくまが「優しさ」「思いやり」を呼びかけるようなTVCMを作って放送してほしい。 (九夏三伏)
