コラム「春秋一話」

 年/月

第6904・6905合併号

今週はお休みです。

今週はお休みです。

第6903号

65歳以上が過去最多を更新

 日本の総人口は1億2671万人、昨年(1億2692万人)と比べると21万人の減少となった一方で、65歳以上の高齢者は3514万人と昨年より57万人の増加(9月15日現在)、総人口に占める割合も27.7%となった。いずれも過去最高を更新した。
 総務省が9月17日に公表したが、高齢者人口は昭和25年以降、一貫して増加し、平成24年に3000万人を超えている。人口減少社会、少子高齢化の進展傾向がますます強まっている。
 高齢者の男女別では、男性が1525万人で女性は1988万人、女性が463万人多い。男女別の人口に占める割合は男性が24.7%、女性が30.6%。年齢別では70歳以上が2519万人(19.9%)、75歳以上が1747万人(13.8%)、80歳以上が1074万人(8.5%)、90歳以上が206万人(1.6%)。90歳以上は初めて200万人を超えた。
 また、厚生労働省は9月15日に100歳以上は6万7824人と発表した。昨年より2132人増え、47年連続の増加だ。女性が87.9%を占めている。今年度中に100歳になる人も3万2097人と過去最高の見込みだ。
 政府はお祝い状と記念品として「銀杯」を贈るが、経費節減として昨年から純銀製を合金に銀メッキしたものに変えている。最高齢者は鹿児島県喜界町の田島ナビさんで117歳。男性は北海道足寄町の野中正造さんで112歳。
 高齢者の増加は「医療技術の進歩などが影響している」と厚労省は見ているが、今後も高齢者の占める割合は増え続けるだろう。医療や介護などが大きな課題だ。現在、懸念されているのが、戦後の第1次ベビーブームの時代(昭和22~24年)に生まれた「団塊の世代」が75歳以上となる2025年だ。「2025年問題」とも言われ、国民の5人に1人が後期高齢者となる。現在、要支援・要介護認定者の割合は、75~79歳で14.0%、80~84歳で29.9%、85歳以上では60.3%。75歳を過ぎると、急速に認定者が増える。
 2025年には医療、介護を必要とする人が多くなり、社会保障制度の在り方が課題とされる。介護や看護分野の人材不足もあり、介護を受けたくても受けられない“介護難民”の発生も懸念されている。現在でも公的な養護施設への入居待ちという事態が発生している。
 高齢者の増加は実に喜ばしい限りだが、それを世代間の対立にしてはならない。長寿社会を祝うと同時に、子育て世代への支援を含めて、社会福祉の維持に知恵とお金を使って欲しい。公平な税の負担と真に求められる分野への的確な予算の使い方を今一度に考えることだ。
 主要国における高齢者の就業率は日本が22.3%で最も高い。アメリカ18.6%、カナダ13.1%、ドイツ5.6%、イタリア3.9%、フランス2.8%。健康のために働いているという側面もあるだろうが、働かなければ食べていけないこともある。高齢者、子育て世代を問わず、安心して生活できる社会であることを願う。
(和光同塵)

第6902号

吹き始めた解散風

 そろそろ秋風がと思っていたら、吹き始めたのは解散という風だ。衆議院選挙だが、どうやら10月の下旬を投票日として決まりそうだ。新聞やテレビでは「大義なき選挙だ」「解散は首相の専権事項である」等の声が伝えられるが、どうもスッキリしない、もやもや感が消せないという人もいるだろう。
 国民にとって選挙は1票を投じに行くということだが、これは国政に関与することであり、心の準備が必要だ。それが整わない間に否応なしに選挙に巻き込まれてしまいそうで、落ち着かない気分にさせられるという面もある。
 あるテレビでは1952年当時の吉田茂首相による「抜き打ち解散」のことを紹介していた。衆議院の解散を規定しているのはよく知られているように憲法69条と7条である。69条は内閣の権限に関する条項で、衆院で内閣不信任が可決された場合に、首相は総辞職か解散・総選挙を選択できる。この場合は、国会が首相の不信任を出す政治的な対立があるわけだから、国民に信を問うということで、選挙の必然性は分かる。
 7条は天皇の国事行為として解散ができるということだ。だが、天皇は解散を決める政治的権限はなく、内閣の方針を承認し、形式的にこれを行うだけだから、決定権は内閣(首相)にある。
 この条文については解釈がいろいろとあるが、首相の権限として解散を認める解釈が多数となっている。解散は首相の専権事項であり、「抜き打ち解散」は問題がないとされるゆえんである。
 7条の規定に沿って首相が好きなように解散できるというのは認められるにしても、ただ、政治的に納得がいくかどうかは別であろう。
 今回の安倍首相の解散・総選挙に対して「大義がない」という声が出てきているのは政治的理由が明瞭ではないということを漠然とであれ感じている人がいるからだろう。首相の専権事項をどうこう言う気はないが、政治的には納得のいく理由を欲しており、投票という行為を取る一人として当然のことと思う。
 もともと選挙は国民が国政の担当者を選ぶことであり、主体は国民にある。国民主権ということで言えば、こうあるのが当然のことだ。しかし、国民は政党から選ぶことを強いられ、どこか主客が転倒しているという思いもある。これには選挙について歴史事情が絡んでいるのだろうが、主体であるはずの国民は政党から提示されたものを選ばされており、それに対する不満というか、不信がついて回っているのだ。この事情は解散理由の不鮮明さに対する不満にも繋がるのだろう。
 現行の選挙についてはいろいろの思いがあるが、ただ、理由が明瞭でなかったにしても、国民はそれを創り出していけるのも選挙である。そのための努力を国民はしなければならない。選挙理由を国民の意識として明瞭にし、それに基づく投票にしていくべきである。
 今度の選挙を提起した政府与党には政治的理由があるだろう。今なら勝てるかも知れないというのもそうだろうし、背後には憲法改正も見える。9条改正には選挙に勝たなければならない、今ならその可能性があるという政治的判断があるのだと思う。
 そうであれば、国民は憲法をどうするかの判断で選挙をする、それを自覚することで、選挙の主体的理由と行為を明確にできるのではないか。国民の中には憲法について、とりわけ9条についてはいろいろの見解があるのは当然のことだ。一人ひとりが主権者として憲法について主体的に考え行為するいい機会になるとも言える。そういう機会にすることを国民は要請されているように思う。(坂田の力)

第6901号

自然災害への備えを万全に

 アメリカを襲った巨大ハリケーン「イルマ」は、9月10日にフロリダ州に上陸し、甚大な被害をもたらした。インド洋ではサイクロン、日本では台風と呼ばれるが、昨今の熱帯低気圧の勢力には驚かされる。
 日本は台風をはじめ地震、津波、噴火、土砂災害など自然災害が毎年のようにニュースとなる。大きな災害に見舞われるたびに、避難指示や情報の伝え方などが見直されてきたが、その教訓を生かすことが重要だ。
 災害で今でも語り継がれるのが1923(大正12)年9月1日に発生した関東大震災。マグニチュード7.9と推定される直下型地震だった。近代化した首都圏を襲った直下型地震として、関東南部から東海地域にまで被害が出た。昼食の準備をしていた正午2分前に発生したこともあって火災の被害も大きかった。
 死者10万5385人、多くは火災に巻き込まれた人という。台風の影響で強い風が吹いていたともされる。建物の倒壊や直後の大雨での土石流などでも多くの人が亡くなった。また、関東南部、特に神奈川県西部や千葉県の房総地域では、大きな津波が押し寄せた。
 この9月1日は「防災の日」として、今年も各地で多くの訓練が行われた。備えあれば憂いなしだが、地震への対応はなかなか難しい。首都圏を襲う直下型地震は、今後30年以内の確率は約70%とされる。
 国の中央防災会議は、焼失は41万2000棟、最大で死者2万3000人、経済的な被害は95兆3000億円と想定している。
 1854年の安政東海、安政東南海地震、1944年の昭和東南海地震、46年の昭和南海地震と約100~200年おきに発生を繰り返してきた南海トラフ巨大地震も予測が難しい。新幹線や高速道路が集中し、経済的被害は215兆円とされる。1978年に大規模地震対策特別措置法(大震法)が制定されたが、確実な余地は困難とし大震法による防災対応が見直されることになった。
 火山や集中豪雨への備えも欠かせない。日本は世界の約7%にあたる111の活火山がある。2014年には長野・岐阜県境の御獄山が噴火、死者・行方不明者63人が出たことは記憶に新しい。また、九州北部を襲った7月5日からの記録的な集中豪雨で、福岡県朝倉市、東峰村、大分県日田市、中津市などで被害が出た。2か月以上が経っても被害は依然深刻だ。生活再建への支援が求められる。
 1995年の阪神・淡路大震災を契機に98年に被災者生活再建支援法が成立。2011年の東日本大震災後には災害対策基本法が改定された。
 しかし、支援金額の引き上げや対象の拡大などの見直しも課題だ。“災害大国”と呼ばれる日本にとって、被害を最小限に抑え、国民の命を守ると同時に、被災者支援の強化が必要だろう。
 地震、津波、火山、台風などに備え災害に強い国土の形成が求められるが、住宅の耐震性の向上、木造密集地域の対策、ハザードマップの整備、老朽した公共施設の改善など備えが欠かせない。自治体と郵便局との災害協定も広がっている。公的使命を持つ郵便局の大きな役割でもあるだろう。自然災害を決して人災としない政策が重要だ。従来の発想に捉われず知恵を絞った対策が急がれる。
(和光同塵)

第6900号

日本郵政株式の2次売却

 日本郵政株式の2次売却が話題となっている。2次売却は既に今年3月に幹事証券会社が選定されている。売り出しを統括するのはグローバルコーディネーターに選ばれた大和証券、野村証券、ゴールドマン・サックス証券の3社。みずほ証券、三菱UFJモルガン・スタンレー証券、メリルリンチ日本証券と合わせて6社が主幹事証券となる。
 民営化10年目を迎える10月を前に、今月中にも売り出される見通しとされる。政府が4日に追加売却の最終調整に入り、今日(11日)にも日本郵政が決定すると見られている。政府は2次売却の時期を模索してきた。
 今夏とも言われていたが先送りとなっていた。麻生太郎財務相は9月5日の会見で、株式売却は未定とした上で、北朝鮮問題が株価に与える影響を注視する考えを示した。北朝鮮情勢などで市場が急変した場合は更に先送りとなることも予想される。
 2015年11月の日本郵政グループ3社の上場に伴う新規株式公開の第1次売却では、政府は約2割の日本郵政株を売却し1兆4000億円の収入を得た。それ以来となるが、2022年度までに売却によって計4兆円の収益を確保し、東日本大震災の復興財源に充てる計画で、追加売却のタイミングに注目が集まっていた。
 今回も1兆円から1兆4000億円が予想され、国内外の投資家を対象に売却される。日本郵政の株価は、上場後に売出し価格の1400円を上回り、2000円近くまで行ったが、9月6日時点で前日比32円プラスの1314円と1300円台を推移している。復興財源を確保するのに必要な1230円のラインは上回っており、予定した売却収入は得られると政府は判断したものと思われる。
 8月10日に発表した2018年3月期の第1四半期決算では、売上高に当たる連結の経常収益は前年同期比3.0%減となる3兆2712億円だったが、経常利益が前年同期比49.3%増の2181億円、連結純利益は同25.7%増の1044億円と伸びている。豪トール社に関する減損処理を2017年3月期に一括計上したことで、収益改善を市場に示した。5月に明らかにした2018年3月期の通期業績予想である連結経常利益7800億円、純利益4000億円も修正しなかった。
 2015年11月の上場に際して、当時の日本郵政の西室泰三社長は「日本郵政グループ全体の企業価値を上げる。中核を成す日本郵便の世界に冠たる郵便局ネットワークが最大の強み。グループは国民のための企業体であり、郵便局ネットワークを活用することが、大きな使命と覚悟を決めている」と強調した。海外投資家への説明でも郵便局ネットワークの存在が大きな関心を呼んだという。
 民営化から10年、上場から1年10か月の2次売却だが、日本郵政の長門正貢社長は「市場から明確な成長戦略を求められ、経営環境は厳しくなったが、上場の意義は大きい」とし「売却が遅いとの見方があるが、国鉄民営化は1986年、JR東日本が上場したのは93年、完全民営化は2002年と9年かかった。NTTの上場は87年、その後2、3、4次と続き直近は2000年に6次売却したが、今も政府が33.7%を持つ。政府は復興財源のために前倒ししたいのではとも思うが、我々も急ぎながらも着実に進めたい」と強調していた。
 また、2015年4月に中期経営計画を発表したが、その年の11月に上場したことは、市場への経営のアピールだった。今年度はその最終年度となるが、長門社長は「責任をもって達成」と意欲を示す。次期中期経営計画も策定中だ。ユニバーサルサービスの維持、郵便局ネットワークの強化が注目される。
 「上場企業としてのエクイティストーリーを作らなければならない」(長門社長)が、「ユニバーサルサービスは絶対的な使命。矛盾しない範囲の経費でコントロールも考えるが、過疎地や離島の郵便局をなくすわけにはいかない。2万4000のネットワークの価値をさらに高め、活かす方法が求められる」ことに期待したい。
(和光同塵)

第6899号

食料自給率38%に下がる

 農林水産省は8月9日、2016(平成28)年度の食料自給率を公表した。カロリーベースで38%(生産額ベース68%)と、ここ6年間は39%で推移してきたが、1ポイント下がったことになる。
 食料自給率は食料消費が国内の農業生産でどの程度が賄えているかの指標だ。維持、向上させている欧米諸国は多いが、日本の低下は農業の維持、食料の安定供給などにとって大きな課題となっている。
 1965(昭和40)年度は73%だったが、その後は下がり続けてきた。70年度には60%、87年度に50%、98年度に40%となった。
 冷害で米が凶作となり、タイ米を緊急輸入した93年は37%になったが、2016年度の38%はそれに次ぐ史上2番目の低さだ。
 1日1人当たりの総供給熱量2429キロカロリーに対して、国産の供給熱量は913キロカロリーに過ぎない。前年度より43キロカロリーも減った。
諸外国の自給率の1965年と2013年を見ると、カナダ152%→264%、オーストラリア199%→223%、アメリカ117%→130%、フランス109%→127%、ドイツ66%→95%、イギリス45%→63%と増加している。そのほか、スペイン96%→93%、スウェーデン90%→69%、イタリア88%→60%で、減少はしているものの日本と比べると高い値を維持している。日本は先進国中、最低の水準だ。
 政府は2015年3月に食料・農業・農村基本計画を閣議決定し、2025(平成37)年度に45%(生産額ベース73%、畜産物の自給率に大きな影響を与える飼料自給率40%)を実現するとしたが、その目標の達成には相当に思い切った政策が必要だろう。
 欧米諸国では価格保障や所得補償を手厚くしているが、日本では輸入自由化によって過酷な競争にさらされてきた。農業政策を“ノー政”と揶揄されてきた歴史もある。安い外国産との競争力を保つには政策的支援が必要だろう。
 農林水産省が5月に公表した「平成28年度食料・農業・農村白書」(農業白書)では「基幹的農業従事者は10年間で224万人から175万人に22%減少している」と指摘している。
 若い人も農業への関心が低いわけではない。同じ農業白書では、世帯員から雇用者への労働力シフトもあり、新規就農者は6万5030人と前年に比べ13%増加したとしている。
 また、食は安全性が不可欠だ。遺伝子組み換えや成長ホルモンといったものへの国民の懸念も大きい。国内の農産物への信頼度は高い。安心して農業にいそしめる環境の整備が求められる。それは、消費する者にとっても大きなメリットにつながる。
 農地は年に2~3ヘクタールが減少しているとされる。中長期的には、人口の増加によって世界的な食料不足をきたすとの国連の指摘もある。休耕田のみならず山林や原野となって荒廃した水田も多い。水田が国土の保全にも大きな役割を果たしてきたことにも思いをいたしたい。
(和光同塵)

第6898号

戦争が語り継がれる季節

 閣僚の靖国神社参拝なども含め8月は戦争のことが論議になる。
 終戦の8月15日が中心だが、戦後、延々と繰り返されてきた光景である。やはり、1945年8月15日の敗戦に至る日本の歩みは、そう簡単に決着(定説化)するものではなく、今後も続き、その中で戦争のことを考えさせられるだろう。これはいいとか悪いとかではなく、向き合うしかないことである。
 今年は日本と中国が1937年に盧溝橋で衝突し、日中戦争が全面化して80周年になる。そのためか、中国大陸での戦争のことが多く取り上げられている。8月13日にはNHKが「731部隊」について取り上げて反響を呼んだようだ。1937年末の「南京虐殺」事件と並んで731部隊のことはタブー視されてきた面がある。高校の同期生で作っているメーリングリストでも話題になった。
 戦争に関する本もいつものことながら結構出ている。例えば『帝国と立憲 日中戦争はなぜ防げなかったのか』(坂野潤治)、『戦争の大問題』(丹羽宇一郎)、『帝国軍人の弁明』(保阪正康)などがある。これらは割と近い時期に手にしたものに過ぎない。書店に行けば戦争に関する本は否が応でも目につく。
 いつも8月という戦争が語り継がれる季節に思うこと、というよりは自分の中に去来して離れないことがある。一体、私たちはどのような戦争観を持てばいいのだろうか、という自問である。戦争についての考えは自分では明瞭だと思ってきたが、どうも曖昧なところがあることに気づかされるのだ。
 戦前までなら戦争観は明瞭だったと推察する。戦争が止むを得ないというか、自然として受け入れられることが強くあり、戦争の否定の意識(特定の戦争の否定意識とは別の戦争自体を否定する意識)は少なかったのではないか、これは私なりの歴史研究の結果であるが、そう思える。
 これに対して戦後は否定の意識が反省として大きく出てきたように思う。
 戦争についての意識は大きく変わったのであり、これはイデオロギーを超えたものではないだろうか。ただ、この変化、あるいは転換が戦争観の形成にまで煮詰められたかいうと疑問もある。
 あのような「戦争は嫌だ」というのは共通した意識や感情としてあり、戦後の国民の戦争観の基盤を形成したと思う。この感性的な、感覚的な戦争への意識は理念としては深められてこなかったのではないだろうか。 確かに反戦とか平和主義という理念は流通してきたが、まだ戦争観としては曖昧な要素を残してきたように思う。
 国家対立が深刻度を増し、戦争が終焉することが程遠い現実を見せつけられるたびに、戦争観にも戸惑いが深まっているように思える。あるいは「積極的平和主義」という形で戦争に進むように見えることに反発と動揺もある。
 戦争をめぐって大きな転換というか、そう思わせる事態が進む中で、曖昧にしてきた戦争観のことが露呈しているのではないか。
 保阪正康は『日本人の「戦争観」を問う―昭和史からの遺言』の太平洋戦争に至る戦争の総括(対象化)の中で、戦争観の確立を提言している。中身を詳しく紹介する余裕はないが、明治から昭和の初期までの日本の戦争を総括し、戦争観を明瞭にせよと言う。それが明確ではない現状では、戦争に向かうことは避けるべきだと提起もしている。そうでなければ戦争において日本は同じ過ちを繰り返すと警告している。
 戦争が語り継がれる季節の中で、私たちは明瞭な戦争観(戦争についての考え)を確立することを促されているのではないのか。
 戦争への対応が従来とは違った形で迫られる今、自分の頭で戦争についての考えを確立すること、それが大事になってきているのではないだろうか。(坂田の力)

第6896・6897合併号

郵政の原点は“三事業一体”

 野田聖子衆院議員が総務大臣に就任した。3年前、「私、総務大臣になりたいの」と語っていた。1998(平成10)年には37歳の若さで小渕内閣の郵政大臣も務めている。
 郵政関係者にとって忘れられない2005(平成17)年の郵政国会では旧民営化の内容について「将来を考えた本当の改革をしてもらいたい」と主張した。様々な出来事の中で郵便局長からも厚い信頼が寄せられている。
 2か月程前に女性誌に子育ての様子が紹介されていたが、息子さんに「聖やん」と呼ばれることが嬉しいと、深い愛情を持って育てている思いが文面から伝わってきた。母としての優しさと強さは、日本中の母親にどれほど勇気を与えただろうか。
 5月に大阪市で開催された全特総会の前夜祭で登壇した際、開口一番、「私、(党職の中で)今は特別な肩書はないのですよ」とにこやかに自己紹介しながら、集まった郵便局長に「疲弊してほしくない。少し原点に立ち返りながら、望ましい郵便局のあり方を皆で検証していただきたい」などと、郵政事業が転換期、過渡期にさしかかっている見方を示し、励ました。
 原点とは何だろうかー。
 2012(平成24)年、再び政権が自民党に戻った直後、自民党総務会長を務めた時にも「一番大切なことは原点に返れるか。過去には三事業一体で概ね安定的な経営がなされてきた」と、原点が“三事業一体”を意味していることを示唆した。
 13年に、“つげの兄貴”とも呼ぶ柘植芳文参院議員の応援演説に入った際には「過去には苦しい日もあった。しかし、その時の苦労が今を築いた。多くの高齢者の方々を支えるためにも全国あまねく存在する郵便局は新たな役割を担い始めている。どこにいても生活を営める暮らしの質を保証することが求められている」と指摘。8月4日の就任記者会見でもそうした思いを繰り返した。
 総務大臣就任のニュースに触れて「この人であれば、自分たちのことを分かってくれる」と多くの郵便局長や郵政関係者が思っただろう。
 柘植参院議員は「野田聖子先生は議員という立場を超えて郵政事業を考え合える同志。互いに岐阜県出身で、私に議員になることを説得してくださったのも野田先生。長年、郵政を守ろうとしてきた野田先生が総務大臣になられたのはこの上なく嬉しい。しかし、今後、野田先生が政治家として成長されるにあたり、郵政事業だけに絞って過度な期待をかけてしまうのはプレッシャーになり、政治家としての足を引っ張ることになりかねない。そこに十分配慮し、考えながらサポートしなければいけない」と話した。
 就任会見では、記者団の「総裁選出馬に意欲を示された。今の安倍政権との対立軸を示す必要があると思うが、総務行政を進める中でどう考えるか」との質問に対し、「自民党がしっかりと国民に信用され、政権を任せてもらえる仕事をしなければならないのは安倍晋三首相との共通認識。例えば、男性にも多様な考えがあり、女性にも様々な生き方がある。対立ではなく、多様性の考え方が必要だ。人口減少という負荷がかかる時代に、多くの意見を吸収できる政権与党を作ることが自民党として国民の皆さんに約束すべきこと」と強調した。
 「山あり、谷ありの経験をしてきた互いの知見の中で、自ずと政策の違いは出てくる。そういうものも時には示すことができればよい。今は首相との共有の寄りどころである自民党の土台が崩れている。外で批判するのではなく、力を合わせて修復していかなければならない」とも加えた。
 総務大臣の所管する業務は実に幅広だ。郵政事業を深く理解する人が総務行政を担うのは心強い。
(涓埃之功)

第6895号

「みまもりサービス」に期待

今日(8月7日)から「郵便局のみまもりサービス」の申込受付が全国の郵便局で開始された。提供は10月からとなる。
 試行サービスは2013年10月から北海道などの6地域で始まり、15年10月には13都道県83市町村の738郵便局で実施した。
 新たなサービスは、タブレット端末2万台を郵便局に配備しメールで生活状況を家族や自治体などに報告する。確認する生活状況の項目も増やした。タブレット端末を使った実証実験は山梨県と長崎県で15年10月から16年3月までの予定を9月まで延長して行われた。
 こうした実証実験の結果などを踏まえ、16年11月には日本郵政の長門正貢社長が記者会見で「16年度中に事業化したい。高齢化社会の中で、健康は大きな課題。郵便局社員はお客さまと接しており、これは我々がやるべき仕事だと認識している。自治体とも連携を図ることもできる」と強調していた。
 本格サービスの開始に当たり、日本郵便の横山邦男社長も「超高齢化社会を迎えている日本、この大きな社会的課題を解決するために、日本郵便が果たす社会的使命、それが郵便局のみまもりサービス。社会に寄り添い、貢献していく新たな一歩」と強調し、「全国展開に向けて社員に心配もかけたが、ようやくここまで来た」と述べている。
 現場を預かる郵便局長も「2万の郵便局ネットワークを活かし、地方創生とリンクさせ、しっかりユニバーサルサービスを提供、更に地域の特性を活かし、活性化に取り組む。地域に貢献する」(全国郵便局長会の青木進会長)と強調、「過疎地のみならず地域に貢献する郵便局にとって有用な施策。実施は局長会が求めた経緯もあることから成功させたい。ただ、成功のカギは日本郵政グループ全社を挙げてということだ。これは会社に求めていく」との考えを明らかにしていた。
 日本郵便も「郵便局から懸念の声が多かった認知症の可能性のあるお客さまへの対応については、専門家の助言を得ながら適切に対応。訪問する社員は難しい判断を要する場合もあるかもしれないが、不安を感じないようにする。サービス提供後も必要な対策は迅速に講じるよう本社・支社の体制も整えた。全社一丸となって取り組む」としている。
 また、茨城県大子町では、同種のサービスを今年4月に日本郵便が町から一括して受託して提供している。自治体からの受注は東京都檜原村に続き2例目。こうした自治体との連携も大いに期待される。大子町では高齢者宅を訪問する社員は大子町の嘱託職員から関東支社所属(大子郵便局駐在)の期間雇用社員となった。
 その社員が「役場ですと言って訪問していたときは、軒先で元気ですといった程度の対応だったが、郵便局の赤い車で制服を着て“郵便局です”と回るようになると、家の中にまで上げてお茶まで出してもらい、じっくりと話をすることができるようになった。郵便局の地域と結びついた信頼関係、歴史の重みを痛感した」と話していることは、郵便局長の間でも広く共有されている。
 郵便局の信頼の高さだろう。横山社長も「2万4000の郵便局ネットワークという日本で最高の社会インフラを活用して、ユニバーサルサービスを提供してきた。これこそが創業以来のDNAとして組み込まれてきた日本郵便の普遍的な使命。安心・信頼の郵便局ブランドを更に発展させる」と意欲を語る。
 そして「料金は類似のサービスを展開している企業と比べても遜色ないものとしている。将来的に数万人規模のサービスとなるよう育てたい」と期待をしている。
 タブレット端末の活用で、訪問時の様子を写真で報告することも可能。また、質問項目も地域のニーズに合わせたものにすることも考えられている。「様々なメニューの追加も想定され、郵便局ネットワークの価値が向上、更に厚みのあるものになるチャンス。顧客基盤の強化、郵便局利用の拡大に結びついていく」と捉えている。
 新たなビジネスモデルとして発展が期待される郵便局のみまもりサービス、親世代、子ども世代の両方に対してより一層、郵便局への信頼が深まることで、ビジネスチャンスが増えることを望みたい。
(和光同塵)

第6894号

自然との循環関係の維持

 東京(関東圏)は空梅雨だったらしい。早速、節水が呼びかけられているが、九州北部や秋田、新潟などは集中的な豪雨に見舞われている。50年に一度の降雨という言葉と濁流をテレビで見るたびに、自然の異変が進行しているのだと思う。
 これまで自然(天候)は季節という移り変わりはあるものの、あまり変化はないという意識が埋め込まれてきた。自然が猛威を振るうことはあっても、それは予測されるものとしてあった。
 人々の心の不安を取り除く「空なる望み」だったのかもしれないが、少なくとも人々は天候という季節の動きをそのように認知してきたのだ。私たちはそれを覆すような天候に不安を感じ、どこか考え直すべき事態が起こっているのだと思う。その手掛かりすら見出しにくいのが実際のところであるにしても。
 過日、友人のSさんからのメールにこうあった。
 「私の住む長崎の離島、壱岐が7月の前半、50年ぶりという豪雨に二度みまわれた際には、ご心配のお電話やメールを頂きました。NHKの全国放送で、『壱岐に全島避難警報が出た』と報道されましたが、幸いに私のみならず、島の人々の生活に支障をきたすほどの実害はありませんでした」
 「私が見る限り、島民が営んできた農業、漁業は自然を全く変えることなく行われている。その自然は、今回のような猛威も全て吸収するようです。いわゆる開発なるもので自然が破壊、加工されていないので、鉄砲水が出たり、土石流が発生したり、がけ崩れが起きたり、水田に泥水が流れ込むようなことはなく、降る雨は全て土中に吸収されています」
 「島民の多くは『壱岐は自然災害に強い』という言い方をしますが、私に言わせれば、自然を壊し、加工していない壱岐は、自然災害に強い、ということです」
 かつてなかった自然の猛威に見舞われ、災害に遭遇する事態を私たちはテレビで見ているのだろうが、この背後には少なからず経済の高度成長に伴う列島の改造があることを想像してきた。地域や自然は開発という名の加工がほどこされ、山間部などにも家が建ち並び、居住区が広がった。
 これは高度成長が人々の生活を豊かにすることの象徴でもあって、それ自体をどうこういうわけにはいかない。
 ただ、開発が利便性や機能性が中心に置かれ、自然への考慮や配慮が十二分にあったと思われない。
 私は少年期までを農村で過ごした。実家を含め集落の大半は農家だった。実家は甥が代を継ぎ農業を行っている。だが、専業農家はほとんどなく、兼業で細々と続けられているだけである。私たちが少年期に遊んだ山々には家が建っている。家が途絶える境界にあった墓を越えて家が出来ていた。
 しかし、裏山というか、少し奥に入れば、山は残っている。けれども里山(かつてはという意味だが)は竹林となり、人々は入れないし遊べる環境ではなくなっている。
 山菜採りもキノコ採りも、山の実も採りに行けない。荒れたまま放置されているのだ。これはかつての農村地帯の平均的な風景ではないのだろうか。
 Sさんのメールでは、壱岐の農業・漁業は自然を全く変えることなく営まれているとある。農業や漁業も機械化などは取り入れられているが、自然との関係では古くからのならわしが保たれているということのように思う。
 人々が生活の知恵として育んできた自然との関係(自然との循環関係の維持)の保存がある。自然との関係が自然(当たり前)というか、その配慮がある。
 直接的な自然との関係から離反して営まれる社会と生活への自然からの警鐘ということが、よく言われるが、それを確認させられる何十年に一度の降雨だった。(坂田の力)

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