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2026年11月9日 第7378号

【主な記事】

郵便局長の使命、誇りを謳う
全特会歌 誕生秘話
歌の「心」を伝えていく
流氷きしむさい果てに炎熱もえる南国に・・・
元埼玉県南部地区会副会長 清水悦夫氏


 全国郵便局長会の「全特会歌」は、郵便局長の使命感や誇り、地域社会への想いを見事に織り込んだ楽曲として、大会や式典などで広く斉唱され続けている。来年は全特会歌が制定されてから50周年を迎える。ただ、冒頭の「流氷きしむさい果てに 炎熱もえる南国に」がどう着想されたのかをはじめ、作詞者の岸田弥一郎氏と作曲者の平井康三郎氏がいかなる思いを込めてこの歌を作ったのかはあまり知られていない。岸田氏は青年時代に「逓信報国」の志を固め、前島密翁の創業の精神継承を心がけていた。1996(平成8)年に岸田、平井両氏を招いた誌上鼎談を企画した関東地方郵便局長会の広報専門委員として活躍した、元埼玉県南部地区郵便局長会副会長の清水悦夫氏に聞いた。
■全特会歌の精神を伝えるために、現在も熱心に取り組まれています。
 全特会歌には、時代を超越した変わらぬ事業への使命と、地域とともに生きる特定局長のスピリットが見事に謳い込まれています。私は、退職してから16年になる今では、全特会歌を会議などの場で直に聴くことはほとんどなくなりましたが、かつて全特総会に参加し、大勢の会員で埋まった会場で、冒頭にこの歌を聴いた時はいつも感動で身震いする思いでした。あの時の記憶は、今も脳裏の中に残っています。
 1997(平成9)年の全特横浜総会に出席された加藤紘一自民党幹事長が、会場に入ってきて開口一番「全特会歌には、郵便局長さんの使命や誇り、そのすべてが謳われていますね」とおっしゃったことがとても印象に残っています。
 今年の全特総会は長野市内で開催されました。参加した埼玉県南部地区郵便局長会の現役局長に感想を聴くと、「会歌を聴いて感動した。総会に参加して良かった」と言っていました。
 全特会員の心をひとつにするには、会歌の効果が大きいと改めて感じました。ただ、事業や局長会をめぐる環境は年々変化し、新しい局長が増えている中では、会歌に込められている歌の「心」をこれからもしっかり伝えていくことが必要だと思います。
 かつて民営化問題の議論が真っ最中の時、全国銀行協会の会長が「我々は慈善事業でやっているのではない」などと発言したと報じられたことがあります。その真意はともかく、現在は、世界中で「儲け主義」「自分中心主義」が跋扈しています。こうした考え方は、「公のために尽くす」という郵便局長の使命とは相容れないものだと思います。
 前島密翁は「縁の下の力持ちになることを願うな。人のためによかれと願う心を常に持てよ」と説きました。そして、郵政民営化法が成立した直後に発行された会員誌『全特』で、柘植芳文前参議院議員は「民なれど公の魂失うことなかれ」と強く訴えました。前島翁の生き方も柘植氏の生き方も、「世のため、人のため」という同じ精神に基づいています。それは「郵政創業の精神」と言ってもよいでしょう。この精神が、全特会歌には込められています。
■作詞者の岸田弥一郎さんのことを教えてください。
 岸田さんは1921(大正10)年8月15日に、長野県飯山市で生まれました。1936(昭和11)年11月に、飯山市の柳原小学校時代の恩師である宇田小惣氏の紹介で飯山郵便局に就職しました。当時の局長は牧野長太郎さんでした。牧野局長は、郵政ひとすじに生きて、その職に殉じた人です。
 岸田さんは、牧野局長の薫陶を受けて、郵政の職場を天職とし、生涯をこの道ひとすじに捧げることになりました。岸田さんの著書『流氷きしむさい果てに─公務員48年の道』(銀河書房、1984年)には、岸田さんが1940(昭和15)年10月13日に書いた「逓信報国」という文章が収められています。
 「熟慮の結果、余の大使命は逓信報国である事を確言した。もはや余の進むべき道はただ一つ逓信界あるのみにして断じて他に無い。逓信界こそ余が身命を捧げて活躍すべき桧舞台である。ただ逓信報国あるのみである。之より一意専心、身命を抛って逓信報国の大使命を果す覚悟である」
 戦争が勃発し、岸田さんは1942年4月から中国北部に従軍することになりましたが、万死に一生を得て、終戦とともに内地に復員しました。戦後、岸田さんは「逓信報国」の志を貫き、飯山市の富倉郵便局の局長として使命を全うしました。
 岸田さんは前島翁の創業の精神を強く意識するととともに、それが特定局制度に引き継がれていると信じていました。例えば、1979(昭和54)年7月には「前島密論」(『逓信協会雑誌』に掲載)で次のように述べていています。
 「郵便取扱所がやがて三等郵便局となり、そして現在の特定局制度へと発展して来た事を考えた時、特定局制度の持っている本質的使命と、創業以来果たして来た歴史的役割の重大性について再認識されるべきであると思う」
■平井康三郎さんは、童謡「とんぼのめがね」の作曲で知られていますね。
 平井さんは「とんぼのめがね」のほか、「スキー」「ゆりかご」「平城山」などの作曲で知られ、小学校や中学校の校歌も数多く手がけました。
 1910(明治43)年9月10日に高知県吾川郡伊野町(現いの町)で生まれ、1929(昭和4)年に東京音楽学校(現東京藝術大学音楽学部)ヴァイオリン科に進学しました。1934(昭和9)年に卒業すると、同校研究科作曲部でクラウス・プリングスハイムに作曲と指揮法を師事しました。1982(昭和57)年に勲四等旭日小綬章を受章しています。(5面につづく)


 


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