コラム「春秋一話」

 年/月

第6961号

「いいじゃん、それぞれの年賀状。」

 日本は江戸時代から年賀の書状が身近だったとされる。2019年用年賀はがきが11月1日に発売された。郵便はがきにお年玉くじ付が誕生したのは1949(昭和24)年だ(25年用)。京都在住の林正治さん(当時42歳)の発想によるという。「年賀状が戦前のように復活すれば、お互いの消息も分かり、うちひしがれた気分から立ち直るきっかけともなる」と考えた。
 年賀はがきに賞品が当たるくじを付ける、料金には寄付金を付加し社会福祉に役立てるというアイデアを郵政省に持ち込んだ。「国民が困窮している時代に、送った相手に賞品が当たるなどと、のんびりしたことを言っていられる状態ではない」との反論もあったが、紆余曲折を経て、世界にも例を見ない制度が実現した。発売と同時に大きな話題を呼んでヒットした。
 最初のお年玉付年賀はがきの賞品は特等がミシン、1等が純毛洋服地、2等が学童用グローブ、3等が学童用こうもり傘。その後、毎年の最高賞品は(1966年以降は特等が廃止になり、1等が最高賞)、1956年には電気洗濯機が登場。その後はポータブルテレビや8ミリ撮影機・映写機セット、電子レンジなどの家電製品が続いた。
 手が届きそうでなかなか買えないものが賞品となったが、平成に入ってからは、海外旅行や最新式テレビ、パソコンなど数点の中から1点を選ぶ形式に変わった。バブル景気とその崩壊、その間に進行した消費の多様化が反映されている。2013年からは現金が加わった。世相が垣間見えるが、2019年用は抽せんが2回となり、東京2020大会への招待券、現金30万円または同額相当のプレミアム賞品となった。
 ただ近年、年賀はがきの販売は減少傾向が続く。少子高齢化、人口減、核家族化、インターネットやソーシャルメディアの普及など様々な側面が指摘されている。1949年の発行枚数は1億8000万枚、高度経済成長などに伴い増加し、2003年には44億5936万枚に上った。その後は減少し、2019年用の当初発行枚数は約24億21万枚。国民1人当たりでは2003年は約35枚、2018年には約19枚となっている。
 日本郵便は、より多くの年賀状を差し出してもらうよう様々な企画に取り組む。年賀に関する「知る」「買う」「作る」「送る」「楽しむ」の機能を持つ特設サイト「郵便年賀.jp」を開設しているが、今年から「ニッポンの名字」が追加されている。
 9月19日からアップされたが、この日は「苗字の日」という。1870(明治3)年、戸籍整理のため、太政官布告で一般市民も苗字を持つことが許されたのがこの日。公開されて1か月で約1700万以上のアクセスがあり好評だ。「名前を検索するときは、その人の顔を思い浮かべる。年賀状も相手のことを思いながらメッセージを添えるところに共通点がある」と日本郵便。
 日本郵政の長門正貢社長も10月26日の記者会見で「私も調べてみたが、長門は3800人、人数の多い順で3377位でした。名前の由来や地域別人数もあり、ちょっとした息抜きにお楽しみください」と紹介している。
 今期の新たなキャッチフレーズは「いいじゃん、それぞれの年賀状。」。自由に個性あふれる年賀状をと期待としている。江戸、明治からの伝統を受け継ぐ新年のあいさつ状、戦後復興への思いをもとに誕生したくじ付年賀はがき、改めて歴史や文化に思いを馳せながら、多くの人が年賀状を楽しみ新年を寿いでほしい。
(和光同塵)

第6960号

社会貢献活動を表彰「大河内賞」

 第22回の「大河内賞」が決まり、11月1日にメルパルク東京で表彰式が行われた。「大河内賞」は社会貢献や文化・研究的な活動を続けている逓信同窓会(青野信雄会長)の会員を顕彰するもので大河内委員会の後援で実施されている。
 初代の郵政大学校長、財団法人通信文化振興会(通信文化新報を発行)の理事長を務めた故・大河内靖久氏の遺志により、夫人の大河内昭子氏の支援を得て平成9年に大河内記念基金が設立され「大河内賞」が設けられた。郵政民営化で㈶通信文化振興会の業務は㈱通信文化新報が受け継いだが、理事長時代の大河内氏に薫陶を受けた職員は多く、温厚な人柄で親しまれた。
 大河内記念基金は平成20年から大河内委員会(大河内昭子委員、平勝典委員、潮上一紀委員)が引き継ぎ、毎年顕著な活動を行っている逓信同窓会員に贈られている。逓信同窓会は、逓信事業(郵便、電気通信事業等)に関する知識の普及、事業の進歩発展、会員の資質向上を目的とし、全国に60支部組織がある。会員は約1万5000人、各地域での様々な活動を通じて社会貢献を実施している。
 今年は5氏が受賞した。防災士として地域の防災意識の向上に努めている筒井義臣氏(千葉県習志野市)、故郷で開業した農園やレストランを集う場に提供し、青少年の健全育成と自立支援に貢献している山本智氏(秋田県三種町)、知的障がい者への理解と処遇改善に取り組む嶋田芳樹氏(神奈川県大和市)、絵画の講師として活躍の久野裕子氏(福岡市)、地域の健康増進やフィンランドとの国際交流に貢献するとともに、故郷の風土・歴史遺産を継承する神田恵介氏(島根県邑南町)が受賞した。
 表彰式では青野会長が「受賞対象となった活動を通じて社会や地域に大きく貢献、逓信同窓会として誇りに思う」、元全特専務理事を務めた大河内委員会の平委員も「長年にわたる献身的な取組みに敬意。また、昭子氏の支援に改めて感謝」と讃えた。受賞者を代表し嶋田氏が「伝統ある大河内賞はたいへん名誉。活動は家族や仲間の協力があったからこそ。これからも続けていく」と謝辞を述べた。
 受賞者の一人、神田氏は元参議院議員の長谷川憲正氏の政策秘書を長く務めたこともあり、郵政部内で知る人も多いだろう。フィンランド発祥の健康づくり「ノルデックウォーキング」の普及、設立した「地域創生ふるさと学校」を通じて、故郷の生活様式、祭り、風土、歴史などを学び継承する催しの開催(今年8月に島根県知事奨励賞を受賞)、「おおなんフィンランド協会」を設立、国際交流の促進と幅広く活動している。
 また「種まきから食べるまでを楽しく体験」をテーマに、そばづくり同好会を立ち上げ、休耕田で栽培して“そば打ち道場”を毎月開いている。小学生や養護学校の生徒を対象とした体験会も開催、地域の活性化に努めている。
 「出来る人が、出来るときに、出来ることを」「今日も生かされていることに感謝」、とかく現職時代は効率化を優先しがちで余裕がなく多くのものを見過ごしてきたが「捨ててきたものを拾う」「障がいは父母、ましてや本人の責任では全くない」「人生に華やかさと心の豊かさを育ませたい」「人生とは行動すること」と、受賞者の言葉には味わい深いものが感じられる。毎年、表彰式に出席すると、地域に深く根差した受賞者の素晴らしい活動には頭の下がる思いだ。退職してからのいわば第2の人生の在り方を考えさせられる。
(麦秀の嘆)

第6959号

書を携えて旅に出よう…

 読書の秋と言われるけれども、また旅の秋でもあるが、異様な暑さや天変地異の多さは季節感を失わせる。季節という風情が感じられなくなってきており、秋の夜長の読書と言っても、もう一つピンとこない。
 旅もまた、そうなのだろう。「紅葉を愛でる」という言葉も、今は人を惹きつけなくなっているのだろうか。現在は人を多忙にさせていて、そんなところに心を向ける余裕を失わせているためかも知れない。
 それでも、旅にという思いはあるのだと思う。なかなか出かけられない折、テレビの旅番組に熱中していたことがある。熱中というよりは、その種の番組にしか触手が動かなかったということだろうが、それは今でも残っていて、自然に旅番組にチャンネルを変えてしまっていることがある。
 曼珠沙華が好きで、秋になると見に行きたいと思う。群生しているところに出かけるだけのことだが、近年はそれもなかなか叶わず、その季節が終わってからしまったと思うことが多い。
 金子兜太の句に「曼珠沙華どれも腹だし秩父の子」というのがある。初期の代表的な句だ。彼の生まれた秩父ではないが、埼玉には巾着田というよく知られた群生地がある。日高市の高麗神社の近くだ。秋になると見に行こうと思ってきたのだが、なかなか実現しない。
 人々が自然との交流と近隣との付き合いの中で生きていた時代には、「旅」は大変な冒険というか、何かリスクを覚悟してあらねばならないものだった。旅はそれだけ大変であったが、魅力的なものであった。旅に生きた松尾芭蕉を想起すればいいのかも知れない。私が芭蕉や西行が好きなのは旅ということがある。
 現在では、旅と言っても昔のようにリスクを覚悟する必要はない。手軽で便利になった。美味しいものも食べられるし、温泉にも浸かれる。時間も効率よく使え、こういうことが旅への魅力を失わしめていると言えなくもないが、心の何処で引き寄せられるところがある。
 金子兜太は「定住漂白」ということを生き方として提唱していた。漂白は自由を求める人間的行為であるとする。漂白を流浪のように考えなかったから、定住とは一見すると矛盾するようなことを述べたのだが、漂白は自由を求める動きであり、旅(流浪)も否定はしていなかった。
 多忙な日常から脱し、自由を求める欲求が私たちにはある。旅を心の洗濯というのも、こうした思いだろうが、そのありようは様々である。よく知られた観光地や名所を訪れるのも一つであろう。海外へもあれば、秘かに心に留めていた所に出かけることもある。何も目的を設定せずにふらりと出かけることも一つであろう。
 どんな形でも好きに選べばいいが、旅することが大事なのだ。行ってみなければ分からなかったということもある。ここが一番肝心なことかも知れない。
 読書も歴史への旅ということを含んでおり、それも一つの形と言えるが、日常とは違う場所に出かけるというのは、秋ならではの呼びかけではないだろうか。
 山々が紅葉することは、自然がそれを愛でるように人々に呼びかけているのであり、それに応じることは、脅威な振る舞いも演じる自然への私たちの優しい返礼と言えるかも知れない。「書を捨てよ、町へ出よう」と言った詩人がいたが、今は「書を携えて旅に出よう」と言うべきか。
(坂田の力)

第6958号

芸術の秋と郵便局


 朝夕、秋の気配が漂う。「馬追虫(うまおい)の髭(ひげ)のそよろに来る秋はまなこを閉じて想ひ見るべし」(長塚節)。馬追虫とはバッタ目ウマオイ科の昆虫。鳴き声からスイッチョとも呼ばれる。秋は美味しいものが多く「食慾の秋」、また「読書の秋」「芸術の秋」ともされる。
 東京の国立新美術館で第86回独立展が10月29日まで開かれている。独立美術協会は1930年に創立、自由で公平、進取の気性に富んだ気風を保ってきた。年齢や経験に捉われず、優れた作品には栄誉を認めるとしている。
 会員の愛知県西尾市に在住する斎藤吾朗氏が「描く!刷る!東京駅物語」を出展している。200号の大作だ。1914(大正3)年12月20日に開業した東京駅の風景を描くが、郵便ポストや郵便配達の模様、開業記念の日付印などが描き込まれている。
 斎藤氏はモナ・リザを模写した唯一の日本人として知られているが、郵便事業や郵便局への関心が高い。絵にも切手やポストなど郵便に関わるものを描き込んだ作品が多い。自宅のアトリエ前にも「人生劇場」で知られる作家の尾崎史郎の父が、局長を務めていた郵便局にあった丸型ポストが設置されている。
 西尾市にはピンク色を基調とした「バラ色ポスト」、抹茶色の「おもてなし♡まごころポスト」が設置されているが、これらを企画したのも斎藤氏。「バラ色ポスト」は西尾高校の美術部員が様々なバラを描いて9月23日に設置された。西尾市の花もバラ。“人生バラ色に”との思いが込められている。写真を撮る若い人も多く人気のスポットとなっている。
 さらに、高校生たちが「自分たちが描いたポストだから、手紙や葉書をたくさん出そう」と、投函に訪れているという。手紙離れとされる昨今の若者、手紙文化の普及にも大きく貢献している。「ふみの街 西尾」として、丸型ポストや手紙文化の普及で地域の活性化につながればと活動している斎藤氏、新たなポストの構想も練っている。
 地域の人たちの作品を展示している郵便局も全国には多い。芸術の秋にふさわしく、郵便局が地域のギャラリーとして親しまれるのも期待される。(和光同塵)

第6957号

100歳以上が6万9785人

 100歳以上の高齢者は昨年から2014人増えて6万9785人となった。
 厚生労働省が9月14日に明らかにしている。老人福祉法が制定された昭和38年には153人だったが、56年に1000人、平成6年に5000人、10年には1万人、24年には5万人、27年には6万人を超えた。
 この10年でほぼ倍増している。男女別では女性が6万1454人と88.1%を占める。男性は8331人。29年の平均寿命は女性87.26歳、男性81.09歳となっている。
 都道府県別で、人口10万人当たりの100歳以上が最も多いのは島根県で101.02人と6年連続。
 次いで鳥取県97.88人、高知県96.50人、鹿児島県95.76人、香川県84.59人、山口県83.66人、宮崎県83.65人、愛媛県83.58人、長野県83.19人、熊本県82.95人が上位。
 一方、最も少ないのは埼玉県の32.90人、こちらは29年連続となった。愛知県36.78人、千葉県39.34人、大阪府40.09人、神奈川県42.33人、東京都43.52人、青森県46.40人、宮城県46.41人、栃木県46.86人、茨城県49.17人と続く。総じて中国、四国、九州地方で多く、都市部や関東、東北地方で少なくなっている。
 今年度中に100歳となる高齢者は、昨年より144人増えて3万2241人となる見込み。内閣総理大臣からのお祝い状と記念品が贈られた。
 これは昭和38年から「老人の日」の記念行事として実施されており、長寿を祝い、高齢者福祉について関心と理解を深めることを目的としている。
 国内最高齢者は福岡市の田中カ子(かね)さん。明治36年1月2日生まれの115歳となる。今年7月から最高齢者となった。有料老人ホームで廊下を散歩したり、オセロを楽しまれているという。美味しいものを食べ、計算などの勉強をすることが長寿の秘訣だそうだ。
 男性では北海道足寄町の野中正造さん。明治38年7月25日生まれの113歳。平成28年10月から男性の国内最高齢者となった。雌阿寒岳の麓、家族と暮らされている。長寿の秘訣は温泉と自分のペースを守って暮らすこと。甘いものが大好きでケーキには目がないそうだ。テレビや新聞を見て、温泉につかることが楽しみという。
 まだまだ元気で長寿を楽しんでほしいものだと願うが、日本の総人口に占める70歳以上は、昨年より0.8ポイント上昇、20.7%に達した。
 総務省が人口推計を明らかにしているが、少子高齢化の進展は急速だ。100万人増の2618万人となり、初めて70歳以上が2割を超えた。昭和22~24年に生まれた“団塊の世代”が70歳に到達してきたことが影響している。
 65歳以上も3557万人で28.1%になる。過去最高を更新している。日本の高齢化率の高さは世界でも有数、2025年には30%になるとされる。
 2位のイタリアは23.3%、ポルトガル21.9%、ドイツ21.7%、フィンランド21.6%だ。2040年には団塊ジュニア世代も高齢者の仲間入りをし、高齢化率はピークを迎える。
 地域で信頼の高いのが郵便局。自治体などとの連携を強化、郵便局ネットワークを活用、安心・安全の拠点として高齢化社会に対応した役割が期待される。
(和光同塵)

第6956号

地方創生に期待大きい郵便局

 全国郵便局長会は、各地方で地域創生フォーラムを開催している。地域に密着してきた郵便局が、地方創生の担い手として期待されており、今後の展開などについて議論を深めている。9月29日に関東地方郵便局長会が関東支社講堂で開催したフォーラムでは、総務省情報流通行政局郵政行政部の野水学企画課長が、情報通信審議会郵政政策部会に設置された郵便局活性化委員会での検討を受け、7月10日に答申された「少子高齢化、人口減少社会等における郵便局の役割と利用者目線に立った郵便局の利便性向上策」などについて講演した。
 2月14日に発足した郵便局活性化委員会は、当時の野田聖子大臣の肝いりだ。郵便局に強い期待を持つ熱い思いを受け検討してきた。野田大臣は「常々少子高齢化、人口減少を『見えざる危機』、あるいは『静かな危機』と呼び、早急な手段を講じることの重要性を訴えてきたという。2040年には団塊ジュニア世代も高齢者の仲間入りをし、高齢化率はピークを迎える。既にそうした状況の地域もあり、郵便局は安心・安全の拠点という役割を果たすことができるとの思いが強い。
 10月2日の退任会見では「地方においては郵便局がライフラインそのものになっている。地方創生の主役になるような新しい郵便局のあり方について答えを出していかなければならない」と強調した。さらに「人口減少や人手不足など地方行政に課題は多く、市町村の機能に支障をきたしかねない。2万4000の郵便局ネットワークの利活用で、地方に住んでいる人たちの安定的な生活を確保して欲しい」と期待を寄せた。
 ユニバーサルサービスが義務づけられているが、郵便局ネットワーク維持への支援が政府にも求められる。審議会答申では、利便性向上方策として、ユニバーサルサービス提供に支障がなく持続的に実施できること、そのためにはコスト負担のあり方が重要で、ビジネスとして成り立つよう自治体を含めて利用者、受益者が適切に負担、さらに全国一律でなく郵便局の規模や実情、地域ニーズに合わせて行うことが基本としている。郵便局ネットワークの将来像でも地域ニーズに合った多様な郵便局展開の具体化が検討されている。
 知恵を生かした地方創生の取組みに期待は大きい。全国郵便局長会は買い物支援サービスや郵便局の婚活「ポスコン」に力を入れている。少子高齢化、人口減少が進展、65歳以上の一人暮らしは762.2万人、23.4%を占める。スーパーなどまでは500メートル以上で自動車がない65歳以上、いわば“買い物難民”は2025年に814万人と推計される。買い物支援サービスについては、日本郵便のみならず様々な企業や団体とも協力、対応できる仕組みづくりを行うことにしている。「ポスコン」も全国に広がり、中若局長の元気の出るイベントとして拡大が図られている。
 自治体との包括連携協定の締結も進んでいるが、さいたま市とはみまもりサービスのタブレットを使い、マイナンバーカードを申し込み、本人限定郵便で届けることができないか検討しているという。取りに行くのが億劫という人も多い。タブレットは2万に及ぶ郵便局に配置されているが、実際に使われているのはごく一部、有効活用する一方策として打ち合わせが進んでいるという。個人情報の面などからハードルは高いが、方向性としては注目される。
 関東地方会のフォーラムでは、地方創生大臣だった梶山弘志衆院議員も講演、「地方では金融機関でお金を引き出すのも買い物もたいへん。郵便局への役割は大きい」と強調した。また、佐藤賢之介全特理事は「局長会の資源は地域密着性とネットワーク、局長という三つ。これを生かして地方創生に取り組もう」と呼びかけた。
 講演した野水企画課長は、平成2年に郵政省に入り、8年7月に北海道士別市の士別郵便局長に就任。当時の人口は約3万人、特定局は6局。「特定局長の皆さんには“たいへんかわいがってもらった”。赴任して直ぐに企業などのチームが踊って練り歩く祭があった。郵便局チームも毎年、出場しているということだが、士別局からは局長と数人の管理者、特定局は局長をはじめ職員も参加した。特定局長の皆さんからは、踊りの“厳しい指導”を受けたが、地域に溶け込み一体となっていることに、感慨深い印象が残っている」と振り返っていた。
 地域貢献は局長会の理念となっている。地方創生にも大きな期待が寄せられている。
(和光同塵)

第6955号

秋の夜長 やはり読書を

 今年の始めに自死した西部邁の遺書ともいうべき著作を読みながら驚いたことがある。電車に乗るのがいやで、交通費がかさむのを承知の上でタクシーを使っていたというのだ。理由は電車の中で多くの人がスマホに見入っているのが耐えられないからと。今や日常的な風景になったこの現象に、激しい嫌悪感を抱いたという。
 私はスマホを持ってはいるが、電車の中では今や少数派になった新聞か本を開いている。新聞は隣のことを気にして遠慮がちに読んでいる。だからと言って、スマホ派を嫌悪しているわけではないが、この風景
にはある種の違和感を持っている。本を読む時間を持てるのは大変貴重で、もったいないなぁというべき程度のことなのだが…。
 スマホが人々を席巻し、通勤の風景を変えてしまったことにはそれなりの理由があり、機械(メカ)に疎くなっていく年代が反発しても仕方がないと十二分に承知している。「もっと速く、もっと便利に」という近代的技術の情報領域の表れで、止まることはないと思うが、やは
り、考えることはある。
 情報が早く、広くもたらされることは人間の欲求に基づくものであることは確かだが、かつて情報が過剰化する時代に、どうすればいいかとの議論を思い出した。情報を伝えるメカ(ハード)の発達で、スピード
は速くなり量も広がる。これは必然的現象であって善悪の問題ではない。必要な情報を受容する側が、主体的に判断すればよいということになった。情報を取捨選択し、取り込む主体の問題であるというわけだ。
 情報過多の時代というが、日本社会では必要な情報が隠ぺいされたり、国民の知る権利も十全であるとは言えない面がある。情報と言うとき、この面を無視はできない。ただ、情報が過剰に見える状況のなか、取捨選択し、判断する主体が問題というのは理解できるが、なかな
か難しいこともある。それは押し寄せる情報を受け入れていくとき、判断する主体は主体性が持ちにくいということがあるのだ。
 簡単に言えば判断する主体、要するに自分が見失なわれがちだということに外ならない。情報を判断していく主体が自分であることを持ち続けることが難しいのである。情報に流される
のではなく、自分を取り戻す、自分が自分であることを確保するための行為が、常に必要なのだと思う。
 前回、この欄で「晴耕雨読」を取り上げた。「雨読」ということは自然や近隣の人との交渉が主な時代(農本的社会)に情報を得ることであり、自分を取り戻すことだった。書に親しむことで自分を確保することでもある。西部邁がスマホに夢中になることに嫌悪感を抱いたと述べたが、自分を取り戻す、自分であることを確保することに無自覚なことへの怒りだったと解釈できる。
 「秋の夜長を書に親しむ」というのは農本社会の文化だったが、それはまた、自分の時間を持つことであり、自分を取り戻すことでもあった。書に親しむ相棒たる虫の鳴き声も聞こえてこないだろう。テレビなどの装置もあって、本を開くことは難しく、「雨読」も「読書の秋」
も疎遠な言葉になっているのかもしれないが、改めて目を向けたい。
 テレビのバラエティ番組はよくできていてスイッチを切って本を開くのは難しい行為である。だが、読み・書きということへ自分を向けるのも良いではないか。遠方の友に便りをしたためるのと同じように。
(坂田の力)

6954号

明治150年 会津、薩摩、長州の物産展

 今年は1868年の明治維新から150年、関係する各地で記念行事が行われている。薩摩、長州を中心とする官軍と会津などの奥羽越列藩同盟が戦った戊辰戦争、明治維新などに関する本も多くの出版がある。維新は中国古典「詩経」に出てくる言葉で「これあらたに」と変革を意味する。当時は「御一新」(ごいっしん)と呼ばれた。
 会津では明治維新との言葉には複雑な思いが残っているという。維新150年ではなく、戊辰150年だ。会津若松城(鶴ヶ城)で4月から開催されている企画展は「戊辰150周年記念」。戊辰戦争は「『義』に殉じた戦い」との視点で構成される。
 近代日本の歴史は、1853(嘉永6)年のペリー来航から幕末の動乱、戊辰戦争を経て、明治、大正、昭和、平成の時代に続く。人々の思いは様々なものがあるだろうが、8月31日から9月2日まで、東京駅前のKITTE地下1階、東京シティアイで「明治150年、会津若松・薩摩川内・萩の観光物産展」が開催された。
 全国郵便局長会(青木進会長)が主催し、日本郵便が後援した。局長会の東北・九州・中国の地方会長は、奇しくも会津、薩摩、長州。佐藤賢之介会長は会津若松市などの福島県会津地区会、米森寿美男会長は鹿児島県北部地区会、末武晃会長は萩市などの山口県長門北部地区会。
 物産展を維新でも戊辰でもなく明治としたところにも配慮が感じられるが、オープニングセレモニーでは、横山社長が「いろいろな思いがあるだろうが、この3地域の物産展は郵便局だからできる歴史にも残る意義あること。開催をよろこびたい」と強調した。
 初日の模様はNHKテレビのニュースでも「明治150年で、幕末の舞台となった会津、薩摩、長州の物産展」と放送された。SNSでは3市合同と取り上げられて話題となった。会津若松市、薩摩川内市、萩市の特産品の販売と観光パンフレット配布などが行われ、3日間で約2万人が訪れる盛況となった。
 鹿児島県の南日本新聞は「(地方会長は)偶然にも会津、長州、薩摩がそろい踏み。戊辰戦争で戦った歴史があり、会津側には複雑な感情が今もあるというが、局長同士の交流で物産展開催の機運が高まった」とし、「大河ドラマ『西郷どん』放映なども重なり、タイミングがよかった」との米森会長の話を記事にしている。
 山口新聞は末武会長の「会津若松は戊辰150年で『仲直りはできない』と言われるが、郵便局ネットワークで何かきっかけづくりができないかと企画した。こんなことが積み重なって地域が手を組めるようになれば」との言葉を紹介している。
 佐藤会長も「複雑な心境もあるが、地域の発展に貢献することが郵便局の役割」と話していた。東京中央郵便局の臨時出張所も開設され、会津若松、薩摩川内、萩の台紙付フレーム切手セット、各地のフレーム切手、東京中央郵便局のオリジナルグッズなどを販売、人気を呼んだ。台紙付フレーム切手セットは完売、その他を含めて60万円を超す売上げとなった。
 地域への直接的な経済効果と同時に、観光パンフレットも人気を呼び、3市に多くの観光客が訪れる波及効果も期待される。青木会長は「単なる物産展でなく、地方創生の一環として取り組んでいる。これからも地域の活性化に貢献していく」と強調した。郵便局長が熱心に呼び込みを行い、出店した事業者から「ほかの物産展ではない」と感謝の声もあがった。
 幕末の時代、志の相違から遺恨を残したとされる会津と長州。会津は白虎隊の悲劇で知られるが、奇跡的に蘇生した一人の隊士を長州藩士が救っている。隊士の名は飯沼貞吉、そして彼を保護したのは楢崎頼三。生き残ったことを恥じ、悶々とする飯沼を楢崎は長州へと連れ帰り、生きることの大切さを諭す。飯沼は後に現在の総務省に当たる工部省に入り、電信事業に功績があった。飯沼が過ごした山口県美祢市には今年、彼を顕彰する石碑が建てられた。
 明治政府は幕臣も登用し、近代日本の礎を築いた。歴史を見つめつつ新たな連携を模索するのも意義が深い。物産展をはじめ観光PRなど郵便局ネットワークが地域をつないで、地方創生に貢献することが今後も期待される。(和光同塵)

第6953号

向上しない日本の食料自給率

 最大震度7を記録した9月6日の「平成30年北海道胆振東部地震」で、野菜の値上がりなどが懸念されているが、平成29年度の日本の食料自給率は、カロリーベースで38%、前年度からほぼ横ばいと農林水産省が明らかにしている。
 前年度に比べて天候不順で減少した小麦、てんさいの生産が回復したものの、米については食料消費に占める割合が減少したことや、畜産物の需要増に対応して国産品の増加より輸入品がより増えたことなどが特徴としている。
 生産額ベースでは65%。前年度の67%から下がった。国産米の価格上昇により生産額が増加した一方で、円安の影響もあって畜産物や魚介類の輸入が増加したことが要因とする。
 食料の約6割以上を海外に依存する日本、人口増加や途上国の経済拡大による食料需要は拡大するが、地球温暖化などの気候変動が影響、生産が減少することも予測され、食料不足が問題とされる昨今、農業の再建が急がれる。
 1965(昭和40)年度にはカロリーベースで73%、生産額ベースで86%もあった食料自給率、平成元年度に50%を切り49%(生産額77%)に、22年度には40%を下回り39%(生産額69%)となるなど長期的に低下傾向となっている。
 諸外国と比較してもかなり低い。カナダ264%、オーストラリア223%、アメリカ130%、フランス127%、スペイン93%、ドイツ95%、オランダとスウェーデンス69%、イギリス63%、イタリア60%などと比較しても、日本の水準は先進国の中で最低水準となっている。
 政府は食料・農業・農村基本計画を閣議決定し、2025(平成37)年度に45%(生産額ベース73%、畜産物の自給率に大きな影響を与える飼料自給率40%)を実現するとしているが、その達成には農業を育てる施策が欠かせない。
 1日にごはんをもうひと口(17グラム)、国産の米粉、大豆、小麦を使用したそれぞれパン、豆腐、うどんを月に6枚(401グラム)、2丁(557グラム)、2玉(559グラム)を多く食べると自給率は1%向上するとされるが、大豆や小麦は輸入に頼っている。大豆は93%、小麦は86%が輸入だ。
 目標の達成には相当に思い切った政策が必要だろう。欧米諸国では価格保障や所得補償を手厚くしているが、日本では輸入自由化によって過酷な競争にさらされてきた。安い外国産との競争力を保つには政策的支援が必要だ。
 農業就業人口は平成22年の260.6万人から29年には181.6万人と79万人も減少した。このうち女性が84.9万人、65歳以上は120.7万人となっている。平均年齢は66.7歳と高齢化が進む。
 さらに基幹的農業従事者(普段は主に仕事に従事)は150.7万人で、急速に減少している。こちらは女性が61.9万人、65歳以上は100.1万人を占め、平均年齢は66.6歳。農業だけでは生活ができないという実態だ。高齢化や農地の減少も歯止めがかからない。
 食料安全保障の観点からも自給率を高めることは必要だが、同時に重要なのが食の安全性。遺伝子組み換えや成長ホルモンといったものへの国民の懸念も大きい。
 国内の農産物への信頼度は高い。安心して農業にいそしめる環境の整備が求められ、それは消費する者にとっても大きなメリットにつながる。もちろん食料の安定的な確保には、諸外国との良好な関係を維持することも言うまでもない。
(和光同塵)

第6952号

教訓を生かし災害対策を

 「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」(古今和歌集、藤原敏行)。今年の夏は猛暑にうんざりした人も多いだろう。やっと朝夕の風に微かに秋の気配も感じられるようになったが、まだ暑い日が続きそうだ。
 気象庁は9月3日、6~8月の天候の特徴について明らかにした。平均気温はかなり高く、特に東日本は平年を1.7度も上回り、1946年の統計開始以降で最高となった。日本の上空で太平洋高気圧とチベット高気圧が重なり、いわば布団を2枚かけているような状態が続き、気温を押し上げたという。
 多くの観測地点でタイ記録を含めて過去最高の気温を更新した。7月23日には埼玉県熊谷市で史上最高の41.1度を記録した。40度を超す地点も相次いだ。
 降水量も多く、北日本の日本海側は梅雨前線、秋雨前線、西日本の太平洋側と沖縄・奄美は台風や梅雨前線の影響で記録的な大雨の日があった。6月末から7月はじめにかけては、活発な梅雨前線、台風7号により、西日本を中心に広い範囲で記録的な大雨となった「平成30年7月豪雨」で大きな被害が出た。沖縄・奄美の夏の降水量は統計開始以降で最多だったという。
 6月の大阪北部地震、西日本豪雨、台風21号による関西空港の冠水など大阪市を中心とした被害、9月5日には北海道で地震があり、猛暑と災害の夏だったと記憶に残りそうだ。改めて災害が多発する日本の現実を強く認識させられる。
 9月1日は「防災の日」、この日を含む1週間は「防災週間」として、今年も各地で訓練が行われた。9月1日は1923(大正12)年の関東大震災にちなむ。マグニチュード7.9と推定され、首都圏を襲った直下型地震として、関東南部から東海地域に及ぶ被害となった。
 昼食の準備をしていた正午2分前に発生したこともあって火災の被害も大きかった。死者は10万5385人、全潰・全焼・流出家屋は29万3387に上り、電気、水道、道路、鉄道などのライフラインも甚大な被害が出た。
 今年は95年となる。約1世紀に及ぶが、この間に見舞われた多くの災害の教訓を、我々は生かしているのだろうか。地震、津波、火山、台風と、古くから日本は災害が頻繁に起こってきた。
 この夏に豪雨で大きな被害のあった地域は、かねて浸水や土砂崩れなどの危険性が指摘されたところが多いという。西日本豪雨で被害にあった広島県坂町には「水害碑」があり、明治40年7月にも同じような土砂崩れがあったことを教えていた。
 河川が決壊した岡山県倉敷市真備町では、過去の洪水をもとにしたハザードマップと浸水の地域がほぼ重なっている。対策工事が秋に開始される予定だったという。関西空港は軟弱な地盤を埋め立てたもので、地盤沈下が指摘され、高潮の危険が警告されていた。
 日本は地震国と同時に台風が襲来する地理的条件がある。地球温暖化の影響もあるのか、近年は従来と異なった豪雨が頻発する傾向で、全国どの地域でも油断はできない。
 「天災は忘れた頃にやってくる」と言ったのは物理学者で随筆家の寺田寅彦とされるが、過去の教訓を忘れず、災害が発生しないような対策を行うと同時に、様々な事態を想定した防災や避難の体制を確立しておくことが求められる。災害時における相互協力を含む自治体と郵便局との包括連携協定も広がっている。公的使命を持つ郵便局に期待されることも大きい。
(和光同塵)

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