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2025年10月20日 第7323・7324合併号

【主な記事】

社会変化に対応した郵便局ビジョン確立へ
柘植 芳文 前参議院議員
郵政事業への危機感、強い思いで活動


 柘植芳文前参議院議員は名古屋森孝郵便局局長などを経て、2009年に全国郵便局長会会長に就任。2013年7月の参議院議員選挙で初当選を果たし、郵便局長経験者として国会議員への道筋をつけた。任期中は郵政民営化法の改正に力を尽くすとともに、総務副大臣、外務副大臣などの要職を務めた。柘植氏は日本郵政グループが地域に立脚したビジネスモデルを確立してほしいと訴える。そして「郵便局は今後このように変わっていく」と夢を語れる状況を作りたいと語る。
■2013(平成25)年7月、全国郵便局長会をはじめ多くの皆さんの強い要望で参議院議員選挙に臨まれ初当選されました。郵便局長経験者として国会議員への道筋をつけられた嚆矢となりました。改めて当時の思いを聴かせてください。
 郵便局長になってから、郵政の現場から国会議員を出すべきだと考えていましたが、なかなか実現できませんでした。しかし、まさか自分がその最初になるとは思っていませんでした。
 2009年5月に全国郵便局長会(全特)の会長に就任しましたが、同年8月の総選挙で自民党が敗れ、民主党政権が誕生しました。それに伴い、10月に斎藤次郎さんが日本郵政社長に就任しましたが、斎藤さんは民主党とはそれほど太いパイプがなかったようです。
 そのため、2010年に民主党、国民新党などが提出した郵政改革法案が廃案となった後、自民党にも理解を求め、議員立法で郵政民営化法の改正を進めなければならない状況になった際、私を介して自民党との接触を持つようになったのです。
 2012年4月に改正郵政民営化法が成立し、同年12月に自民党は政権に返り咲きましたが、その当時、全特が自民党から民主党へ支持政党を切り替えてから3年以上が経過していました。
 そのため、私は2013年7月の参院選に自民党から郵政の候補を擁立することには反対だったのです。自民党が郵政の状況をどう理解して、いかに取り組むかは全くわかりませんでした。「今回は候補者を立てずに、自民党政権の郵政事業への対応の様子を見るべきだ」という考えだったのです。
 ただ、全特の黒田敏博会長や平勝典専務理事は、参院選に全特の支持候補を出さなければ組織の一体感が維持できないとして、擁立すべきだとの主張でした。
 当初、長谷川憲正さん、森田高さん、自見庄三郎さんらの名前が挙がりましたが、調整がうまくいかず、擁立には至りませんでした。
 こうした中、2013年2月になって、郵政省で官房長などを務めた天野定功さんから、「知名度があって候補者に相応しいのは柘植さんしかいない。何とか腹を固めてくれ」と強く要請されました。2012年に自民党に政権が交代する中で、総務省には政治家と接触する糸口がなかったため、私を介して折衝していたという経緯もあったからでしょう。
 しかし、私は断ったのです。当時、既に67歳になっていましたし、家族も反対でした。ところが、会社側からも強く出馬を求められました。2012年に改正郵政民営化法が成立したものの、この先どうなっていくか不透明な状況でしたので、会社側は私が自民党の参議院議員になって、民営化後の状況を政治の中でしっかり見てほしいとの期待があったのでしょう。
 こうした中で、最終的には全特顧問の田中弘邦さんから「何とか覚悟を決めて出てくれ」と説得され、ようやく決心したのです。ただ、全特会長時代に民主党を支持していた経緯があり、自民党が公認を認めるのか懸念もありましたが、最終的に、承認され出馬に至りました。
 こうして出馬を決意したのですが、当時、日本郵政グループは郵政省時代からのキャリア組、特定局、普通局に分かれていて、政治との繋がりが強い全特はキャリア組や普通局にとっては煙たい存在でした。そのため、参院選出馬を決めた私に対して、普通局のOB等には「なぜ特定局からの候補者を」という抵抗感もあったようですし、キャリアの人たちも冷ややかな印象でした。
 ただ、東海地方では普通局の皆さんとの親交があったため、協力を得ることができました。またキャリアの方は、東海の出身で東海郵政局長を経て事務次官を務めた白井太さんが、「ここは一つになって柘植さんを応援しよう」と呼び掛けていただいたことで、多くの支援を得ることができました。
■参議院議員として2期12年、民営・分社化で課題の噴出した郵政事業の仕組みの修正に取り組まれてこられました。
 全特会長時代には、苦労の末に2012年に改正郵政民営化法を成立させることができたという自負はありました。ただ、この法律は自民党、民主党、公明党三党が急いでまとめた議員立法であり完全なものではなく、不十分な部分も多くありました。
 「それを早く改めなければ、再び郵政事業が立ち行かなくなってしまう」という危機感がありましたので、私は議員として、そうした課題に取り組みたいという強い思いで活動してきました。
■「郵便局の新たな利活用を推進する議員連盟(郵活連)」に参加する議員も増えてきました。
 郵政民営化によって生じた、郵便局長と各地域の自民党議員の亀裂を修復し、郵政事業の発展のために再び政治の力を借りなければならないと考えていました。やはり、長く政権を担ってきた自民党だからこそ、地域に根差した郵政の文化を深く理解できる面があると感じたからです。
 確かに民主党政権も郵政民営化法の見直しに賛成してくれましたが、「民間に任せた方がいい」という考えを持つ有力議員も少なくありませんでした。そこで、まずは自民党と現場の局長の関係修復に腐心しました。その象徴が郵活連への参加のお願いだったのです。
 参議院議員になった2013年には、郵活連に参加する議員は衆参で80人ぐらいしかいませんでした。単に議員を増やすだけではなく、議連加入には地元の郵便局長の推薦を得てもらうようにしました。そのため、「議連は議員が自由に参加して勉強する場だ。なぜ局長の推薦状が必要なのだ」といった厳しいご意見もいただきました。
 こうした苦労もありましたが、当初、参議院議員の参加者は少なかったのですが、順調に拡大し現在は7割強の議員、自民党全議員の8割が参加するまでになりました。民営化によって傷ついた自民党議員と地元局長との関係は、47都道府県のほとんどで修復できました。
 もちろん、民営化に賛成した議員と局長の関係修復が常にスムーズに進んだわけではありません。例えば、郵政民営化を先導した小泉純一郎元総理の地元では厳しい声も聴きました。小泉進次郎先生の地元の横須賀市長選で、2度の敗北で何とか勝たなければならないとして小泉進次郎先生が局長会の協力を求めてきたのですが、当初は反対する郵政OBもいました。それでも何とか協力を得ることができ、関係修復することができました。地元の県会議員や市会議員からは「これでようやく局長会ともお酒も飲める」と喜んでくれたほどです。
 また、小泉政権で幹事長を務めた武部勤さんの長男の新さんとは、比較的早い時期に地元局長会との関係を修復できました。武部さんとは3回ほどお会いしましたが、「今、息子も局長会と仲良くしてもらっている。僕も民営化はやりたくなかったんだ」とおっしゃるので、「若い人たちの時代になったのだから、郵政事業をこれからどうするかを一緒に考えていきましょう」と応じ、その後は親しくさせていただいています。(2面につづく)


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