コラム「春秋一話」
2026年05月11日 第7352・7353合併号
ぽすくまとご当地キャラとのコラボを
本紙が発行される5月11日は「ご当地キャラの日」。ご(=5)、とう(=10)、ち(=1)の語呂合わせで、平成26(2014)年に一般社団法人日本ご当地キャラクター協会が制定した。
よく「ゆるキャラ」という言葉が使われるが、こちらは平成16(2004)年にエッセイスト・みうらじゅん氏が考案し、扶桑社とみうら氏により商標登録されている。
ご当地キャラクターは、地域の魅力を発信するためのマスコットキャラクターで、ゆるキャラに含まれる、という見方もできる。この辺を細かく定義づけるときりがないので、以下「ご当地キャラ」と「ゆるキャラ」が混在することをご容赦願いたい。
ご当地キャラの元祖といえば、「ひこにゃん」がパッと思いつく。ひこにゃんは、平成18(2006)年に国宝・彦根城築城400年祭のキャラクターとして誕生し、生誕20周年を迎えた、滋賀県彦根市のキャラクターだ。江戸時代の彦根藩2代目藩主・伊井直孝にゆかりのある1匹の白猫がモデルで、「ゆるキャラ」ブームの火付け役とも言われ、全国的にも人気だ。
その後、全国各地で次々といろいろなご当地キャラが誕生している。平成22(2010)年にデビューし、昨年15周年を迎えた熊本県PRマスコットキャラクター「くまモン」。今までに何回か実物を見たことがあるが、愛くるしさに加えてすばしっこさなどもあり、こちらもまた全国区の人気となっている。
そんな中、「しゃべる」キャラクターが登場した。千葉県船橋市の非公認キャラクター「ふなっしー」だ。平成24(2012)年頃に誕生し、それまでのご当地キャラ・ゆるキャラとは違う斬新なスタイルで、瞬く間に全国に知れ渡り、ある意味キャラクター界に革命を起こしたと言われている。
なお、船橋市の松戸徹市長によると、公認するとふなっしーの活動に制限が出る等の理由で、公認はしていないものの、その存在は認めており、事実上の準公認状態となっている。
昨年開催された日本国際博覧会(大阪・関西万博)の公式キャラクター「ミャクミャク」は当初、気持ち悪いだのなんだのクソミソに言われていたが、万博が開幕すると人気が急上昇。万博閉幕後もグッズ類の販売やモニュメントの設置、さらには写真集まで販売されている。
平成23(2011)年に登場し、今年で15周年を迎えた愛媛県のイメージアップキャラクター「みきゃん」。みきゃんは平成28(2016)年に愛媛県松山市で開催された「ゆるキャラグランプリ」では、地元開催ながらエントリーを辞退して、全国から訪れる多くの人たちに楽しんでもらうため、おもてなし役に徹した。
なお、この前年には、イベントを盛り上げようと、ライバルキャラクターである「ダークみきゃん」がデビュー。みきゃんの足を引っ張る、いわばヒール役としてちょいちょい登場している。
松山でのゆるキャラグランプリで、企業・その他部門で優勝したのが、日本郵便のオリジナルキャラクター「ぽすくま」だ。ぽすくまは平成24(2012)年9月21日に発行された切手「秋のグリーティング」のためにデザインされた。9月21日はぽすくまの誕生日だ。
ぽすくまは各種イベント等に登場し、今では子どもも親も「あ!ぽすくまだ!」と名前で呼ぶなど、知名度も大いに上がった。最近ではテレビCMにも登場している。
全国各地で様々なイベントが開催され、ご当地キャラが登場するケースも多い。ぽすくまと仲間たちの知名度を生かし、そうしたイベントにどんどんコラボ参加して、地域を大いに盛り上げていってほしい。(九夏三伏)
2026年5月4日 第7351号
郵便局が担う集落支援員業務
総務省は、集落支援員の活動の充実を目指し、初めての指針を今年度中に作成することを決めた。こうした中で、郵便局が集落支援員業務を受託する動きが広がりつつある。4月には、青森県で初めて風間浦村から、岐阜県で初めて飛騨市から、九州で初めて熊本県球磨郡山江村から(2面参照)受託している。
集落支援員制度は、早稲田大学の宮口侗廸教授が座長を務める、総務省の過疎問題懇談会が2008年4月にまとめた提言をきっかけに制度化された。提言は、過疎地域などに存在する集落の機能が損なわれつつあるという強い危機感を示した。
人口減少と高齢化が加速する中で、多くの集落で地域住民同士が相互に助け合いながら生活の維持・向上を図る生活扶助機能が損なわれつつある。そして、生活交通手段の不足、空き家の増加、森林の荒廃、耕作放棄地の増加などの問題が深刻化しつつある。
提言は、このような認識のもと、集落の住民が集落の問題を自らの課題としてとらえ、市町村がこれに十分な目配りをしたうえで施策を実施していくことが重要だと指摘し、「市町村行政が集落の現状に絶えず目配りをし、住民の声を幅広く吸い上げて施策に反映させる中で、住民と行政の強力なパートナーシップを形成していくことが強く望まれる」と説いた。
そして、行政経験者、農業委員など農業関係業務の経験者、経営指導員経験者、NPO関係者など地域の実情に詳しい外部人材を活用し、市町村に「集落支援員」(仮称)を設置することを提案したのである。
集落支援員の役割として、市町村職員などと協力し、集落への「目配り」として、集落の定期的な巡回、生活状況、農地・森林の状況などの把握を行うこと、さらにきめ細かな「集落点検」を行い、集落の現状の把握を行うことや、集落のあり方の話し合いへの参加、集落の維持活性化に向けた取り組みについて、市町村と協働して取り組むことを挙げた。集落支援員制度はこの提言に沿ってスタートした。
集落支援員は新たな制度だが、もともと郵便局長は「集落支援員」としての役割を果たしてきたとも言える。
集落支援員には、本業として行う専任と、他の業務と兼務しながら活動する兼任とがある。総務省は、地方自治体に対して特別交付税による財政手当(専任は350万円、兼任は40万円を上限)によって支援する。2025年度に専任は3270人、兼任は3145人。
総務省は、2023年3月に郵便局を活用した地方活性化方策を公表し、元郵便局員等の集落支援員への活用を検討する考えを示していた。そして、長谷川英晴参議院議員は同年11月9日の参議院総務委員会で「元郵便局社員が集落支援員となることで、地域の問題解決や住民の交流促進に貢献できると考えられる」と述べ、元郵便局社員の集落支援員としての活動状況について質問した。
総務省の山越伸子大臣官房地域力創造審議官は、佐賀県基山町の集落支援員として活動している元郵便局員が住民の利便性を向上するごみ集積場の配置見直しなどに取り組んでいる例を示し、「総務省として、地方自治体や日本郵便に対してこうした事例の周知に努め、地域に根差した元郵便局員の力を生かした集落支援などの取り組みを推進していく」と答弁(本紙2023年12月4日号2面)。
これを契機に郵便局が集落支援員業務を受託する機運が高まり、2024年には近畿支社が自治体への働きかけを開始した。昨年4月に日本郵便東北支社が全国で初めて集落支援員業務を山形県西川町から受託した。同年5月には近畿で初めて滋賀県大津市から、10月には中国で初めて島根県奥出雲町から、11月には沖縄県で初めて渡名喜村から受託した。
東北地方郵便局長会の三浦寿明会長は、西川町での集落支援員の取り組みを紹介したうえで、「ほかの地域でも展開していきたい」と述べている(本紙2月2日号1面)。集落支援員業務における郵便局の存在感がさらに高まりそうだ。(酒呑童子)
2026年4月27日 第7350号
「みんなの郵便局」に思う
2021年度から、日本郵便が「みんなの郵便局」を全国各地で始めた。これは子どもたちに郵便局に親しんでもらう目的で、大きな体育館などの会場に模擬郵便局を作り、子どもが郵便局員になって窓口業務や内務業務、配達業務を経験してもらうものだ。
子どもたちは郵便局の制服、制帽を身に着け、本物の社員の指示を受けながら郵便局の仕事を体験する。そして体験ごとに台紙にスタンプを押してもらい、最後にスタンプを給料として記念品と交換する。
この取り組みは、子どもたちが遊びながら仕事体験ができ、郵便局側も地域の人たちに郵便局に親しんでもらえる機会として大きな意味を持っている。保護者も自分の子が一生懸命に郵便物を区分したり配達したりする姿を見て成長を確認できる。
つまり主催者と子ども、保護者いずれにも意義ある施策になっており、開催するたびに大いに盛り上がる。実際に毎回、募集開始とともに多数の応募者が殺到し、ほぼ即日で締め切りになってしまうらしい。2026年3月現在、すでに37回に及んでおり、北海道から沖縄までまんべんなく開催されている。参加者は累計で2万5000人を超えているそうだ。
この取り組みは、次世代を担う子どもたちに、郵便局の存在をしっかりと認識してもらう絶好の機会になっていると思われる。他の銀行などではあまりこうした取り組みは見られない。大人相手のビジネスオンリーの金融機関がほとんどであろう。
「みんなの郵便局」のような施策は地域に密着した郵便局ならではの取り組みであり、手紙文化を継承する大きな手段ともいえる。
デジタル化が急速に進展している現状では、いずれ手書きの手紙がますます衰退し、貯金や保険もますます他者との競合が激しくなるかもしれない。彼らの保護者世代にしても多くが平成時代の生まれで、保護者自身が手紙を書いた経験が希薄になっている。
親から子どもに伝えることが困難になっているのなら、郵便局が手紙文化を継承するしかないが、繰り返しこうした活動をすることで、「郵便局」の存在やその字づらから来るイメージが、子ども世代に定着するのではないだろうか。
一方、音楽業界に目を転じると、アナログレコードが復活の兆しを見せているそうだ。音楽を聴くには昔はレコードしかなかったが、それがやがてカセットテープになり、後にCDになった。しかし、それも今ではサブスクにシェアを奪われてしまい、物理的な音源は消滅しかかっている。
ところが日本レコード協会によると、最近になってアナログの良さが見直され、急激にレコード盤が売れ始めているらしい。売上高は10年前の25倍になっているという。これはデジタルしか知らない世代がアナログの良さに気づき、めぐりめぐって逆にアナログが新商品になった現象ともいえるのではないか。
この現象は郵便にも当てはまるように期待したい。メールやLINEしか知らない世代が、時代がめぐって手紙を書いて送る面白さに気づけば、「郵便」は新商品になる。それがSNSを介して全国的に広まることで、郵便の復活も十分あり得るのではないだろうか。そうなれば地域に根差した活動をしてきた郵便局の存在が今一度見直されるはずである。
「みんなの郵便局」はこうした将来を見越した活動でもあり、その地盤固めでもあると言えよう。保護者世代も含め、今の若者・子ども世代に郵便局をアピールすることで、いずれ郵便の利用減少に歯止めがかかり、逆に増加に転じる時が来るかもしれない。
「みんなの郵便局」に応募者が殺到する現状をみても、その可能性を感じることができる。地元に密着した、こうした地道な活動を根気強く続けていくことが、郵便局にとっても重要なことのように思う。(有希聡佳)
2026年4月20日 第7349号
幼保小、中、高とつながる郵便教育を
人は成長していく中で多くの人と出会い、いろいろなものを見聞きして、様々な経験を積み、見方や考え方も変わっていく。その時には印象に残らなかった、気にならなかったことやものでも、長い時間を経て再び紐解いてみると、「あれはそういうことだったのか」と気付かされることがある。
自分は幼いころから音楽を聴くことや歌うこと、楽器を演奏することが好きだ。テレビの歌番組もよく観ていたほか、ラジオの音楽番組もよく聴いていた。次々といろいろな楽曲が世に出てくる中で、ヒットした楽曲はほとんど口ずさめるくらいだった。
中学、高校と成長していくにつれ、昔の楽曲や、外国の楽曲も少しずつ聴くようになっていった。毎年、大晦日には日本レコード大賞とNHK紅白歌合戦を欠かさず観ていた。
1989(平成元)年の大晦日に、第31回日本レコード大賞を観ていた時のこと。いろいろな歌手やアーティストが登場し、楽曲が演奏される中、「アルバムニューアーティスト賞」を受賞したBO GUMBOS(ボ・ガンボス)というロックバンドが登場し、「魚ごっこ」という楽曲を披露した。
初めて見るアーティストだったので、どんな楽曲なんだろうと思って聴いていたが、正直、自分の中にサウンドも歌も入ってこない。自分にとってはそれまで全く聴いたことがない類の音楽だった。決して嫌いということではないが、自分には合わないのかな、と思った。
その後、テレビでBO GUNBOSを観たことはなく、学校で友達と音楽の話題になっても名前が出ることもなかったことなどもあり、特に気にはしていなかった。
それからかれこれ35年以上の月日が流れ、最近ふとインターネットでBO GUMBOSの名前を見かけた。気になったので、動画を検索して「魚ごっこ」を聴いてみた。そこで初めて、この楽曲がどういうものなのかが分かった気がした。
ニューオーリンズ風のピアノプレイが印象的で、ジャズとロックが融合したような楽曲だと思った。同時に、初めて聴いた時点では、自分は音楽が好きだとはいえ、数多くある音楽の中の一部しか知らなかったんだな、だから理解ができなかったんだろうなと思った。
なお、BO GUNBOSのボーカルとギター担当のどんとさんは2000年に37歳で亡くなられている。存命だったら、目まぐるしく変化する音楽シーンの中で、どんなポジションで、どんな楽曲を世に送り出していたのだろうかと思う。
さて、昔は歌詞の中に手紙やそれにまつわる言葉が出てくる楽曲が結構あったが、この先それすらも無くなっていってしまうのだろうか。ふとそんなことを考えたりしている。
ある郵便局長は長きにわたり、子どもたちに手紙の良さ、温かさを伝えるイベントを実施し続けている。単に手紙文化振興のためだけではなく、子どもたちを「将来の(郵便局の)お客さま」と捉えているという。
小学生時にイベント等で手紙のやり取りを体験しても、それ以降経験しないと、手紙に触れる機会も無くなり、いざ手紙を受け取っても特に何も感じなくなってしまうおそれもある。
まずは小学生の段階で、手紙の存在、魅力、価値をしっかりと認識してもらい、中学、高校でも手紙を書く場面が継続してあると良いと思う。
幼児教育における「お手紙ごっこ遊び」から始まり、初等教育、中等教育、高等教育、それぞれにおいて郵便教育を行っていくとともに、いろいろな付加価値等も加えながら、それぞれが線としてしっかりと繋がっていくような取り組みが広がっていくことを期待したい。(九夏三伏)
2026年4月13日 第7348号
地域住民の生活を守るための郵政民営化法改正
自民党は、今特別国会での郵政民営化法改正案の成立を目指している。
改正案は、郵便局に公的地位を付与するため、公共サービスなどの「基盤的サービス提供業務」を本来業務に追加するとしている。また、郵便事業の安定的な業務遂行を確保するため、日本郵便に対する交付金を拡充する。
さらに、日本郵政が保有するゆうちょ銀行とかんぽ生命保険の株式の処分について、現行法の「できる限り早期に」との文言を削除し、当分の間、ゆうちょ銀行とかんぽ生命の3分の1を超える株式の保有を義務付ける。
改正案について、一部メディアは「民営化に逆行」と主張しているが、改正の主眼は郵便局ネットワークを維持し、地域住民の生活を守ることにある。
鹿児島大学准教授の吉田健一氏は、現在の大手新聞には、経済界・金融業界の視点や、大都市で恵まれた生活を送っている人の視点しかなく、過疎化に悩む地域の視点が欠落していると指摘している(本紙2025年6月2日号)。
直視すべきは、疲弊した地域の現実ではなかろうか。郵政民営化法は小泉政権時代の2005年10月に成立したが、当時の想定を上回るペースで少子高齢化が進み、地域の衰退は極まった。
総務省が「過疎地域」に指定する自治体は885市町村に上り、全国1718市町村の半数を超えている。
1960年に24.3%だった過疎地域の人口割合は、9.3%(2020年)まで低下している。離島の人口減少は特に深刻だ。1955年には、離島振興法の対象となる離島人口は98万人だったが、34万人に減っている。
全国の支所・出張所数は5214(2021年)まで減少し、空き家数は900万を超えた。学校の廃校も進んでおり、2004年から2023年までに、小学校5799校、中学校1835校、高校1216校、合計8850校が廃校になった。
地域住民の生活を支えてきた公共交通機関の廃止も進んでいる。2008年度から2023年度にかけて、路線バスは約2万3193㌔、鉄軌道は約632㌔が廃止された。1994年度末に6万軒以上あったガソリンスタンドは半分以下に減少した。
地域衰退の主要な原因は、少子高齢化、東京一極集中、農業などの一次産業の衰退だが、市場原理と効率性を最優先する新自由主義的な経済政策がそれに拍車をかけたのではないか。
小泉政権が「民にできることは民に」を謳い文句に進めたのが郵政民営化であり、「地方にできることは地方に」を謳い文句に進めたのが「三位一体改革」だ。その結果、2004年から3年間で、国庫補助負担金は4.7兆円、地方交付税は5.1兆円が削減された。
立命館大学教授の景井充氏は、地域を切り捨てる新自由主義的な政策は、「棄民」政策だと主張している。
地域の疲弊は第一次産業の衰退に直結し、食料安全保障上のリスクを高める。また、国土管理・防災力の低下を招き、地域共同体の弱体化をもたらす。しかも、離島が衰退し、無人島化すれば、安全保障上の深刻なリスクともなる。
こうした中で、地域住民の生活を守り抜くという強い思いを抱き、献身的な活動を続けているのが郵便局長にほかならない。
九州地方郵便局長会の宮下民也会長は「離島の郵便局は離島で暮らし、働いている方の生活基盤を支える最後の砦」だと強調している。四国地方郵便局長会の真鍋俊明会長は、過疎化が進む地域の高齢者の生活を支えるため、郵便局として踏み込んだお世話をしたいと語る。
いまこそ政治が、地域の声に耳を傾ける時である。もともと自民党には、日本列島改造論を掲げ、国土の均衡ある発展を目指した田中角栄に象徴されるように地域重視の伝統がある。
自民党は法案提出に向けて各党との調整を進めている。地域が衰退する中で、「地域の最後の砦」として郵便局が住民の生活を守っている現実を、改めてすべての議員が理解することが求められている。(酒呑童子)
2026年3月30日 第7346・7347合併号
スティーブ・ジョブズの功績~iPhoneの成功
今や普段の生活にスマホは欠かせない存在になっている。何をするにもスマホがないと進まず、逆に言うとすべてがスマホ頼りの世の中である。外出中にバッテリーが無くなりそうになるとヒヤヒヤするほどだ。「レジ前で充電切れで無一文」との川柳もあった。
ところがスマホが登場した当時は、いわゆるガラケーに電話機能はもちろん、メール機能、インターネット機能も存在し、ほとんど誰も不自由を感じなかった。テレビ局が行ったアンケートでも、ガラケーで十分だという回答が大多数だった。
しかし、その時代から約20年経過した現在ではどうだろうか。圧倒的多数がガラケーよりもスマホを使用しており、前述した機能の他にもモバイル定期になり、買い物をすればポイントがたまり、何か申し込もうとすると二次元コードを案内され、そこから手続きすることになる。
つまり、スマホがないと生活自体が成り立たない状況になったとも言える。これだけ革新的な機器を普及させた人間の功績はすごいと思うが、それがスティーブ・ジョブズだった。
彼は元々怠惰な学生で、大学にもろくに行かず放校処分になるような者だったが、発想力と創造力がずば抜けて高かった。誰も思いつかないような発想力に恵まれ、しかもそれを実現する行動力も備わっていた。
iPhoneに先立って発売されたiPodもしかりである。それまでの携帯音楽再生機は、再生ボタン、早送り・巻き戻しボタン、停止ボタンなどが独立しており、それぞれを押して操作していた。
ところがiPodは液晶画面にメニューを表示させ、それをクリックホイールと呼ばれる丸い操作パネルで選択し、中央の決定ボタンを押す仕様になった。つまりボタンは一つだけになった。これはあまりにも画期的すぎて、最初は多くの人に理解されなかった。
筆者も初めてiPodを見た時はボタンが一つしかないため、一つの機械で1曲しか聞けないのかと思ったほどである。しかしメモリー次第で数千曲から数万曲をダウンロードできると聞き、驚いた記憶がある。そのiPodに電話機能を持たせたのがiPhoneであり、現代的なスマホの始まりであるが、これが世界を変えるだけの画期的なツールになった。
成功した理由の一つに、彼の緻密な消費者行動の分析がある。彼は本体の機能だけではなく、徹底的に製品の使い勝手を追及し、どうすれば購買意欲を高められるかを研究した。
あげくにはiPhoneの箱を開ける時にかかる時間にまでこだわった。購入後に、あまりすんなりと箱を開けて本体が出てくるようではありがたみがない。かといってフタがきつ過ぎてなかなか開かないとイライラする。
様々な実験をした結果、箱を開ける時間は7秒が最適という結論になった。その7秒間で購入者はワクワクを感じ、iPhoneを手に入れた感動を手にする。商品と「はじめまして」と手にするまでの時間をジョブズは非常に重要視した。そして、箱のフタを上に持ち上げた時に、なめらかな感触を手に感じながら7秒で外れる箱を開発した。こういう発想をする起業家はおそらく他にはいない。
もう一つの偉大な着眼点は「フォント」(書体)である。それまでのデジタル機器でもフォントはあるにはあったが、きわめて種類が限られていた。それも英字に使える書体はゴシック体と明朝体くらいしかなく、文字に面白さがない。
そこでジョブズはフォントを研究し、多数の新たな書体を開発した。そして利用者が好きな書体を選べるようにし、iPhoneを使うこと自体に楽しさを持たせた。文字の形に面白さを追求するなど、普通は考えつかないだろう。
こうしてiPhone本体の便利機能や所有すること自体のワクワク感や使う時の楽しさを追及し、数あるスマホメーカーの中でもiPhoneだけで相当なシェアを占めるに至った。
世界を変えるだけの事業を成功させるには、どんな分野でも大変な試行錯誤が必要だが、それとは別に、普通なら思いもつかない発想をし、徹底的に消費者行動を研究する努力が必須なのだろう。そしてiPhoneの成功がそれを証明しているように思う。
残念なのは商品開発に厳格にこだわったジョブズは、自分の身体にも厳格になりすぎ、ガンになっても手術などの西洋医学を受け入れず、菜食主義や針治療にこだわり、わずか50代の若さで亡くなってしまったことだ。彼が亡くなって15年、スマホがこれだけ生活必需品になった現在、新しい機器を手にした時に感動を覚える人は、今どれだけいるのだろうか。(有希聡佳)
2026年3月23日 第7345号
惑星から外された冥王星
3月3日の夜、皆既月食が観測された。残念ながら低気圧が本州の南を東進し、広範囲で曇りや雨の降る天気になったため、天体ショーを楽しめた地域は少なかったかもしれない。皆既月食は、太陽と地球、月が一直線に並ぶ満月の時に起きる現象。満月が地球の影を通過するとき、光が失われて赤銅色と呼ばれる赤みを帯びる。
奇しくも雛祭りの夜だったが、次に国内で見られるのは約3年後の2029年1月1日だという。こちらは元旦になる。新しい年の始まりに雄大な天体の動きに思いを馳せるのも粋な計らいのように感じる。
言うまでもなく、私たちが住む地球は太陽の周りを回っているが、他にもいくつかの惑星が同じように周回している。これらをまとめて太陽系と呼び、太陽から近い順に「水金地火木土天海」と覚えた方も多いと思う。ただ30年ほど前までは一番最後にもう一つ「冥」という呼び名がついていた。これは冥王星のことであり、太陽系の一番外側の惑星として有名だった。
しかし、天文観測の技術が高度化するにつれて、一番外側にあった冥王星の状況が徐々に明るみになり、太陽系ではあるが惑星ではないことにされてしまった。なぜなら冥王星よりももっと太陽から遠い所にも同程度の大きさの「エリス」という星があり、それが太陽の周りを周回していることが分かったからである。
それならエリスも太陽系の惑星として組み入れればよさそうなものだが、それまでは惑星の定義が曖昧だったため、これを機に明確な定義が決められた。その条件の一つに「軌道上の天体を排除していること」という項目が付け加えられ、冥王星もエリスもそれには該当しないため、エリスを入れるというよりも冥王星を外すことになった。
この「軌道上の天体を排除していること」とは、その惑星が自分の重力で他の惑星を自分に引き寄せていたり、他の惑星の軌道に影響を与えているかどうかという意味だが、残念ながら冥王星はこの条件にあてはまらなかったのである。そこで天文ファンの希望もむなしく、泣く泣く冥王星は惑星ではなく、「準惑星」に格下げされてしまった。
冥王星は地球から最も近い所にいる時でも約43億㌔、最も遠いと約75億㌔も遠い場所にある。75億㌔というと、時速250㌔の新幹線でも到着まで約3425年かかる。時速750㌔の飛行機でも約1142年かかる距離である。つまり、新幹線だと紀元前1400年の縄文時代、飛行機だと平安時代に乗って地球を出発し、やっと今ごろ到着する距離である。
そんなに遠い所にある星など惑星でも準惑星でも構わないではないかとの向きもあると思うが、一度付いていた肩書きがなくなることや、これまでのグループから外されることの寂しさなどが擬人化されて、日本人の心に刺さる面もあるのだろう。
冥王星も太陽系惑星から外されたことで一抹の寂しさを感じているかもしれない。もしかしたら冥王星のひとつ手前にある海王星も、これからの新たな発見で格下げの憂き目に遭うかもしれず、そうならないかとビクビクしているかもしれない。
少し天文に興味がある人なら、望遠鏡で澄んだ夜空を観測してみると、金星や火星、土星のリングなどを見ることができる。最も身近な存在は月だろうが、それにしたって地球から約38万㌔も彼方の星である。先の例でいうなら、飛行機で約21日かかる距離だ。
現実的に誰もが行ける地球外惑星は今のところ存在しない。しかし、たとえ見るだけでも、それらの星々に地球と同じような生物が存在しているのだろうかと想像を巡らせるのも楽しい。一層その星に親しみがわくのではないだろうか。何かと地球では心痛める出来事の多い昨今、夜空を見上げ、勇壮な宇宙の営みに想いを寄せれば、愚かな諍いの無意味さにも心が向くことにならないだろうか。(有希聡佳)
2026年3月16日 第7344号
年賀はがきと正月の風物詩
今年も早や3月になったが、今回の年末年始は日本郵便にとっても特別だったに違いない。昨年発生した点呼業務不備事案に対する行政処分により、2500台もの輸送用トラックが向こう5年間使用禁止になった。また軽四輪車も一部使用禁止となり、その対応に追われた中で迎えた繁忙期だった。
それでも同業他社への協力依頼や、点呼業務実施の徹底を前提とした自社車両の活用で、大きな混乱もなく、この時期を問題なく乗り切った。そこは企業努力が成果を上げた証拠だと思う。
一方で気になるのが取り扱い物数だ。ゆうパックはほぼ前年並みだったようだが、年賀はがきは対前年72.9%に止まってしまった。当初発行枚数を見ると、最盛期だった平成16年用年賀はがきは約44億5000万枚だったが、その後は年々減り続け、令和8年用は初めて10億枚を割り込み、7億5000万枚になった。なんと最盛期の17%である。わずか20年程度でこれだけ減少するとは、当時は誰も思わなかったに違いない。
こうなった原因は近年急激に発達したデジタル機器の影響もあるだろうが、根本的な原因は正月を迎える文化そのものが衰退の一途を辿っているからではないだろうか。昔は12月に入ると世間全体がなんとなくせわしくなり、12月も下旬になるといよいよ年の瀬が押し迫ってきた切迫感のようなものがあった。
そして大晦日から元旦に日付が変わるということは、大きなイベントであり、特別な意味を持っていた。こうした新鮮な特別感が日本人に深く刻まれていたため、正月にまつわる多くの行事が発生したのだろう。年賀はがきもその一環だったはずである。ところがその伝統的な正月文化の衰退に伴い、それと深い関係にあった年賀も一緒に衰勢となってしまった。
筆者が高校生だった頃は、どこの普通局(今の単マネ局)も夏の暑い時期から早々に年末年始のアルバイトを募集し始め、何百人もの高校生を集めて年賀はがきの処理に従事させていたものだ。
そして暮れに近づくと郵便局の中は若い男子や女子であふれている状態で、これは当時の郵便局では当たり前の風物詩だった。それが今では社員だけで処理できてしまうそうである。
おせち料理もずいぶん様変わりした。昔は母親が素材を買ってきて料理し、重箱に詰める「作るもの」だった。それがいつの間にかスーパーで買ってきて、普通の皿に「盛るだけ」になってしまった。そして、今ではすでに出来上がっているおせちを購入して、ただ「食べるだけ」になった家庭も多いだろう。
商店街も昔は年末年始の間は長期で休業になるため、年末になると予め大量の食材を購入して冷蔵庫に入れていたものだ。店がどこもやっていないのは不便といえば不便だが、それだけ年末年始の空気感を堪能できた。
ところが今ではそういった不便もなければ、かつて存在していた正月独特の風物詩も少ない。年中無休の店が当たり前になり、買いだめする必要がない。初詣に着物を着てくる女性もほとんど見なくなった。凧揚げしたり、コマ回ししたり、羽根つきする子どもも見ない。おせち料理を用意する家庭も減ってきたのだろう。
要するに正月といっても通常の平日となんら変わらず、ただカレンダー上で年号の数字がひとつ増えるだけなのである。この状況では年賀はがきが減少していくのは当然といえば当然とも言える。正月の風物詩自体がなくなっているのに、年賀はがきだけ生き残るのはなかなか困難な面がある。
すべてが合理化に向いている現状では、正月文化が昔に戻るとは思えない。ではこの風潮の中で、年賀はがきを存続させるにはどうすべきだろうか。それはやはり年賀状が、年の初めに人と人とのコミュニケーションをつなぐ独自の「紙ツール」であることを認識してもらうことではないだろうか。
スマホの画面ではなく、年賀はがきという実体のある紙であいさつし合う楽しさを、あらゆる媒体を使って宣伝する必要もあるだろう。それが定着すれば、年賀はがきは正月文化の衰退にかかわらず、独自の路線で存続していくことができるのではと期待するが、如何だろうか。(有希聡佳)
2026年3月9日 第7343号
コロナを乗り越え大きく飛躍を
3月に入り、卒業シーズンを迎えている。別れの季節、旅立ちの季節、なんてよく言われる。4月から進学や就職など、新たな生活をスタートさせる人も多いだろう。
本紙発行日は3月9日。ふと、3ピースバンド・レミオロメンの「3月9日」という楽曲が思い浮かんだ。
「3月9日」は数ある定番卒業ソングの中の1つとなっている。だが、もともと卒業をテーマに書かれた楽曲ではなく、3月9日に結婚式を挙げたメンバー3人の共通の友人のために作られた楽曲とのことで、歌詞の中にははっきりと卒業にまつわる言葉は出て来ない。このように、作り手の思いと違った形で受け止められて広まっていくことはわりとよくあることだ。
広まっていく、といえば、あまり思い出したくないという人も多いかもしれないが、2020年からの新型コロナウイルス感染拡大だ。
元号が令和に変わって2年目を迎え、夏には東京オリンピックが開催される予定だったこの年、前年12月に中国で発生した新型コロナウイルス感染症が世界的に広がっていった。
2020年1月16日、日本国内で初めての感染者が確認され、3か月後には日本での感染者数は1万人、死者数は200人を超えた。連日のように感染者数・死亡者数が報じられた。
4月、当時の安倍晋三首相は東京、神奈川、埼玉、千葉、大阪、兵庫、福岡の7都府県に緊急事態宣言を出し、その後、対象区域が全国に拡大された。
不要不急の外出は避けるように、とのアナウンスに、人々は外に極力出ないようになった。各地で予定されていたイベント等も中止、あるいは大幅な規模縮小を余儀なくされた。「おうち時間」「自粛警察」などの言葉もよく聞かれた。3密(密閉空間・密集場所・密接場面)を避ける新しい生活様式が日常となっていった。
同年夏に東京で開催を予定していた2020年東京オリンピックは翌年へと延期となった。普段は多くの人でにぎわう場所も閑散とし、飲食業をはじめ、多くの店舗・企業等が大きなダメージを受けた。長年切り盛りしてきた店が閉店となってしまう、そんなニュースも多く報じられた。
そうした中、教育現場でも大きな影響が出た。入学式や卒業式の中止、規模の大幅縮小、学校の休校、行事の中止など、本来普通に行われてきたものがそうではなくなってしまった。
入学してからも常に、自分も周りもみんなマスクを着用している日々。とりわけ、小学生たちのことが心配になった。
マスクをしていると、口や鼻が見えない。目だけしか見えない。顔から見て取れる、本来の人間の喜怒哀楽、表情が分からない。それが当たり前となっている中で過ごす日々。家に帰ってからも友達と遊びに行かず、家では宿題をやる、ゲームをする、その胸中はいかばかりだったのだろうか。
新型コロナウイルスに感染しないよう、「三密をさけるように」と徹底した新型コロナ対策を経験してきた小学校生活。この春、卒業する小学校6年生は、入学の時からずっとマスクをしていた特別な学年。新型コロナウイルス感染拡大によって、通常の小学校生活を送ることができなかった子どもたち。コロナ禍で多くのことをあきらめざるを得なかったことと思う。
大きなハンデを背負う形で過ごした小学校生活だった。コロナが無ければあれもできた、これもできた、思い返せばきりは無いだろう。
手紙の書き方授業等で子どもたちと関わった局長・社員も多くいると思う。この春に卒業する子どもたちと接する機会があったらぜひ、精一杯のエールを送ってあげてほしい。(九夏三伏)
2026年3月2日 第7342号
郵便局が取り組む耕作放棄地再生
日本の農地面積は、ピーク時の昭和36(1961)年には608万6000㌶だったが、令和6年にはおよそ3割減少し、427万2000㌶にまで落ち込んだ。農業従事者の高齢化や後継者不足などによる耕作放棄地の拡大に歯止めがかからなければ、さらに農地面積は減少していく。
農林水産省によると、日本の農地の3割強(130万㌶以上)で10年後の担い手(耕作者)が決まっていない。担い手が決まっていない農地の割合は、東京都では89.3%、大阪府では80.2%、沖縄県では76.7%に上る。徳島、香川、広島、岡山、高知、群馬、和歌山の各県でも60%を超えている。
耕作放棄地の増加は、決して農家だけの問題ではない。国内の食料生産量が低下すれば、さらに食料自給率が下がりかねない。これは食料安全保障の弱体化に直結する深刻な問題だ。
特に有事の際には、食料自給率が低い国では大量の餓死者も想定されている。数年前に米ラトガース大学の研究チームが発表した研究によると、局地的な核戦争が勃発し、大気中に巻き上げられた大量の微粒子で日光が遮られる「核の冬」が訪れ、食料生産の減少と物流停止という事態に陥れば、2年後の餓死者は世界全体で2億5500万人に上る。そのうち、食料自給率の特に低い日本での餓死者は、世界全体の約3割にあたる計算となる。
耕作放棄地の増加は食料自給率の低下を招くだけではない。農地の荒廃は、農地が本来持つ「貯水・保水能力」を低下させ、洪水や土砂崩れなどの災害リスクを高める要因ともなる。また、耕作放棄地の拡大がクマの出没増加を招いている可能性も指摘されている。
こうした中で、耕作放棄地再生など農業支援に取り組んできたのが日本郵政グループだ。
福島県北部地域の郵便局では、希望する社員が兼業申請をしたうえで、JAふくしま未来の職業紹介所に登録し、地域の農家の仕事を紹介してもらう仕組みを整えてきた。
昨年11月1日には、日本郵政グループとJAふくしま未来の共同企画として「援農支援体験会」が開催され、福島県北部地区連絡会の太田浩幸統括局長(岩代)ら郵便局とJAから30人が参加した。参加者は地域の特産品である「あんぽ柿」の原材料である蜂谷柿の収穫作業を2時間程度行った(通信文化新報2025年12月8日号4面)。
一方、岡山県備前西地区連絡会(野村和正統括局長/岡山津島)は耕作放棄地での山椒栽培を行っている。野村統括局長らは2019年から、郵便局の屋上などに巣箱を設置して養蜂に取り組む中で、里山保全の重要性を改めて認識した。ミツバチが育つ環境を維持するためにも、里山保全は必要だからだ(同2022年11月28日号1面)。現在、岡山、玉野市、吉備中央町の局長約40人が、里山保全の活動に取り組んでいる。
備前西地区連絡会では、山椒の栽培とともに、伐採した竹を粉砕して肥料にするなどの活動を展開している。
「ローカル共創イニシアティブ」の一環として、農業支援に取り組むケースもある。日本郵政の三輪信介さんは、島根県雲南市のNPO法人おっちラボに派遣され、農作業や山仕事の手伝いをしたり、耕作放棄地を活用してヒマワリ畑をつくるイベントの手伝いをしてきた。
さらに、岐阜県恵那市では、恵那長島郵便局の馬島直樹局長が、耕作放棄地の再生に取り組む地域企業に協力してきた。農業生産法人東野は耕作放棄地を畑として再生し、にんにくの生産を本格的に開始し、黒にんにくとして商品化した。馬島局長は、ふるさと小包の地域独自施策制度を活用し、商品の販売に協力してきたのである。
馬島局長は「民間企業と郵便局が手を取り合って取り組むことで、少しでも耕作放棄地対策につながり、地域、地元に貢献することができます」と語っている(全国郵便局長会HP)。地域の農産物を全国で販売するうえで、郵便局はふるさと小包などを通じて、様々な貢献をすることができる。
耕作放棄地の再生で郵便局がさらに大きな役割を果すことを期待したい。(酒呑童子)
