コラム「春秋一話」
2026年08月17日 第7366・7367合併号
郵便局でちょっとしたお土産を
先日、ある地方の町を訪れた。電車で目的地まで向かい、会場の最寄り駅に到着した。時間に余裕があったので、せっかくの機会だし、近辺を散策しようと思ったが、あまりの暑さで危険を感じたため、ごく駅周辺だけを見て回ることにした。
駅のすぐ近くに、お土産を販売しているお店を見つけたので、入ってみた。店内はこぢんまりとした感じで、品数も多くはなかった。まさにその地の名産というようなお土産はあまりなく、どちらかというとその町が属する県や地方にまつわる商品がほとんどだった。
一通り販売しているお土産を見た後、いくつか購入した。冷蔵の商品で1つ欲しいのがあったが、その後の予定を考えると、猛暑の中をしばらく持ち歩くことになるので、今回は購入せず、他の商品を選んだ。
その後、しばらく歩いたところにスーパーがあり、涼みがてら店内を見て回ると、お土産も売っていた。だが、どちらかというと旅の土産として買うというよりは、贈答用向けのものばかりだった。
スーパーを出て再び歩いていると、コンビニエンスストアがあったので、またまた涼みがてら店内へ。ざっと見た感じ、よくあるコンビニの陳列とそん色なかった。よく見ると小さなスペースながら、お土産を売っているコーナーがあった。品数としては多くはない。全国的に販売しているお菓子のご当地版といった感じの商品がほとんどだった。何も買わずに涼むだけでは申し訳ない気もしたので、水分補給も兼ねて飲料を購入した。
東京駅など規模の大きな駅ではお土産店が何軒も並び、品ぞろえも充実している。店も品も多すぎて迷ってしまい、電車の時間を気にしながら何を買うか決めているくらいだ。
中規模くらいの駅では、小さな店舗でお土産を扱っていたり、直結するコンビニエンスストアにちょっとしたお土産販売コーナーがあるケースが多い。タイトなスケジュールの時など、駅チカでお土産が購入できるのはありがたい。
郵便局でも、東京中央郵便局で様々な限定オリジナルグッズが販売されているほか、東京駅八重洲口近くにある八重洲地下街郵便局でも、女性が心地よく感じる郵便局のコンセプトの下、充実したグッズ類が並んでいる。飲食物よりは雑貨やグッズ類が主となっている。東京を訪れた記念にお土産として、それらを購入していく人も多い。
そうした中で、すでに実施している郵便局もあると思うが、駅から離れているものの、ある程度人が訪れるようなスポットの近くにある郵便局で、旅行などでその地を訪れた人向けに、ロビーにささやかなお土産コーナーがあるといいなと思った。もちろん、郵便局は様々な地にあり、全ての郵便局で同じようなラインナップで商品を取り扱うことは難しいとは思う。
一般的なお土産商品を置いてもいいが、それにこだわらず、地元の人が作ったお菓子や作品、地元の人が育てた野菜や果物、オリジナルのシャツ、タオル、その地ならではのグッズ類など、可能な範囲で構わない。
さらには、ぽすくまや仲間たち、かんぽくん、ゆめちゃん、はりちょがその地とタイアップした商品があるとうれしい。既成の商品に新たにキャラクターデザインを加えるとなると、版権等諸々難しい問題も生じてくるが、オリジナル商品のパッケージにキャラクターのイラストをデザインして、ご当地(郵便局)限定という感じで販売すると、ちょっとしたプレミアム感も味わえる。
日本人は特に「○○限定」といった言葉に食いつく。旅先でちょっと郵便局に立ち寄って、そうした商品を買い求められたらいいなと思う。(九夏三伏)
2026年8月10日 第7365号
逓信建築の先駆者・吉田鉄郎
今年竣工100周年を迎える旧京都中央電話局は、逓信省の技師であり、東京中央郵便局や大阪中央郵便局を手がけた吉田鉄郎の初期を代表する作品だ。洋風建築でありながら、日本の伝統木造建築の手法を取り入れるなど、日本独自のモダニズムの萌芽が見られる。
京都中央電話局は歴史的な価値が認められ、1983年に京都市指定・登録文化財1号に登録された。2001年に旧電話局の外観を維持したまま改修され、商業施設「新風館」として開業、2020年にホテル・店舗・映画館からなる複合施設に生まれ変わった。
今年は吉田鉄郎歿後70年にも当たる。鉄郎は1894(明治27)年5月、富山県東砺波郡福野町(現南砺市)で、五島寛平の三男として生まれた。五島家はもともと郵政との縁が深かった。代々薬種問屋を営んでいたが、鉄郎が生まれる3年前に寛平は福野郵便局の局長に就いていた。また、母ゑくの父小沢宗八は石動郵便局(現小矢部郵便局)の局長だった。
鉄郎は旧制高岡中学校(現富山県立高岡高等学校)を卒業後、美術学校への進学を志望したが、兄の反対にあい断念。旧制第四高等学校(現金沢大学)を経て、1919年に東京帝国大学建築学科を卒業した。この年、吉田芳枝と結婚し、吉田家の養嫡子となっている。
卒業後には逓信省経理局営繕課に入り、1921年から臨時電信電話建設局技師を務め、1924年に逓信省技師となり、東京中央郵便局を始めとする数多くの郵便局、電話局など逓信省関係の建築設計を担当した。
吉田は戦時中の1944年に逓信省を退官し、一旦故郷に戻ったが、終戦後には再び上京し、1946年に日本大学教授に就任した。1947年、宮内省内匠寮の後進である宮内府主殿寮工務課嘱託に就任し、大宮御所御座所の設計を担当した。
吉田は、故郷でも福野郵便局や「山田家住宅」の設計を手がけている。2024年9月には日本郵趣協会が富山県で大会を開催し、高岡いわせの郵便局の吉倉秀樹局長らの引率で、「山田家住宅」などを訪れている(本紙2024年11月11日号6面)。
ドイツの建築家ブルーノ・タウトは「日本で最もすぐれた建築家と言っていい」と吉田を絶賛した。
吉田は、1931年から32年までドイツに留学しており、初期の建築はドイツ表現主義やエストベリなど北欧建築の影響を受けている。しかし、逓信省営繕課の同僚だった山田守は「とにかくあらゆる海外の本から日本の古いものも、全部読んで、そのなかでいいものを研究し、だんだんすすめていって、最後に自分の個性を発揮するという、すなわち創造的な作品へとすすめていったひとです」と語っている。
芝浦工業大学の南一誠名誉教授は「プロポーションを重視し、部分と全体の究極的な調和を目指す設計手法や、隅々まで高い完成度を有した建築をつくる姿勢は、その後、逓信建築、郵政建築の真髄となり、小坂秀雄、薬師寺厚、内田祥哉、高橋靗一らの、日本を代表する建築家に継承されていくように、日本近代建築の普及に大きな影響を与えた」と吉田を称えている。
吉田の功績はそれにとどまらない。彼は1949年に脳腫瘍を患い、すべての職を辞任したが、寝たきり状態の中で『日本の庭園』(ドイツ語)や『スウェーデンの建築家』の口述に最後の力を振り絞ったのである。
『スウェーデンの建築家』には、「もっとも合理的な、もっとも経済的な、かつ、清らかな建築は、きわめて日本的である。・・・・・・この種の建築も、日本人のみでなく、世界の人びとに貢献することができるであろう」とある。
亡くなる1956年9月8日当日まで口述を続け、日本の建築を世界に伝えようとした晩年の吉田については、向井覚氏の『建築家吉田鉄郎とその周辺』に詳しい。同書には、吉田の大学時代からの親友田中正義が語った言葉が紹介されている。
「吉田の闘病中の仕事はわれわれ健康な者のその間になしえたものを遥かにしのぎ、遥かに尊いものであった」(酒呑童子)
2026年07月27日 第7363・7364合併号
郵便局のユニバーサルサービス
6月19日、「改正郵政民営化法」が可決成立した。郵政民営化法が改正されるのは14年ぶりである。もともと国営だった郵政事業が民営化されて約20年。これだけの年月が流れれば当然ながら社会情勢も変わり、それに伴って郵便局にも新たな役割が求められるだろう。民営化の検証と定期的な見直しは必要であり、郵便局を少しでも社会の現状に合致したものにする意味では、当然の改正だと思われる。
大きな改正の一つは「基盤的サービスを日本郵便の本来業務にする」と明文化されたことだ。地方自治体が行ってきた公共サービスを、郵便局でも扱うこととし、それを本来の業務とした。地方自治体の役所や出張所の数は限定的なため、それだけではすべての住民の多様なニーズに応えることが難しい。
そこで、全国津々浦々に存在する郵便局のネットワークを活用して行政サービスを提供することで、郵便局が一層地域に貢献することになったとも言える。郵便局は全国に2万4000あり、このネットワークを活用すれば、こうした基盤的サービスの提供は運用上でも可能と思われる。
一般的に、民間企業は採算の合わない地域から撤退していく。経営効率や利益率が最重要課題だからだ。赤字になれば、その地域住民の利便性に関係なく撤退していく。しかし、ユニバーサルサービスを義務付けられている郵便局は、すべての国民に平等にサービスを提供する責務があり、過疎地で利用客が少なくても、それを理由に撤退することは難しい。民営化されたとはいえ、そこが郵便局と他企業との一番大きな違いであろう。
例えば、郵便局の窓口では郵便・貯金・保険の3事業を基本的に扱っているが、過疎地の郵便局で来客が少なくても、決められた時間は開店していなければならない。これは郵便外務でも同様だ。山間地域に住む住民に、はがき1通を届けるために、多大な時間を費やす場合もある。当然ながら人件費と収益を考慮すれば赤字である。
しかし、そういった地域だからといって配達しないわけにはいかず、すべての人に公平にサービスを提供する。ポストからの収集も同様だ。どんな過疎地にポツンと立っている郵便ポストでも、郵便物が投函されていようがいまいが、定期的に中を確認しに行く必要があり、それを実践している。これが郵政省時代から堅持している「あまねく公平なサービス」の提供であり、現在の「ユニバーサルサービス」の原点である。
どこに住んでいる住民にも、これだけまんべんなくサービスを提供できる組織は、郵便局しかないだろう。このネットワークに地方行政の基盤的サービスを受け持たせるのは効率的であり、今回の改正民営化法の目玉の一つと言ってもいいように思う。
ただ懸念されるのは、少子高齢化で労働者人口が減少傾向にあるなか、郵便局窓口の業務負担がその分増えるということだ。従来の「郵政三事業」から「郵政四事業」になるとも言えるため、要員の増配置が必要になる郵便局も生じるかもしれず、社員への業務研修も求められるだろう。
政府はネットワーク維持のため年650億円程度の交付金を投入することとしたが、これは合理的な措置であろう。郵便局もボランティア団体ではない。民営化した以上収益を上げなければならず、そこに国が新たな公共サービスを義務付けるなら当然のことと思われる。この交付金の在り方については3年に一度検討されるようだが、その時々の郵便局の現状を見ながら柔軟に対処する必要があるだろう。
今回の改正郵政民営化法では、他にもいくつか大きな注目点があり、画期的とも言える。これからまた何年か後に再度改正案が浮上するかもしれないが、世の中の変化とともに郵便局のあるべき役割が変わるとしたら、これからも郵便局をその時代に合った姿にしていくのも地域への大きな貢献ではないだろうか。(有希聡佳)
2026年7月20日 第7362号
社員を守るには~暑さと熊対策
屋外で仕事をする職種は多数あるが、その中でも圧倒的に数が多いのが郵便局の郵便外務社員である。信書による郵便は郵政省時代から独占されているため、他の民間企業が代行することはない。すべてが日本郵便の外務社員に依存している。現在では数万人もの外務社員が日々配達業務にいそしんでいる。
しかし、近年の災害級とも言える酷暑の中、長時間にわたり屋外で仕事をするのは、もはや人命の危機をはらむようになった。最悪、熱中症で命を落としてしまう可能性もある。「暑い中仕事をするのは当たり前」といった、昔ながらの感覚はもはや通用しない。
そんな状況を考慮して、日本郵便は6月1日、熱中症対策を具体的なものにし、社員の健康を守る方針を発表した。「熱中症特別警戒アラート」が発表された地域では、配達や収集業務を原則休止とし、「熱中症警戒アラート」の発信日や気温が40度を超えるような酷暑日は、局長の判断で業務を夕方の涼しい時間帯になるまで延期する対応を取ることになった。
そうなると当然配達の遅延が発生し、配達時間指定の郵便物や荷物は時間通りに配達できなくなる。しかし、現在の過酷な炎天下での配達業務を考慮すると、これからは利用者にもそれなりの負担を受け入れてもらう時代が来たのではないだろうか。ただでさえ人出不足の中で業務遂行をしている郵便外務社員が、これ以上体調不良や熱中症で欠勤となってはますます郵便事業に支障をきたす。さらにはそのまま利用者への利便性の低下に直結してしまう。
本来、郵便局が提供するサービスレベルは忠実に運用し、結束や遅延が生じないようにするのが企業としての責務である。しかし、民営化以来、人出不足をはじめとする様々な理由で土曜日が休配となり、配達にかかる標準日数は1日ほど延長された。配達員への暑さ対策も加われば、郵便の利便性の若干の低下もやむ得ないものとして社会全般に理解を求めるしかない。
日本の真夏期に屋外で仕事をする過酷さを国民全員が理解し、郵便物の配達の仕組みに納得していただいたうえで利用を促していく必要があると思える。サービスレベルの低下は、まず国民の理解を得るところから始まる。
もう一つの大きな危機は熊の出現である。ここ数年、毎年のように熊が市街地に下りてきて、人間を襲う事態が発生している。最近では商店街がある市街地や学校の近くにも出没しており、ひとたび出現すると大騒ぎになる。
たった1頭でもその個体を処分するまで人は安心して外に出られないから余計に厄介である。毎日長時間、屋外で仕事をする郵便外務社員にとっては、それこそ命がけの仕事になりかねない。熊との遭遇で事故が起きてからでは遅い。
なんとか未然に防がなければならず、いつどこで熊が現れるか分からない地域では、熊スプレーなど撃退グッズは必携だろう。根本的な対策にはならなくても、とりあえずの危機を回避することができるように対策を立てる必要があると思う。
そして逆に言えば、毎日多数の社員が路上を往来しているということは、業務をしながら街の見回りも兼ねることができるということだ。自分の安全確保を第一にしながら、万一熊を目撃した場合には速やかに自治体や警察などに情報を提供することができる。そこに地域に根差す郵便局の大きな存在感があるとも言える。
暑さ対策と熊対策。この二つを克服することが、これからの郵便局には求められるだろう。酷暑という自然災害から社員を守りながら、業務と並行して熊の見張りという地域への貢献を行う時代が来ているのではないか。地域に密着した郵便局は、これまで様々な地域貢献施策を実施してきた。これからは熊の目撃情報をいち早く自治体に提供することも、思いがけず新たに生じた大きな地域貢献ではないだろうか。(有希聡佳)
2026年7月13日 第7361号
暑さや体調不良からお客さまを守る
昨年は梅雨明けが全国的にかなり早く、かつ残暑が長く続き、観測史上最も暑い記録的猛暑となった。昨年に限らず、ここ数年の夏の暑さはかなり厳しいものになっている。
今年ももう7月になったが、沖縄が6月29日に、奄美が7月1日に、九州北部・中国・近畿が8日に梅雨明けの発表があった(7月8日時点)。ここ数年と比べると、今のところ幾分しのぎやすい気候となっている。
私はずっと夏が一番好きな季節で、子どもの頃から梅雨明けがいつになるか、最高気温・最低気温などをよくチェックしていた。
今から50年前、1976(昭和51)年の夏は全国的に冷夏だった。冷夏については過去にも本欄で触れたことはあるが、代表的な1980(昭和55)年と1993(平成5)年は、沖縄では普通あるいはそれ以上に暑い夏だった。
ところが、1976年の夏は沖縄も含めた冷夏となった。那覇の記録を見てみると、最高気温が30℃以上の真夏日が6月に7日、7月に6日、8月に26日、9月に7日と、年間で46日とかなり少なくなっている。8月はまだしも、特に6月と7月の少なさが際立つが、それもそのはず。オホーツク海高気圧の勢力がかなり強かった影響が沖縄にまで及んでいたのだ。さらには9月8日の最高気温30・4℃が、この年の那覇の最後の真夏日というのも驚きだ。
東京の記録を見ても、この年は真夏日が年間で31日、夕方から翌日の朝までの最低気温が25℃以上になる熱帯夜に至っては8月に2日観測しただけとなっている。
実は、自分の中で何となく、西暦の末尾が6の年の夏は冷夏や天候不順気味で、暑さはそれほどでもないというイメージがあったので、それぞれの年の東京のデータを調べてみた。
1986(昭和61)年は真夏日が33日、1996(平成8)年は46日、2006(平成18)年は38日、2016(平成28)年は57日となっている。こうして見ると、1996年と2016年はそこそこ暑い夏という印象も受けるが、それぞれ熱帯夜の日数を見ると、1996年は15日、2016年は10日と少なくなっている。つまり、朝晩ある程度は気温が下がるので、日中は気温が上がっても、今ほどの猛暑よりは体感的にマシなのかなと思った。
そして今年は2026年。末尾が6の年だ。東京では真夏日が5月に3日、6月に2日あった。7月は8日の時点でまだ1日しか観測していない。はたしてこの先、梅雨明けはいつなのか、今年もまた猛暑に見舞われるのか、あるいはひと段落するのか気になるところだ。
さて、近年の猛暑を受け、指定暑熱避難施設(クーリングシェルター)の指定を受け、自治体との間で協定を締結する郵便局が増えている。都市部である程度スーパーやコンビニ等がある場所では、買い物をする予定はなくても店内に入れば涼むことができるが、それらがほとんどない所では、郵便局がクーリングシェルターに指定されていると、地域の人たちにとって安心だろう。
大阪府泉大津市では5月に、クーリングシェルターに指定されている郵便局の社員等を対象にした熱中症対応の研修が行われた。これはすごく大切だと思う。来局者に声をかけて体調等を把握し、ソファーに座ってもらう、水分補給をしてもらう、状態によっては救急車を呼ぶなど、判断が難しい部分も出てくるだろう。
郵便局によってロビーの広さやレイアウトも異なるので、そうしたことも踏まえながら、暑さで体調がすぐれない、一休みしたいな、そんな時に、郵便局が誰にとっても、気兼ねなく安心して休める場所となることを願う。(九夏三伏)
2026年7月6日 第7360号
明文化された郵便局長の地域貢献
6月19日に成立した改正郵政民営化関連法のポイントの一つは、少子高齢化、過疎化が進行する地域の住民の生活支援である。生活に必要なサービスを受けることが困難になりつつある人たちを救うということだ。
支所・出張所の統廃合が進み、生活必需品を購入するための店舗、医療機関、金融機関などの撤退も進んでいる。住民の生活を支えてきた公共交通機関の廃止も加速している。
このような状況に対応し、日本郵便株式会社法を改正し、基盤的サービスを日本郵便の本来業務に追加した。基盤的サービスは、公共サービスその他の地域住民が日常生活、社会生活を営む基盤となるサービスと定義されている。また、日本郵便による地域貢献業務の実施を努力義務とし、日本郵政に、地域貢献業務の費用の一部に充てるため、金融2社の株式の売却益等を原資とする地域貢献基金を設置することを定めた。
郵政民営化法を改正し、日本郵政と日本郵便が、基盤的サービスを受けることができる環境の維持に資するため、地域における需要に応じ、郵便の業務等に係る経営資源が活用されるようにした。
法案作成に尽力した国定勇人衆議院議員は、明治以来脈々と続けられてきた郵政三事業に、新たに基盤的サービスの提供が加わり、「郵政四事業」へと変貌を遂げていくことが、法文で表現されたと語っている。
法案成立までの過程で、野党を含む国会議員の多くが、郵便局が「地域の最後の砦」として地域住民の生活を支えている現実を改めて理解したことは大きな成果と言えるだろう。
法案成立を控え、日本郵政グループがまとめた中期経営計画も「生活サポートサービスの展開」を重点戦略として掲げ、「地域のニーズに応じた地域のインフラ維持機能や、お客さまのニーズやライフステージに応じてお客さまの暮らしを支えるサービスを提供することで、地域の生活を支える生活サポート拠点としての機能を発揮」と明記した。
そして、「『最後の砦』として、地域の生活基盤を支え続ける役割を担い、地域住民の生活をサポートする」「地域の課題を解決し、持続可能な魅力ある地域づくりを推進する」「買い物支援が必要な地域において、日用品等の購入をサポートする」「シニア向けサービスを一元化し、特に相続関連サービスを一気通貫に提供する」との方針を掲げた。
国定議員は、郵便局長が果たしてきた公的な使命が法律に書き込まれた意義を強調する。また、法案成立に力を尽くした長谷川英晴参議院議員は、郵便局長は地域の役に立ちたいという純粋な思いから、自らの負担によって地域に溶け込むための様々な努力をし、交通安全、防犯、清掃など自発的に地域住民の生活を守る活動に力を尽くしてきたと強調する。
我が国の郵便制度は、前島密翁による1871(明治4)年の創業に始まるが、当初、資金力の乏しい政府に代わり、率先して土地や建物を無償で提供して事業を支えたのは、住民からの信頼が厚かった各地の名士や名望家だった。
その伝統を引き継いで、地域密着の姿勢を堅持し、献身的な地域貢献を続けてきたのが、特定郵便局長にほかならない。
全国郵便局長会の会則には、目的の一つとして「地域社会の発展に寄与する」ことが明記されている。
特定郵便局長は、常に軸足を地域社会に置き、「地域への奉仕」に心血を注ぎ、地域貢献を通じて地域社会の経済や文化の振興、活性化に力を尽くしてきた。
これまで郵便局長、郵便局が行ってきた地域貢献活動は、清掃活動、交通安全、詐欺被害防止、防犯パトロール、防災指導、福祉施設への協力、名産品を活かした町おこし、手紙の書き方教室、耕作放棄地の再生、地場産業の振興など多岐にわたる。
局長が地域に溶け込み、地域に密着してきたからこそ、住民が抱える課題をいち早く把握することができる。
法改正を機に、地域住民の生活を守る郵便局の活動の新たな展開に期待したい。 (酒呑童子)
2026年6月29日 第7359号
静寂と美を浮き彫りにするもの
「古池や蛙飛び込む水の音」
この俳句は誰でも耳にしたことがあるだろう。松尾芭蕉が弟子の曾良とともに東北を旅した時に詠んだもので、非常に奥深い余韻が耳に残る名句である。
単純に言葉だけ解釈すれば、「古い池にカエルが跳び込んでボチャンと音がした」というだけである。しかし、この句の何が凄いかといえば、静寂を音で表現したことにある。
何か音がした時に、それを別の音に例えて表現することはできる。しかし何も音のない静寂を表現するのは困難である。音のない世界をどうやって表現するのか。それを芭蕉はカエルが池に飛び込む音で表現した。
この発想がまず秀逸だ。静寂と音は全く正反対の存在である。音があればもはや静寂とは言わない。逆に静寂であれば音があるはずがない。この相反する二つを組み合わせて、池の周辺に漂う静謐な空気を表現した。
こうした技法が芭蕉を句聖と言わしめる根拠にもなっているが、静寂や美しさというのは、それだけでなく、それを邪魔する存在があって一層それが浮き立つように思う。
「閑(しず)けさや岩にしみいる蝉の声」
この句もしかり。芭蕉が東北路を歩いている途中で、山寺で一息ついて休んでいる。あたりはシンとして物音ひとつしないが、近くの岩に蝉が止まっている。蝉がいるのだから季節は夏だ。その暑い最中に蝉の鳴き声を聞いた。そして、それが静寂を一層深いものにし、芭蕉の心の静けさも無限に広がった。
つまり本来は邪魔であるはずの蝉の鳴き声が、逆に静寂を引き立てたのである。これら俳句の例は「静寂」に関してだが、もうひとつ「美しさ」についても同様に言える。
戦国時代の禅寺に、まだ若いお坊さんがいた。彼は毎朝境内や参道を箒で清掃するのが日課だった。しかし、秋などは落ち葉が大量に地面に積り、きれいにするにも骨が折れる。
そこで何人かのお坊さんたちで手分けして落ち葉掃きをするのだが、寺の住職が点検すると、いつも例のお坊さんが清掃した一画が一番美しくなっていたそうだ。
しかし、他のお坊さんもきちんと清掃していたことに変わりはない。なぜいつも彼が清掃した場所が一番きれいに見えたのか。それは彼が意図的に落ち葉を数枚だけ地面に落ちたままにしていたからだった。
まったく何もなく綺麗に掃き清めるよりも、落ち葉が数枚そのまま地面にあった方が美は強調される。美とはこうしたちょっとした邪魔が入ることで強調される側面がある。
美しさを表現する芸術家などは誰に教わるでもなく、おそらくこうした美意識を無自覚にも常に持ち合わせて表現できるのだろう。いわゆる名画といわれる絵や傑作と言われる彫刻なども、どこか不要な線や傷が付いていた方が鑑賞する側に強く訴える力を持つのではないだろうか。
このように「静寂と音」「美と落ち葉」など、本来的には相反するもの同士を組み合わせることで、お互いが浮き彫りになる場合がある。こうした美の表現様式の先駆者たちには脱帽するしかないが、私たちが普段よく耳にしたり目にしたりする物にも、似たような日本的な独特の感性が案外隠れているのかもしれない。
先に挙げた俳句の他にも、短歌や川柳、芸能では能や狂言や歌舞伎、芸術作品では音楽や絵画など多岐にわたるが、なんとなく知っていながら実はよく分かっていないことは多いに違いない。
私たちは日頃からこうした日本的感性に接することも多い。日本的な情緒や侘び・さびの世界、江戸情緒、京都の雅、四季の移ろいなどもある。せっかく情緒あふれる国に住んでいるのだから、時には日本の文化や美意識について思いを巡らせてみると、なるほどと理解できることに出会えるかもしれない。(有希聡佳)
2026年06月15日 第7357・7358合併号
会社の名前に込められた願い
世の中には実に様々な会社があり、当然ながらそれぞれに名前がある。その名前は創業者が決める場合がほとんどだが、決め方にも様々な経緯がある。創業者の願いが込められたネーミングもあれば、語呂合わせでできた名前、会社の理念を元にしたものもある。私たちが当たり前のように思っている名前も、実はその会社のカラーを表している場合も多く、起源を知るとなるほどと思う。
例えば「任天堂」だ。この会社はファミコンで大ブレークし、今では知らない人はいないが、元々は花札を作るところからスタートした。花札はいわば博打である。博打は勝つか負けるかは時の運で、会社も成功するか失敗するか運を天に任せるしかない。そこで会社の運を「天に任せる」という意味で任天堂と命名された。
また、おむつなどを製造する「P&G」も似たような発想から付けられた社名だ。「P」はプロテクターのPで、「G」はギャンブルのGである。要するに会社は守りとギャンブルが必要だという発想から名づけられた。
また国民への願いを込めて作られた会社名もある。例えば「カルビー」である。カルビーといえばポテトチップスやえびせんで有名だが、この会社が作られた戦後は食糧事情が悪く、国民はカルシウム不足になりがちだった。そこでカルシウムとビタミンB1を摂って欲しいという願いから、その頭文字をくっつけてカルビーになった。
「カルピス」も同様だ。栄養を手軽に摂取できる飲み物を開発し、カルシウムのカルとサンスクリット語で美味しいを意味する「サルピス」のピスをくっつけてカルピスになった。こうしてみると、会社の命名時に創業者が頭をひねった様子が目に浮かぶようで面白い。
ついでに書くと、醤油会社の「キッコーマン」は亀の縁起良さに名前の由来があり、亀の甲(キッコー)と「鶴は千年、亀は万年」の万(マン)を組み合わせてキッコーマンになった。歯磨き粉や洗剤で有名な「ライオン」は、ライオンの牙は非常に丈夫だから歯磨き粉にふさわしいということで、そのままライオンになった。事務用品の通販会社「アスクル」は、注文したら「明日来る」からだ。
他にも、単純に語呂合わせでできた会社名に「花王」がある。もともと洗顔用の石鹸を作る会社だが、「顔」では会社名にならないので、華やかな文字の「花王」に書き換えて会社名とした。衣料品で急成長したGUは「自由」をアルファベットにしたもの、カメラのミノルタは米が豊作になる状態をイメージして「実る田」がミノルタになった。
タイヤメーカーでは創業者の石橋正二郎の「石橋」をストーンとブリッジの英語にし、それをひっくり返してブリジストンになり、酒造メーカーでは赤玉ポートワインの赤が太陽(サン)を連想させ、創業者が鳥井という苗字だったため、サントリーになった。
変わった所では「ダスキン」。家庭用清掃用具を作る会社で、最初はそのまま「ゾウキン」という名前になるはずだった。ところが社員から「それではイメージが悪い」と反対論が沸き上がり、結局ゴミを意味する英語「ダスト」のダスを採用してダスキンになった。
さて日本郵政グループの各社はどうだろうか。民営化時に、どんな会社名にしようか経営陣は相当迷ったに違いない。民営化後も国民生活に密着したサービスを提供する会社だ。なるべく親しみやすい名前にしようと思ったのだろう。
したがって、誰もが知っている郵便局の窓口サービスを提供する会社をそのまま「郵便局会社」とし、物流や配達など郵便事業を受け持つ会社を「郵便事業会社」、貯金と簡保の金融2社はひらがなで「ゆうちょ銀行」「かんぽ生命保険」と分かりやすくした。
この「親しみやすさ」を理由として名前を付けた会社は、他になかなか見当たらない。日本郵政グループ独自のものだ。郵政民営化から約20年。郵便局会社と郵便事業会社は統合して「日本郵便」になったが、この親しみやすさが国民に十分浸透し、それぞれの会社がその分野を代表する企業として在り続けることを願う。(有希聡佳)
2026年6月8日 第7356号
郵便局ブースをさらに充実させよう
全国各地で様々なイベントが一年を通して行われ、郵便局長・社員・郵便局・支社等が参加する機会が増えている。中でも、郵便局としてブースを出展して、イベントを盛り上げるケースがよく見られる。
EVバイク、EV車両、郵便バイクを展示して、子ども用の制服を用意して、子どもが実際に着用して郵便屋さんになって記念撮影をするコーナーは人気だ。
子ども用の制服だけでなく、ぽすくまの帽子やスカーフ、カバンを用意して、ぽすくまになりきって記念撮影できる施策が、最近多く見られ、こちらもまた人気となっている。
ぽすくま(や仲間たち)がブース前に登場し、訪れた人たちとふれあい、記念撮影に応じる場面はこれまで多々見てきたが、やはりぽすくま人気はすごい。2012(平成24)年9月21日の誕生以来、ぽすくまの知名度もすっかり高まり、子どもだけでなく世代を超えて愛されていると言っても過言ではないと思う。
物販コーナーでは、つぶらなシリーズをはじめ、レトルトカレーなど、イチオシの物販商品を販売しているほか、郵便・貯金・保険の商品等をPRする場面も多く見られる。「郵便局ではこんなものも売っているんですね」と、その場で初めて知る人もいる。イベントに来た人の中で、郵便局を普段ほとんど利用していないという人たちに対しても、大きなPR効果があると思う。
3月14日に有明ガーデン(東京都江東区)で開催されたイベント「TOKYOキッズフェスタ ありあけ乗り物ガーデン」では、東京支社と東京都東部地区連絡会が初出展し、車両展示や体験コーナー、物品販売を実施した。
この中で、「目指せ!郵便配達員!~まちがえないで!おてがみ種類わけ~」と銘打って、郵便配達員の手紙仕分けを体験するコーナーがあった。ぽすくまと仲間たちの絵柄が描かれたはがきを、同じ絵柄のマスを探して入れる、というものだ。日本郵便が主催する子どもたちの職業体験イベント「みんなの郵便局」における、郵便物の区分作業も良いが、まだ字が読めない小さな子どもでも楽しめるようにと、「ぽすくまと仲間たち」の絵柄のはがきを取り入れた。30秒という制限時間が設けられ、どれだけ速く正確に仕分けができるかを目指して行われ、子どもたちはみんな真剣なまなざしで挑戦していた。
このイベントではほかにも、会場で「郵便局アプリ」をその場でダウンロードした人、または既にダウンロードしている人へ、オリジナルのステッカー(電動軽四輪〈ぽすくま〉のデザインなど)をプレゼントした。他では売っていない、その場でしか手に入らないものは、もらった人にとっても嬉しいものだ。
各地でのイベントにおけるワークショップを見ると、使用済み切手や小型印等を使用して、その場でオリジナルの缶バッジを簡単に作ることができるコーナーも人気となっている。ものづくりが好きという子どもは多いので、ぽすくまの絵柄を使用したり、著作権上問題がないキャラクター等の絵や写真を使って缶バッジを作るなど、可能性はまだまだあると思う。
これまでに見た手紙ワークショップの中で、うちわに手紙を書いて送る「うちわレター」、ホタテの貝殻に手紙を書いて送る「ホタテレター」、ペットボトルに小物やメッセージカードなどを入れて送る「ペットボトル郵便」などが印象的だった。ポストカード以外のものに手紙を書いて送ると、インパクトも強いだろう。
郵便局、郵政事業の大いなるPRにもつながる、イベントでの郵便局ブース。各地でさらに〝ワクワク〟させてくれることを期待したい。 (九夏三伏)
2026年6月1日 第7355号
フランス郵政公社が主導の介護予防
「団塊ジュニア世代」が65歳以上となる2040年には、医療費・介護費は89兆円に拡大すると予想されている。しかも、「医療・介護難民」の問題が深刻化する。厚生労働省は、このような状況に対応し「地域包括ケアシステム」を深化させ、医療・介護の一層の連携を図り、医療・介護・予防・生活支援などを包括的に確保しようとしている。
こうした中で、昨年10月上旬から今年1月上旬まで、北海道十勝郡浦幌町(浦幌郵便局、吉野郵便局、厚内郵便局)で「郵便局を拠点とした医療・流通一体型健康推進モデル実証」が行われた。医療については、郵便局を拠点に「運動習慣の定着の促進」(歩行アプリを活用し、歩数に応じた地元商品券や特典と交換できる仕組みの構築)と「オンライン健康相談」(簡易健診イベントの開催や保健師や管理栄養士等とのオンライン相談)を実施した。
また、昨年10月上旬から12月中旬まで、兵庫県西宮市(西宮郵便局、西宮荒木郵便局、西宮笠屋郵便局)で「郵便局を拠点としたデジタルインクルーシブで健康的な高齢社会の実現に関する実証事業」が行われた。郵便局を健康づくり拠点として活用し、フレイル(加齢により心身が衰えた状態)をチェックしたり、体脂肪、筋肉量、水分、ミネラルなど定量的に分析し、体のバランスを評価する体組成測定をしたりする。そうした検診結果を活用して、ウェアラブル端末を貸与し、住民の自発的な健康づくり活動を促進する試みだ。
医療・介護における郵便局の活用で重要な示唆を与えるのが、フランス郵政公社(ラ・ポスト)の取り組みだ。いまやラ・ポストは、医療・介護分野のリーディング・カンパニーと位置づけられている。
ラ・ポストは、郵便配達員による高齢者のみまもり、高齢者への食事の配達サービスを展開する一方、2016年には家事・育児代行サービスのアクセオ・サービシズを、2017年には在宅医療介護サービス大手のアステン・サンテを傘下に収め、医療・介護分野の事業を推進してきた。
そしていま、同社は介護予防で大きな存在感を示しつつある。フランスは世界保健機関(WHO)が2017年に開発した「ICOPE(高齢者のための包括的ケア)プログラム」を、医療・介護の分断を防ぐ地域包括ケアの基盤として実装している。ICOPEは、自立して自宅で生活している65歳以上の高齢者を対象に、介護依存を遅らせるために、虚弱状態を早期にモニタリングすることを目的としている。ICOPEでは、6つの機能(認知、移動、活力、視力、聴力、心理機能)を評価し、一人ひとりに適したケアプランを作成することで、自立した生活の維持と健康寿命の延伸を図る。
ラ・ポストは、すでに2020年からICOPEの世界的拠点であるフランスのトゥールーズ大学病院とICOPEプログラムで協力してきた。同年9月には、南西部のオートガロンヌ県で、郵便局員が高齢者を対象とした虚弱度評価を実施した。地域住民に信頼されている郵便局員だからこそできる取り組みだと評価されている。
同社は、高齢化が進むコレーズ県では昨年10月から今年3月まで8000人の高齢者を訪問して虚弱度評価を行い、さらに虚弱の要因を予防・特定するための情報提供と支援を目的としたワークショップを実施した。
さらに同社は、高齢者がICOPEに基づいて自己評価することができるアプリケーション「Digicope」を開発、南東部のイゼール県で、2027年までに1万人以上の高齢者がアプリをダウンロードし、自己評価できるようにする計画だ。
ラ・ポストはトゥールーズ経済学院との共同調査に基づき「郵便ネットワークを駆使した虚弱度評価は、費用対効果の高い予防医療を提供するための絶好の機会となる」と評価している。フランスでは、郵便局こそが介護予防を国民に浸透させるための重要な拠点になるとの考え方が共有されつつあるのではないか。我が国が参考にすべき点は少なくない。(酒呑童子)
