コラム「春秋一話」

 年/月

第6970号

春秋一話 お休み

春秋一話 お休み

第6968・6969合併号

お休み

お休み

6966・6967合併号

社会に関与し続けること

 「年暮れぬ笠きて草鞋はきながら」(芭蕉)。旅に明け暮れた芭蕉らしい年の瀬だったのだろうと思うが、いつの間にかその年の瀬になった。私の住む近くでは毎年12月15、16日に世田谷ボロ市がある。年明けの1月15、16日にも開かれるが、400年以上も前の「楽市」から続く伝統的なものだ。ボロ市が近くなると、いつも年末になったと実感する。そして、自然にこの1年のことを考えている。同時に来年というか、行く末のことにも思いを馳せる。
 それにしても今年は多くの友人の訃報を聞いた。相応の年齢だから自然だろうと思うが、それにしても心に引っかかることが多い。もう少し会っておくべきだったと悔恨に似た気持ちで想起している。彼等は今の世の中というか、動きをどう考えていたのだろか。この世を去った友人には、かつて世の動きを共に考えた人たちが多くいたこともある。幸か不幸か、そういう因縁で結ばれた世代だった。
 今年も否応なく、いろいろな事件の報道に接した。不正というべき事件が多かったように思う。不正入試はその最たるもので、これは今も伝えられている。企業や官僚のデータ不正や偽造も次から次と伝えられた。社会の倫理というか、モラルの根底が壊れているのではと感じられる。社会の信頼の根底が壊されている。
 例えば何の疑いもなく通貨(お金)を使っているが、これは無意識にまでなった信頼(信用)があるからだ。しかし、信頼に値するものが壊れていることを示すのが不正事件である。人々は不正事件に怒り、日本社会はどうなっていくのだろうかという不安を喚起させられる。
 度重なる事件の連続の中で、人々はどうしていいのか、その解決を考えあぐねているようにも見える。事件に衝撃を受け、怒りを感じていることは疑いないが、解決の方途は見えず、成るようにしか成らないとの思いであれば危い。社会の動きは私たちの主観(主体的意思)とは関係がなくあるものだという意識が人々を支配しているようにすら思う。事件を冷めた目で見て、自分たちには関わりようがないことだと思っているようにも受け取れる。
 世の動きに関わり、私たちの意思の関与において変えていく、いうなら不正をただし、信頼のおける社会にしていくということは難しいことには違いない。多くの事件の報道に接しながら、その道についても考えさせられた。社会の諸々の不正事件に目を背けず、それに関わるとしたらどんな道があるのだろうか。これは世の中の動きは自然に成るように成っていくものではなく、自己の意思によって関わっていくものだという事にもつながる。
 日本が、というよりは、現在の世界が抱える最も難しいことに違いないが、憲法に国民が主権者とあることを想起したいと思う。唐突に聞こえるかもしれないが、国民が主権者であることは国民という諸個人が、その個々に意思によって社会に関与し、社会を創るという事である。社会は神や自然が創ったものではない。だから、不正をただし、信頼という倫理やモラルを創り、保持させるのは、神や自然ではなく個人の意思である。
 これは今、どのようにありうるのか。世の中について、その動きについて、つまりは社会を考えるということにおいて。意思の根底は考えることであり、考え続けることだ。流れの速い、動きの速い世の中のことを考え続けることは安易ではない。でも、それを止めないことが、倫理やモラルの壊れゆく社会に抗い、それをただすことである。(坂田の力)

第6965号

“コストカッター”と企業統治

 日産のカルロス・ゴーン会長が東京地検特捜部に11月19日に逮捕され、産業界にも衝撃が走った。有価証券報告書に巨額の報酬を虚偽記載した容疑だ。容疑は否認しているが、会社の資金も私的に流用していた不正行為があったとして、会長を解任された。
 1999年、経営危機に直面した日産にルノーから送り込まれた。再建計画「日産リバイバル・プラン」を策定、2000年には社長に就任。20年近くにわたり日産の最高経営責任者(CEO)や社長、会長を歴任、ルノー、三菱自動車でも会長を務めた。
 “コストカッター”と異名をとるなど日産のいわゆるⅤ字回復に辣腕を振るった。2000年度の営業利益は2903億円をあげたが、そのうちコスト削減効果は2870億円。人件費の削減と下請けの部品メーカーからの購買コスト削減が主な中身だった。
 従業員は2万2900人と大量削減、同時に非正規雇用を開発部門の中枢にまで導入した。工場閉鎖、下請け業者への合理化の押し付けと、地域経済への影響も大きかった。それでなくても、自動車産業は“乾いたタオルをしぼるように”と、下請けに単価の引き下げを求めてきている。
 完成車検査を無資格者が行うという不正もまかり通ってきた。排ガス・燃費測定の不正も発覚している。12月6日には新たな不正が発覚したと明らかにした。ブレーキなど複数の項目で見つかったという。ブレーキは安全性に直結する非常に重要な部分だ。
 利益至上主義の弊害とも指摘されるが、一方で巨額の役員報酬を受け取り続け、10数人いる役員の報酬全体の半分以上を1人で占めていたとされる。
 リーマン・ショックから10年、行き過ぎる金融資本主義、格差の広がる社会、資本の貪欲さ、極端な利益優先への疑問が指摘されつつあるが、ブラジルで生まれ、両親の故郷であるレバノンへ移り、フランスの大学で学ぶ幼少青年期を過ごしたというゴーン氏。その複雑な生い立ちの中で、何を考えていたのだろうか。
 欧米では巨額の報酬については、当然という見方もあるが、報酬は株価や他社と比較して、算出方法は少なくとも開示されている。日本では会社法で株主総会か定款で役員報酬を決めるとされているが、ゴーン氏は事実上、自分で決めていたとされ、「お手盛り」となれば非難されても致し方ない。
 基準などの情報開示が重要な課題だ。独立した社外取締役などで構成される「指名・報酬委員会」が役員報酬を決める体制の強化も求められるが、日本では設置は任意で、まだ一部となっている。
 やっと金融庁が、上場企業に役員報酬の決め方を開示するよう義務づける方針を固めた。金融商品取引法に関連する内閣府令を改正し、2019年3月期決算から適用することにしている。報酬の決定過程も開示させ、外部からのチェック機能を強化する。
 また、欧米を真似て短期的な利益を追求する風潮が日本でも強まっているが、企業には働く人の生活を守り、地域社会や経済に貢献、ものづくりを育てる責任もあるだろう。日本を代表する企業のガバナンス(企業統治)の在り方に一石を投じた事件だ。
(麦秀の嘆)

6964号

日銀の総資産がGDPを超える

 日本銀行の総資産が11月10日時点で国内総生産(GDP)を上回った。553兆5922億円と名目GDPの552兆8207億円(4~6月期、年換算)を超す水準となった。日銀の総資産が直近年度のGDPを超えたのは戦後初めてのこととなる。
 総資産のうち大半を占めるのは国債の約469兆円、株価を下支えするため購入している上場投資信託(ETF)が約22兆円を占める。ETFの購入額は10月でも8700億円となり、1か月の購入額としては過去最高となった。
 ETFは多くの企業の株式を組み合わせ、価格が日経平均やTOPIXなどに連動する投資信託。この購入は株式の保有を間接的に行うこととなる。同時期は米国と中国の貿易摩擦の影響で世界的に株安となった。日本も同様で、株価を日銀が買い支えている構図だ。
 日銀は平成25年から黒田東彦総裁のもとで“異次元緩和”を開始し、“禁じ手”とされてきた国債などを大量に買い続け、世の中に出回るお金の量を2倍、3倍と増やしてきた。異次元緩和を始める直前の24年度末の総資産は約164兆円、この5年余りで約3・4倍まで膨れあがった。今回の総資産がGDPを越えたのも大規模な金融緩和で大量の国債を買い続けている結果だ。
 日銀は物価上昇率2%の目標に向けて国債などの買い入れを続けており、今後も資産はさらに増えることが予想される。しかし、物価上昇率は目標に遠く及ばず、先月の金融政策決定会合で32年度の予想値を1・6%に下方修正することなどを余儀なくされた。
 日銀の物価目標は先送りを重ね、異次元緩和後の5年を経過しても達成する気配はない。大量の資産買入と物価とは連動しないことを認め、資産の買入を停止し、中央銀行の資産の水ぶくれを解消することを意識すべきではないかという指摘も出ている。
 前総裁の白川方明氏は「緩やかな物価下落が生じたのは事実だが、日本の低成長の根本的原因とは思えない。近年の内外のバブルはいずれも物価安定の中で起きている。2%か1%かという目標数字が本質的な問題ではなく、金融の不均衡を含めて、持続可能かどうか点検することが大切」とする。
 黒田総裁さえも金融緩和の副作用にも言及している。低金利で金融機関の貸し出し収益が減少することが懸念材料とし、特に地域金融機関の経営が厳しくなるとした。実際に2018年3月期の中間決算で、地域経済に密着した信用金庫で「逆ざや」になっているところが明らかになっている。深刻な資金運用難に陥っていると言える。
 日銀の総資産は今年3月末時点で既に485兆円の米連邦準備制度理事会(FRB)を上回り、572兆円の欧州中央銀行(ECB)にも迫っている。ECBは金融緩和を正常化するとして国債買い入れ額を減らしている。日銀がこれまでのように買い入れを増やせば、ECBを抜き総資産で世界一になる可能性もある。
 保有資産の規模があまりに大きいと、緩和を終える出口で日銀の財務が悪化する懸念がある。現在の国債の利回りは低いが、政策金利が引き上げられるときには利払いが増える。出口に向けた施策を考えておくことが求められている。(和光同塵)

第6962・6963合併号

たまには便りをと思うのだが

 昔のことになるが、近所に住む先輩(先達というべきか)に、新聞を読めば世の中の動きがわかると言われたことがある。この人は戦前の旧制高校の出身で本物のインテリだった。訪ねていた頃は隠居みたいな形ではあったが、本棚には哲学や宗教、経済学、そして数学の本までそろっていた。時間を見ては数学や哲学の本を、よくひもといていた。
 話が楽しかったのと、蔵書を図書館がわりに利用させてもらえた。この先達はいつも丁寧に新聞を読み、世の動きに関心を寄せ続けていたのは驚きだったが、さすがに本物のインテリは違うと思った。
 その人を習ってというわけではないが、新聞はよく読んでいる。一般紙からスポーツ紙、また夕刊紙と呼ばれるものまでだ。今、若者は新聞を読まなくなったといわれるが、私にとって新聞は毎日の生活に欠かせないものである。その中で欠かさず、これだけはと読んでいるのは、「天声人語」などの看板ともいうべきコラムではない。また、社説でもない。コラムは確かに面白いし、一通りは目にする。社説は見出しぐらいは目にするが、欠かさず読むというわけではない。
 意識していつも目にするのは読者投稿のコラムである。一般の投稿欄ではない。こちらは紋切型の表現ということが気になってしまう。具体的に言えば、ある新聞で「ひととき」や「あけくれ」等としてある、さりげなく日常の一コマを綴ったコラムである。
 人との思わぬ出会いや別れ、関係が生まれ濃密になっていくこと等、身辺での出来事を記したものである。これは世の中の大きな出来事を伝えているわけではないのだが、政治的あるいは社会的記事とは別の意味で、世の中の動きを伝えてくれる。
 このコラムに引かれるのは現在という時代が、もう大きな物語が困難になっているためではないかと思う。自然との交流と隣近所の人たちとの関係に終始した時代(農耕社会の時代)と違って、現在は大きな枠組みの世界(共同の世界)から押し寄せてくるものある。
 世の動きということでもいいのだが、政治や社会的出来事がやってくる。それは情報という形でやってくる。だから、身近な身辺の事だけに関心を寄せていればいいというわけにはいかない。しかし、押し寄せてくる世界とどう関係していったらいいのか難しい。世の動きに関心を持つこと、強いられながら関心を持ち関わることは容易ではない。矛盾といえば矛盾なのだが、これは文化的な意味で言えば大きな物語が困難になっていることである。
 大きな物語の世界に背を向け、小さな世界の物語に関心を持つことを強いられているのかもしれない。でも、このコラムに引き寄せられるのは、それだけの理由ではないと思う。人は日常という小さな世界で生きるのだし、そこにこそ、本質的な生があるのだと思う。
 日常というドラマの生起する世界で生きてあることが本来の生なのだろう。多様で多彩な生を小さな場で送る。その日常の生を知ることで、安堵を得て、また孤独を脱する。人は孤独を好むが、そこから脱することも願う。それは他者のさりげない、けれどドラマを内包した生のあり様を知ることにおいてだ。
 これは、人が便りをしたいという欲求やそれを受け取った時の喜びに通ずるのだと思う。コラムを読みながら、己の身辺の出来事を便りにしたいと思うことも多いが、実際はなかなか実現しない。でも便りくらいはと、常に思うのである。
(坂田の力)

第6961号

「いいじゃん、それぞれの年賀状。」

 日本は江戸時代から年賀の書状が身近だったとされる。2019年用年賀はがきが11月1日に発売された。郵便はがきにお年玉くじ付が誕生したのは1949(昭和24)年だ(25年用)。京都在住の林正治さん(当時42歳)の発想によるという。「年賀状が戦前のように復活すれば、お互いの消息も分かり、うちひしがれた気分から立ち直るきっかけともなる」と考えた。
 年賀はがきに賞品が当たるくじを付ける、料金には寄付金を付加し社会福祉に役立てるというアイデアを郵政省に持ち込んだ。「国民が困窮している時代に、送った相手に賞品が当たるなどと、のんびりしたことを言っていられる状態ではない」との反論もあったが、紆余曲折を経て、世界にも例を見ない制度が実現した。発売と同時に大きな話題を呼んでヒットした。
 最初のお年玉付年賀はがきの賞品は特等がミシン、1等が純毛洋服地、2等が学童用グローブ、3等が学童用こうもり傘。その後、毎年の最高賞品は(1966年以降は特等が廃止になり、1等が最高賞)、1956年には電気洗濯機が登場。その後はポータブルテレビや8ミリ撮影機・映写機セット、電子レンジなどの家電製品が続いた。
 手が届きそうでなかなか買えないものが賞品となったが、平成に入ってからは、海外旅行や最新式テレビ、パソコンなど数点の中から1点を選ぶ形式に変わった。バブル景気とその崩壊、その間に進行した消費の多様化が反映されている。2013年からは現金が加わった。世相が垣間見えるが、2019年用は抽せんが2回となり、東京2020大会への招待券、現金30万円または同額相当のプレミアム賞品となった。
 ただ近年、年賀はがきの販売は減少傾向が続く。少子高齢化、人口減、核家族化、インターネットやソーシャルメディアの普及など様々な側面が指摘されている。1949年の発行枚数は1億8000万枚、高度経済成長などに伴い増加し、2003年には44億5936万枚に上った。その後は減少し、2019年用の当初発行枚数は約24億21万枚。国民1人当たりでは2003年は約35枚、2018年には約19枚となっている。
 日本郵便は、より多くの年賀状を差し出してもらうよう様々な企画に取り組む。年賀に関する「知る」「買う」「作る」「送る」「楽しむ」の機能を持つ特設サイト「郵便年賀.jp」を開設しているが、今年から「ニッポンの名字」が追加されている。
 9月19日からアップされたが、この日は「苗字の日」という。1870(明治3)年、戸籍整理のため、太政官布告で一般市民も苗字を持つことが許されたのがこの日。公開されて1か月で約1700万以上のアクセスがあり好評だ。「名前を検索するときは、その人の顔を思い浮かべる。年賀状も相手のことを思いながらメッセージを添えるところに共通点がある」と日本郵便。
 日本郵政の長門正貢社長も10月26日の記者会見で「私も調べてみたが、長門は3800人、人数の多い順で3377位でした。名前の由来や地域別人数もあり、ちょっとした息抜きにお楽しみください」と紹介している。
 今期の新たなキャッチフレーズは「いいじゃん、それぞれの年賀状。」。自由に個性あふれる年賀状をと期待としている。江戸、明治からの伝統を受け継ぐ新年のあいさつ状、戦後復興への思いをもとに誕生したくじ付年賀はがき、改めて歴史や文化に思いを馳せながら、多くの人が年賀状を楽しみ新年を寿いでほしい。
(和光同塵)

第6960号

社会貢献活動を表彰「大河内賞」

 第22回の「大河内賞」が決まり、11月1日にメルパルク東京で表彰式が行われた。「大河内賞」は社会貢献や文化・研究的な活動を続けている逓信同窓会(青野信雄会長)の会員を顕彰するもので大河内委員会の後援で実施されている。
 初代の郵政大学校長、財団法人通信文化振興会(通信文化新報を発行)の理事長を務めた故・大河内靖久氏の遺志により、夫人の大河内昭子氏の支援を得て平成9年に大河内記念基金が設立され「大河内賞」が設けられた。郵政民営化で㈶通信文化振興会の業務は㈱通信文化新報が受け継いだが、理事長時代の大河内氏に薫陶を受けた職員は多く、温厚な人柄で親しまれた。
 大河内記念基金は平成20年から大河内委員会(大河内昭子委員、平勝典委員、潮上一紀委員)が引き継ぎ、毎年顕著な活動を行っている逓信同窓会員に贈られている。逓信同窓会は、逓信事業(郵便、電気通信事業等)に関する知識の普及、事業の進歩発展、会員の資質向上を目的とし、全国に60支部組織がある。会員は約1万5000人、各地域での様々な活動を通じて社会貢献を実施している。
 今年は5氏が受賞した。防災士として地域の防災意識の向上に努めている筒井義臣氏(千葉県習志野市)、故郷で開業した農園やレストランを集う場に提供し、青少年の健全育成と自立支援に貢献している山本智氏(秋田県三種町)、知的障がい者への理解と処遇改善に取り組む嶋田芳樹氏(神奈川県大和市)、絵画の講師として活躍の久野裕子氏(福岡市)、地域の健康増進やフィンランドとの国際交流に貢献するとともに、故郷の風土・歴史遺産を継承する神田恵介氏(島根県邑南町)が受賞した。
 表彰式では青野会長が「受賞対象となった活動を通じて社会や地域に大きく貢献、逓信同窓会として誇りに思う」、元全特専務理事を務めた大河内委員会の平委員も「長年にわたる献身的な取組みに敬意。また、昭子氏の支援に改めて感謝」と讃えた。受賞者を代表し嶋田氏が「伝統ある大河内賞はたいへん名誉。活動は家族や仲間の協力があったからこそ。これからも続けていく」と謝辞を述べた。
 受賞者の一人、神田氏は元参議院議員の長谷川憲正氏の政策秘書を長く務めたこともあり、郵政部内で知る人も多いだろう。フィンランド発祥の健康づくり「ノルデックウォーキング」の普及、設立した「地域創生ふるさと学校」を通じて、故郷の生活様式、祭り、風土、歴史などを学び継承する催しの開催(今年8月に島根県知事奨励賞を受賞)、「おおなんフィンランド協会」を設立、国際交流の促進と幅広く活動している。
 また「種まきから食べるまでを楽しく体験」をテーマに、そばづくり同好会を立ち上げ、休耕田で栽培して“そば打ち道場”を毎月開いている。小学生や養護学校の生徒を対象とした体験会も開催、地域の活性化に努めている。
 「出来る人が、出来るときに、出来ることを」「今日も生かされていることに感謝」、とかく現職時代は効率化を優先しがちで余裕がなく多くのものを見過ごしてきたが「捨ててきたものを拾う」「障がいは父母、ましてや本人の責任では全くない」「人生に華やかさと心の豊かさを育ませたい」「人生とは行動すること」と、受賞者の言葉には味わい深いものが感じられる。毎年、表彰式に出席すると、地域に深く根差した受賞者の素晴らしい活動には頭の下がる思いだ。退職してからのいわば第2の人生の在り方を考えさせられる。
(麦秀の嘆)

第6959号

書を携えて旅に出よう…

 読書の秋と言われるけれども、また旅の秋でもあるが、異様な暑さや天変地異の多さは季節感を失わせる。季節という風情が感じられなくなってきており、秋の夜長の読書と言っても、もう一つピンとこない。
 旅もまた、そうなのだろう。「紅葉を愛でる」という言葉も、今は人を惹きつけなくなっているのだろうか。現在は人を多忙にさせていて、そんなところに心を向ける余裕を失わせているためかも知れない。
 それでも、旅にという思いはあるのだと思う。なかなか出かけられない折、テレビの旅番組に熱中していたことがある。熱中というよりは、その種の番組にしか触手が動かなかったということだろうが、それは今でも残っていて、自然に旅番組にチャンネルを変えてしまっていることがある。
 曼珠沙華が好きで、秋になると見に行きたいと思う。群生しているところに出かけるだけのことだが、近年はそれもなかなか叶わず、その季節が終わってからしまったと思うことが多い。
 金子兜太の句に「曼珠沙華どれも腹だし秩父の子」というのがある。初期の代表的な句だ。彼の生まれた秩父ではないが、埼玉には巾着田というよく知られた群生地がある。日高市の高麗神社の近くだ。秋になると見に行こうと思ってきたのだが、なかなか実現しない。
 人々が自然との交流と近隣との付き合いの中で生きていた時代には、「旅」は大変な冒険というか、何かリスクを覚悟してあらねばならないものだった。旅はそれだけ大変であったが、魅力的なものであった。旅に生きた松尾芭蕉を想起すればいいのかも知れない。私が芭蕉や西行が好きなのは旅ということがある。
 現在では、旅と言っても昔のようにリスクを覚悟する必要はない。手軽で便利になった。美味しいものも食べられるし、温泉にも浸かれる。時間も効率よく使え、こういうことが旅への魅力を失わしめていると言えなくもないが、心の何処で引き寄せられるところがある。
 金子兜太は「定住漂白」ということを生き方として提唱していた。漂白は自由を求める人間的行為であるとする。漂白を流浪のように考えなかったから、定住とは一見すると矛盾するようなことを述べたのだが、漂白は自由を求める動きであり、旅(流浪)も否定はしていなかった。
 多忙な日常から脱し、自由を求める欲求が私たちにはある。旅を心の洗濯というのも、こうした思いだろうが、そのありようは様々である。よく知られた観光地や名所を訪れるのも一つであろう。海外へもあれば、秘かに心に留めていた所に出かけることもある。何も目的を設定せずにふらりと出かけることも一つであろう。
 どんな形でも好きに選べばいいが、旅することが大事なのだ。行ってみなければ分からなかったということもある。ここが一番肝心なことかも知れない。
 読書も歴史への旅ということを含んでおり、それも一つの形と言えるが、日常とは違う場所に出かけるというのは、秋ならではの呼びかけではないだろうか。
 山々が紅葉することは、自然がそれを愛でるように人々に呼びかけているのであり、それに応じることは、脅威な振る舞いも演じる自然への私たちの優しい返礼と言えるかも知れない。「書を捨てよ、町へ出よう」と言った詩人がいたが、今は「書を携えて旅に出よう」と言うべきか。
(坂田の力)

第6958号

芸術の秋と郵便局


 朝夕、秋の気配が漂う。「馬追虫(うまおい)の髭(ひげ)のそよろに来る秋はまなこを閉じて想ひ見るべし」(長塚節)。馬追虫とはバッタ目ウマオイ科の昆虫。鳴き声からスイッチョとも呼ばれる。秋は美味しいものが多く「食慾の秋」、また「読書の秋」「芸術の秋」ともされる。
 東京の国立新美術館で第86回独立展が10月29日まで開かれている。独立美術協会は1930年に創立、自由で公平、進取の気性に富んだ気風を保ってきた。年齢や経験に捉われず、優れた作品には栄誉を認めるとしている。
 会員の愛知県西尾市に在住する斎藤吾朗氏が「描く!刷る!東京駅物語」を出展している。200号の大作だ。1914(大正3)年12月20日に開業した東京駅の風景を描くが、郵便ポストや郵便配達の模様、開業記念の日付印などが描き込まれている。
 斎藤氏はモナ・リザを模写した唯一の日本人として知られているが、郵便事業や郵便局への関心が高い。絵にも切手やポストなど郵便に関わるものを描き込んだ作品が多い。自宅のアトリエ前にも「人生劇場」で知られる作家の尾崎史郎の父が、局長を務めていた郵便局にあった丸型ポストが設置されている。
 西尾市にはピンク色を基調とした「バラ色ポスト」、抹茶色の「おもてなし♡まごころポスト」が設置されているが、これらを企画したのも斎藤氏。「バラ色ポスト」は西尾高校の美術部員が様々なバラを描いて9月23日に設置された。西尾市の花もバラ。“人生バラ色に”との思いが込められている。写真を撮る若い人も多く人気のスポットとなっている。
 さらに、高校生たちが「自分たちが描いたポストだから、手紙や葉書をたくさん出そう」と、投函に訪れているという。手紙離れとされる昨今の若者、手紙文化の普及にも大きく貢献している。「ふみの街 西尾」として、丸型ポストや手紙文化の普及で地域の活性化につながればと活動している斎藤氏、新たなポストの構想も練っている。
 地域の人たちの作品を展示している郵便局も全国には多い。芸術の秋にふさわしく、郵便局が地域のギャラリーとして親しまれるのも期待される。(和光同塵)

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