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2024年02月19日 第7236・7237合併号

【主な記事】

城内実衆議院議員 郵便局ネットは公共財
三事業一体の維持を
民営化法の抜本改正が必要


 自民党が郵政民営化法改正案提出を目指して準備を進める中、改めて民営化の実態について議論することが求められている。城内実衆議院議員は2005年の郵政民営化法案に反対票を投じ、「郵政選挙」では公認を得られず落選したが、2009年の総選挙で国政復帰を果たした。「日本の宝」であり「世界に冠たる」郵便ネットワークを取り戻すべきだと訴える城内議員に聞いた。(坪内隆彦)


■郵政民営化から17年が経ち、今通常国会に民営化法の改正案が提出される予定です。改めて郵政民営化について聞かせてください。
 外資系金融機関が国民共有の財産である簡易保険部門が持つ110兆円を狙っているのではないか。そう警戒したことが、私が民営化法案に反対した最大の理由でした。
 国民は、小泉総理が掲げる「官」から「民」へというわかりやすいスローガンとパフォーマンスに騙されてしまったのです。その実態は、「公」から「私」へであり、特定の人たちに対する利益誘導だった疑いがあると思います。実際、国民共有の財産である「かんぽの宿」が、オリックス不動産にただ同然で払い下げられようとしていました。
 民営化によって郵便局は様変わりしてしまいました。民営化前までは、孫からの手紙を配達に来る郵便配達員に、おばあさんがその孫の将来のために積み立てるなけなしのお金を渡し、配達員がそれを局に帰って口座に入金するといった光景が普通に見られました。ところが、民営化によってそうした光景は見られなくなりました。
 私自身も、当初は郵政民営化の本質を理解していませんでしたが、郵政民営化問題についての勉強会に参加するようになって変わりました。「郵政特別行動隊」という怪しげな(笑)名前の勉強会です。顔を出すうちに、民営化の本質がわかり、この法案を成立させてはならないと考えるようになったのです。
 民営化の背後に国際金融資本の影を感じていた私は、2005年6月7日の郵政民営化特別委員会で竹中平蔵郵政民営化担当大臣に対して、2004年4月からの1年間で、郵政民営化準備室とアメリカ側との間で会談、協議、申し入れ等が何回あったか質問しました。これに対して、竹中大臣は「17回面談を行っている」と答えました。しかし、マスメディアはこの竹中大臣の回答をほとんど報じませんでした。
 実はその前日、質問をとりに来た郵政民営化準備室の関係者は「この質問だけは竹中大臣にしないで欲しい。準備室長に答弁させていただきたい」と強く迫ってきました。
 当時、私は小泉総理の出身派閥である森派(清和会)に所属していましたから、当然小泉総理を支えるべき立場にありました。民営化法案採決の前に、安倍晋三先生から「採決を棄権するか、欠席してくれないか」と頼まれましたが、私は反対票を投じました。反対票を投じる直前に、秘書に頼み清和会への退会届けを出していました。いま派閥の解消が議論されていることを思うと、とても感慨深いものがあります。
 しかし、反対票を投じた結果、同年9月の「郵政選挙」で私は自民党の公認を得られず、無所属で出馬することになり、刺客として送り込まれた自民党公認の片山さつきさんに748票の僅差で敗れました。民営化法案に反対した私たちは、「改革」に対する「抵抗勢力」というレッテルを貼られましたが、本当の構図は「国益擁護派」対「米国派」の戦いだったと思っています。
 選挙後、離党勧告を受け、自民党を離党しました。落選してから4年近くの浪人生活を送りました。この時代に最もうれしかったのは、ほとんど手書きの年賀状が段ボールで何箱も届き、全国の郵便局長さんから励ましのお言葉をいただいたことです。浪人時代には、全国の郵便局長会から講演の依頼をいだきました。今日の私があるのは、物心両面でご支援いただいた郵便局長さんと、JP労組の皆さまのおかげです。また、浪人時代に地元をくまなく回り、選挙が強くなったことは小泉さんに感謝しなければならないと思っています。
 ところで、年賀状について最近とても腹立たしく感じたのは、昨年11月にNHKの稲葉延雄会長から「環境保護への取り組みとデジタル環境への移行に鑑み、年賀状によるご挨拶を差し控えさせていただくことになりました」との通知が届いたことです。年賀はがきは日本の文化そのものです。環境保護とデジタル化を理由に年賀状を止めるという発想は短絡的すぎると思います。(2面につづく)


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