コラム「春秋一話」

 年/月

第6975号

春秋一話 お休み

春秋一話  お休み

第6973・6974合併号

戦後最長の景気拡大となったが

 内閣府は1月の月例経済報告を1月29日に公表した。基調判断を「景気は、緩やかに回復している」と、昨年12月の表現と同じにした。
 「先行きについては、雇用・所得環境の改善が続くなかで、各種政策の効果もあって、緩やかな回復が続くことが期待される。ただし、通商問題の動向が世界経済に与える影響や、中国経済の先行きなど海外経済の不確実性、金融資本市場の変動の影響に留意する必要がある」との内容だ。
 この結果、景気拡大期間は2012年12月から6年2か月となり、戦後で最も長かった「いざなみ景気」(2002年2月~08年2月の6年1か月)を抜いて、最長となった可能性があると判断している。
 戦後、日本経済の主な好況は様々な名がつけられ、それぞれに特徴がある。「神武景気」は1954年12月から 57年6月まで2年7か月続く。有史以来の好景気として命名された。
 高度経済成長の先駆けで、経済活動が戦前の水準を超え、56年版の「経済白書」では「もはや戦後ではない」との表現が登場した。「三種の神器」といわれた白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫の家電ブームの端緒となり、大衆消費社会への入口ともなった。
 「岩戸景気」は高度経済成長期の中盤、1958年7月から61年12月まで3年6か月。神武景気をしのぎ、天照大神が天の岩戸に隠れて以来の好景気として名づけられた。働く人の収入も増加、中流意識が広がり、大量生産・大量消費の嚆矢ともなり、スーパーマーケットなどの大型店舗が出現した。
 「いざなぎ景気」は東京オリンピックの翌年、65年11月から70年7月までの4年9か月。国際競争力の強化を目的に、大型の企業合併が進む。クーラー、車、カラーテレビが「新三種の神器」と呼ばれ、神武・岩戸景気を上回る好況として、天照大神の父とされる伊弉諾尊(いざなぎのみこと)にちなんだ。
 「バブル景気」は86年12月から91年2月までの4年3か月。実体経済から乖離して不動産や株が高騰、一部での派手な消費も話題となったが、バブル崩壊後は長い低迷が続く。
 そして好景気とされた「いざなみ景気」は「豊かさを感じない」のが特徴とされる。労働者の賃金は伸びず、格差社会が流行語となるなど大多数の人にとって好景気の実感は乏しかった。伊弉諾尊の妻「伊邪那美尊」(いざなみのみこと)から命名された。
 その「いざなみ景気」を超えたとされる今回の景気拡大、政府は就業者数の増加はバブル景気に迫る375万人で、物価下落も止められたと強調するが、実質経済成長率は、実感なきと言われた「いざなみ景気」の1.6%をも下回る1.2%だ。異次元の金融緩和による円安傾向で輸出は好調だったが、国内総生産(GDP)の約5割を占める個人消費の伸びはまだ弱い。
 今回の景気拡大で総需要の伸びに占める輸出の寄与率は半分程度、一方で個人消費の寄与率は約2割に止まる。日本経済を支えてきたのが輸出だが、月例経済報告では、中国経済の不確実性などに留意としている。米中貿易摩擦が深刻化も懸念され、景気の下ぶれリスクに注意が必要だ。
 内需を支える個人消費の拡大が求められるが、賃金の引上げは中小企業や地方では厳しい状況が続いている。10月の消費税増税での打撃も懸念される。「いざなみ景気」と同様に“実感なき”とならないような経済対策を願う。
(和光同塵)

第6972号

さて今年の重大事とは…

 いつも年の瀬になると1年の重大事件がランキングを付けて発表される。
 かつてのようにそれほど関心を集めているとは思えないが、それでも気にはなる。いずれにしても事件は毎年起こるのだが、年の初めには重大事が解説される。これは想定外として突然のように起こることではなく、予定された出来事でもある。誰しもが少なからぬ関心を持つものだが、自分なりの判断を下すことが難しいということがある。
 例えば4月の末をもって天皇陛下が退位され元号が変更されることになる。新しい元号は4月1日に発表されることになっている。
 7月には参院選挙がある。この前に、もしくは後に、憲法改正の発議、そして国民投票ということもあるかも知れない。これらは確定されたことではなく、予想される事柄に過ぎない。10月には消費税が上げられると言われている。これも未確定な要素があるが、延期されてきた消費税が8%から10%になるわけだ。
 天皇退位、憲法改正、消費増税が予定されているのだ。私たちは国民の一人として、判断が要求されることである。しかし、賛否を含めて考えるとすれば、それぞれに難しい問題があるように思える。
 わが関心事にあらずとやり過ごすことも、上から降ってきたこととして受け入れるか、だから面白くないと拒絶することも自由だが、いずれの態度をとるにせよ、それらを自分なりに考えたいと思う。ただ、それはやさしいことではない。さて、あなたはどうか、という問いかけを発する前に、自問として振り向けたい。
 天皇退位と元号の変更についてだが、天皇退位はこれでいいと思っている。天皇が死ぬまでその位置にあるべきだとは思っていないからだ。以前に女系天皇が議論に上ったときも賛成だった。「万世一系」という権威づけに固執する形で出てくる退位や男系天皇論には疑問を抱く。象徴としての天皇は、かつてのような権威づけられた天皇を否定して出てきたものと考えられるからだ。
 それならば、元号の使用はどうだろう。日頃は西暦を使っている。時代を考えるときに便利で、和暦にそって考えるのは煩わしいからだ。
 歴史的なことを考える場合においてだけではなく、最近のことを考えてもそうである、昭和生まれが、平成時代のことを和暦として考えるとしばしば混乱に陥るのである。平成何年というのは記憶しにくいし、やむなく西暦に換算して補っている。平成の始まりと終わりは覚えているが、途中は感覚として記憶されていない。
 これは昭和や大正や明治ということとは別なものとしてある。明治以前のことにも同じことを感じている。和暦は日本人の固有の時間意識を持つものだと言われる。確かに、昭和や大正、明治にはそれを感じる。明治以前や平成にはそれを持たない。平成生まれ、あるいは平成時代に多くを過ごした人はどうなのかと思うが、西暦を主にして、和暦は副次的なものとして併用する方がいいのではないだろうか。
 和暦に日本固有の文化的意識を持つ人もいるのだろうから、残すことに反対ではない。現在は世界的に「自国ファースト」が強く出てくる時代である。だから、和暦が自国の時間を意識させるものとして見直されるのかもしれないが、その煩わしさを考えると、それは存続するにしても副次的なものにした方がいいと感じる。
(坂田の力)

第6971号

亥年生まれは1055万人

 今年は亥年。十二支で最後の年となるが「新たな生命が種子の中に閉じ込められた」状態をいうとされる。いわば、枝もたわわに実った果実が種子となり、エネルギーを蓄えて次の世代への引継ぎを準備していることだそうだ。新たな飛躍への年でありたいと初詣をした人も多いだろう。
 京都御所の西側にある護王(ごおう)神社には、こま犬ならぬ“こま猪”がある。平安京の建都に貢献した和気清麻呂を祀る。神社の由緒によると「もとは洛西の高雄山神護寺の境内に清麻呂の霊社として祀られ、古くから『護法善神』と称された。江戸末期に孝明天皇が清麻呂の功績を讃えて正一位護王大明神の神号を授け、明治7年に護王神社と改称。明治19年、明治天皇の勅命により、蛤御門前の現在地に遷座した」とある。
 祀られている清麻呂は奈良時代、弓削道鏡によって九州へ流罪となり、宇佐八幡宮に向かう折、どこからかともなく300頭もの猪が現れ、守りながら道案内をして助けたとの伝説がある。道鏡の失脚後は都へ呼び戻されて活躍した。清麻呂を祀る神社には猪をと奉納され、「いのしし神社」とも呼ばれて親しまれている。
 
 亥年に生まれた人は1055万人。総務省統計局が1月1日現在で推計している。男性は512万人、女性は543万人。総人口1億2632万人(男性6146万人、女性6486万人)の8.4%を占め、十二支の中では7番目。
 年齢別では第1次ベビーブーム(昭和22~24年)世代の72歳となる人が206万人と最も多く、第2次ベビーブーム(46~49年)世代の48歳が196万人と続く。最年少の平成19年生まれの12歳は108万人、大正12年生まれの96歳は16万人となっている。
 また、新成人(1月1日現在で20歳)は125万人。男性は64万人、女性は61万人。総人口に占める割合は0.99%、前年に比べると2万人増、0.02ポイントの上昇。いずれも2年ぶりの増加、上昇となった。
 新成人は推計を開始した昭和43年から第1次ベビーブーム世代の昭和24年生まれが成人に達した45年が246万人(総人口に占める割合は2.40%)で最も多くなった後、減少に転じて53年には152万人(同1.33%)となった。
 その後は増加傾向となり、第2次ベビーブーム世代が成人に達した平成6年の207万人(同1.66%)をピークに、再び減少傾向を続けている。23年には総人口に占める割合も1%を切っている。

 青森県の弘前市立博物館には「猪型土製品」が展示されている。岩木山の山麓、十腰内(とこしない)2遺跡から昭和35年に発掘された。約4000年前の縄文時代後期の竪穴式住居跡や土器、石器、土製品などが出土した。
 その中でも特に注目されたのが猪型土製品。体長18センチ、高さ9.7センチ、はっきりとした両目、耳は左右に張り出し、鬣(たてがみ)が逆立つ。今にも飛びかかりそうな表情がリアルだ。
 縄文時代後期から晩期にかけて、猪型土製品は北海道から関東まで散見されるが、それらの中でも群を抜く大きさで写実性に富み、美術性にも優れている。何のためにつくったかは定かではないが、狩猟の際の儀式に使われたと考えられている。縄文人の精神文化の一端を表すものとして平成23年に国の重要文化財に指定された。愛称を「いのっち」と命名されている。
 猪突猛進との言葉があるように、無鉄砲とされる一方、学習能力は高く、勇敢で生命力の強さなどで古来より信仰の対象にもなってきた猪、今年が良き年となるよう願う。 
(和光同塵)

第6970号

春秋一話 お休み

春秋一話 お休み

第6968・6969合併号

お休み

お休み

6966・6967合併号

社会に関与し続けること

 「年暮れぬ笠きて草鞋はきながら」(芭蕉)。旅に明け暮れた芭蕉らしい年の瀬だったのだろうと思うが、いつの間にかその年の瀬になった。私の住む近くでは毎年12月15、16日に世田谷ボロ市がある。年明けの1月15、16日にも開かれるが、400年以上も前の「楽市」から続く伝統的なものだ。ボロ市が近くなると、いつも年末になったと実感する。そして、自然にこの1年のことを考えている。同時に来年というか、行く末のことにも思いを馳せる。
 それにしても今年は多くの友人の訃報を聞いた。相応の年齢だから自然だろうと思うが、それにしても心に引っかかることが多い。もう少し会っておくべきだったと悔恨に似た気持ちで想起している。彼等は今の世の中というか、動きをどう考えていたのだろか。この世を去った友人には、かつて世の動きを共に考えた人たちが多くいたこともある。幸か不幸か、そういう因縁で結ばれた世代だった。
 今年も否応なく、いろいろな事件の報道に接した。不正というべき事件が多かったように思う。不正入試はその最たるもので、これは今も伝えられている。企業や官僚のデータ不正や偽造も次から次と伝えられた。社会の倫理というか、モラルの根底が壊れているのではと感じられる。社会の信頼の根底が壊されている。
 例えば何の疑いもなく通貨(お金)を使っているが、これは無意識にまでなった信頼(信用)があるからだ。しかし、信頼に値するものが壊れていることを示すのが不正事件である。人々は不正事件に怒り、日本社会はどうなっていくのだろうかという不安を喚起させられる。
 度重なる事件の連続の中で、人々はどうしていいのか、その解決を考えあぐねているようにも見える。事件に衝撃を受け、怒りを感じていることは疑いないが、解決の方途は見えず、成るようにしか成らないとの思いであれば危い。社会の動きは私たちの主観(主体的意思)とは関係がなくあるものだという意識が人々を支配しているようにすら思う。事件を冷めた目で見て、自分たちには関わりようがないことだと思っているようにも受け取れる。
 世の動きに関わり、私たちの意思の関与において変えていく、いうなら不正をただし、信頼のおける社会にしていくということは難しいことには違いない。多くの事件の報道に接しながら、その道についても考えさせられた。社会の諸々の不正事件に目を背けず、それに関わるとしたらどんな道があるのだろうか。これは世の中の動きは自然に成るように成っていくものではなく、自己の意思によって関わっていくものだという事にもつながる。
 日本が、というよりは、現在の世界が抱える最も難しいことに違いないが、憲法に国民が主権者とあることを想起したいと思う。唐突に聞こえるかもしれないが、国民が主権者であることは国民という諸個人が、その個々に意思によって社会に関与し、社会を創るという事である。社会は神や自然が創ったものではない。だから、不正をただし、信頼という倫理やモラルを創り、保持させるのは、神や自然ではなく個人の意思である。
 これは今、どのようにありうるのか。世の中について、その動きについて、つまりは社会を考えるということにおいて。意思の根底は考えることであり、考え続けることだ。流れの速い、動きの速い世の中のことを考え続けることは安易ではない。でも、それを止めないことが、倫理やモラルの壊れゆく社会に抗い、それをただすことである。(坂田の力)

第6965号

“コストカッター”と企業統治

 日産のカルロス・ゴーン会長が東京地検特捜部に11月19日に逮捕され、産業界にも衝撃が走った。有価証券報告書に巨額の報酬を虚偽記載した容疑だ。容疑は否認しているが、会社の資金も私的に流用していた不正行為があったとして、会長を解任された。
 1999年、経営危機に直面した日産にルノーから送り込まれた。再建計画「日産リバイバル・プラン」を策定、2000年には社長に就任。20年近くにわたり日産の最高経営責任者(CEO)や社長、会長を歴任、ルノー、三菱自動車でも会長を務めた。
 “コストカッター”と異名をとるなど日産のいわゆるⅤ字回復に辣腕を振るった。2000年度の営業利益は2903億円をあげたが、そのうちコスト削減効果は2870億円。人件費の削減と下請けの部品メーカーからの購買コスト削減が主な中身だった。
 従業員は2万2900人と大量削減、同時に非正規雇用を開発部門の中枢にまで導入した。工場閉鎖、下請け業者への合理化の押し付けと、地域経済への影響も大きかった。それでなくても、自動車産業は“乾いたタオルをしぼるように”と、下請けに単価の引き下げを求めてきている。
 完成車検査を無資格者が行うという不正もまかり通ってきた。排ガス・燃費測定の不正も発覚している。12月6日には新たな不正が発覚したと明らかにした。ブレーキなど複数の項目で見つかったという。ブレーキは安全性に直結する非常に重要な部分だ。
 利益至上主義の弊害とも指摘されるが、一方で巨額の役員報酬を受け取り続け、10数人いる役員の報酬全体の半分以上を1人で占めていたとされる。
 リーマン・ショックから10年、行き過ぎる金融資本主義、格差の広がる社会、資本の貪欲さ、極端な利益優先への疑問が指摘されつつあるが、ブラジルで生まれ、両親の故郷であるレバノンへ移り、フランスの大学で学ぶ幼少青年期を過ごしたというゴーン氏。その複雑な生い立ちの中で、何を考えていたのだろうか。
 欧米では巨額の報酬については、当然という見方もあるが、報酬は株価や他社と比較して、算出方法は少なくとも開示されている。日本では会社法で株主総会か定款で役員報酬を決めるとされているが、ゴーン氏は事実上、自分で決めていたとされ、「お手盛り」となれば非難されても致し方ない。
 基準などの情報開示が重要な課題だ。独立した社外取締役などで構成される「指名・報酬委員会」が役員報酬を決める体制の強化も求められるが、日本では設置は任意で、まだ一部となっている。
 やっと金融庁が、上場企業に役員報酬の決め方を開示するよう義務づける方針を固めた。金融商品取引法に関連する内閣府令を改正し、2019年3月期決算から適用することにしている。報酬の決定過程も開示させ、外部からのチェック機能を強化する。
 また、欧米を真似て短期的な利益を追求する風潮が日本でも強まっているが、企業には働く人の生活を守り、地域社会や経済に貢献、ものづくりを育てる責任もあるだろう。日本を代表する企業のガバナンス(企業統治)の在り方に一石を投じた事件だ。
(麦秀の嘆)

6964号

日銀の総資産がGDPを超える

 日本銀行の総資産が11月10日時点で国内総生産(GDP)を上回った。553兆5922億円と名目GDPの552兆8207億円(4~6月期、年換算)を超す水準となった。日銀の総資産が直近年度のGDPを超えたのは戦後初めてのこととなる。
 総資産のうち大半を占めるのは国債の約469兆円、株価を下支えするため購入している上場投資信託(ETF)が約22兆円を占める。ETFの購入額は10月でも8700億円となり、1か月の購入額としては過去最高となった。
 ETFは多くの企業の株式を組み合わせ、価格が日経平均やTOPIXなどに連動する投資信託。この購入は株式の保有を間接的に行うこととなる。同時期は米国と中国の貿易摩擦の影響で世界的に株安となった。日本も同様で、株価を日銀が買い支えている構図だ。
 日銀は平成25年から黒田東彦総裁のもとで“異次元緩和”を開始し、“禁じ手”とされてきた国債などを大量に買い続け、世の中に出回るお金の量を2倍、3倍と増やしてきた。異次元緩和を始める直前の24年度末の総資産は約164兆円、この5年余りで約3・4倍まで膨れあがった。今回の総資産がGDPを越えたのも大規模な金融緩和で大量の国債を買い続けている結果だ。
 日銀は物価上昇率2%の目標に向けて国債などの買い入れを続けており、今後も資産はさらに増えることが予想される。しかし、物価上昇率は目標に遠く及ばず、先月の金融政策決定会合で32年度の予想値を1・6%に下方修正することなどを余儀なくされた。
 日銀の物価目標は先送りを重ね、異次元緩和後の5年を経過しても達成する気配はない。大量の資産買入と物価とは連動しないことを認め、資産の買入を停止し、中央銀行の資産の水ぶくれを解消することを意識すべきではないかという指摘も出ている。
 前総裁の白川方明氏は「緩やかな物価下落が生じたのは事実だが、日本の低成長の根本的原因とは思えない。近年の内外のバブルはいずれも物価安定の中で起きている。2%か1%かという目標数字が本質的な問題ではなく、金融の不均衡を含めて、持続可能かどうか点検することが大切」とする。
 黒田総裁さえも金融緩和の副作用にも言及している。低金利で金融機関の貸し出し収益が減少することが懸念材料とし、特に地域金融機関の経営が厳しくなるとした。実際に2018年3月期の中間決算で、地域経済に密着した信用金庫で「逆ざや」になっているところが明らかになっている。深刻な資金運用難に陥っていると言える。
 日銀の総資産は今年3月末時点で既に485兆円の米連邦準備制度理事会(FRB)を上回り、572兆円の欧州中央銀行(ECB)にも迫っている。ECBは金融緩和を正常化するとして国債買い入れ額を減らしている。日銀がこれまでのように買い入れを増やせば、ECBを抜き総資産で世界一になる可能性もある。
 保有資産の規模があまりに大きいと、緩和を終える出口で日銀の財務が悪化する懸念がある。現在の国債の利回りは低いが、政策金利が引き上げられるときには利払いが増える。出口に向けた施策を考えておくことが求められている。(和光同塵)

第6962・6963合併号

たまには便りをと思うのだが

 昔のことになるが、近所に住む先輩(先達というべきか)に、新聞を読めば世の中の動きがわかると言われたことがある。この人は戦前の旧制高校の出身で本物のインテリだった。訪ねていた頃は隠居みたいな形ではあったが、本棚には哲学や宗教、経済学、そして数学の本までそろっていた。時間を見ては数学や哲学の本を、よくひもといていた。
 話が楽しかったのと、蔵書を図書館がわりに利用させてもらえた。この先達はいつも丁寧に新聞を読み、世の動きに関心を寄せ続けていたのは驚きだったが、さすがに本物のインテリは違うと思った。
 その人を習ってというわけではないが、新聞はよく読んでいる。一般紙からスポーツ紙、また夕刊紙と呼ばれるものまでだ。今、若者は新聞を読まなくなったといわれるが、私にとって新聞は毎日の生活に欠かせないものである。その中で欠かさず、これだけはと読んでいるのは、「天声人語」などの看板ともいうべきコラムではない。また、社説でもない。コラムは確かに面白いし、一通りは目にする。社説は見出しぐらいは目にするが、欠かさず読むというわけではない。
 意識していつも目にするのは読者投稿のコラムである。一般の投稿欄ではない。こちらは紋切型の表現ということが気になってしまう。具体的に言えば、ある新聞で「ひととき」や「あけくれ」等としてある、さりげなく日常の一コマを綴ったコラムである。
 人との思わぬ出会いや別れ、関係が生まれ濃密になっていくこと等、身辺での出来事を記したものである。これは世の中の大きな出来事を伝えているわけではないのだが、政治的あるいは社会的記事とは別の意味で、世の中の動きを伝えてくれる。
 このコラムに引かれるのは現在という時代が、もう大きな物語が困難になっているためではないかと思う。自然との交流と隣近所の人たちとの関係に終始した時代(農耕社会の時代)と違って、現在は大きな枠組みの世界(共同の世界)から押し寄せてくるものある。
 世の動きということでもいいのだが、政治や社会的出来事がやってくる。それは情報という形でやってくる。だから、身近な身辺の事だけに関心を寄せていればいいというわけにはいかない。しかし、押し寄せてくる世界とどう関係していったらいいのか難しい。世の動きに関心を持つこと、強いられながら関心を持ち関わることは容易ではない。矛盾といえば矛盾なのだが、これは文化的な意味で言えば大きな物語が困難になっていることである。
 大きな物語の世界に背を向け、小さな世界の物語に関心を持つことを強いられているのかもしれない。でも、このコラムに引き寄せられるのは、それだけの理由ではないと思う。人は日常という小さな世界で生きるのだし、そこにこそ、本質的な生があるのだと思う。
 日常というドラマの生起する世界で生きてあることが本来の生なのだろう。多様で多彩な生を小さな場で送る。その日常の生を知ることで、安堵を得て、また孤独を脱する。人は孤独を好むが、そこから脱することも願う。それは他者のさりげない、けれどドラマを内包した生のあり様を知ることにおいてだ。
 これは、人が便りをしたいという欲求やそれを受け取った時の喜びに通ずるのだと思う。コラムを読みながら、己の身辺の出来事を便りにしたいと思うことも多いが、実際はなかなか実現しない。でも便りくらいはと、常に思うのである。
(坂田の力)

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