「通信文化新報」特集記事詳細

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第6920号

【主な記事】

過疎の町の地方創生
島根県海士町①


 島根半島から約60キロ、日本海に浮かぶ隠岐諸島の島根県海士(あま)町。高速船で約2時間、コンビニもない。決して便利とは言えないが、人口は減少していない。都会から若者が来て、特産物の開発などの起業をしているからだ。山内道雄町長は、過疎に高齢化、財政破綻寸前と三重苦を、“よそ者”の視点を生かした町おこしで成果を上げてきた。「本気で頑張る人には本気で応援する」と成功の鍵を話す。過疎化や高齢化、働き方改革は日本社会の大きな課題。郵便局が地域で果たす役割、高齢化した町の買い物事情、地域おこしの救世主・マルチワーカーとして働く若者、海士町で起きていることを地方創生の共通課題として探った。 
(永見恵子)

 若者が町おこしにやって来る
山内道雄町長「頑張る人には本気で応援」

 「ないものはない」が町の合言葉
 海士町の合言葉は「ないものはない」。なければ創り出すという精神。山内町長が就任した2002年には起債残高は約101億円。赤字再建団体への転落寸前で、島で唯一の隠岐島前高校の廃校も検討されていた。
 「このままでは無人島になってしまう」という危機感から、町長や職員の給料をカット(現在は一般職員は元の水準に戻っている)し、捻出した約2億円を町の活性化に振り向けた。
 その施策の一環として、外から来た人に1年間、給与を払い、町に滞在してもらい、活用できる資源を探してもらった。そうして特産品を開発し、事業化できるものは町が支援した。その結果、塩や干しナマコ、サザエカレー、ふくぎ茶など町内に元々ある産物を活かした特産品が開発された。
 海の恵みを生かそうと、町では獲れたての味や触感が保てる冷凍技術CASを導入した加工施設を約5億円かけて建設。岩ガキ「春香」や白イカなどの島の海産物を冷凍し、都会に出荷している。輸送に時間がかかる離島というハンディをカバーすることができた。島の産物が食べられるとして人気のレストラン「離島キッチン」(海士町観光協会が運営し東京、福岡、札幌に展開)などにも直送し、人気を集めている。
 これらの事業化により、2004年から昨年2月までに384世帯566人のIターン者が定住した。20歳代から30歳代の若者が独身で来て、町内で結婚して子どもができるケースもあるという。定住率は約5割と比較的高い。町では空き家を改築して安い家賃でIターン者に貸している。

 来る人のマインドを理解する
 「よそ者の視点で町の宝を探してもらおうと始めた事業だが、この町で好きなこと、したいことをしてもらうという姿勢で臨んだ。それにはまず彼らの意見を聞くことが大事。本気で頑張る人には、こっち(行政側)も本気で応援する。私もIターン者だから彼らの気持ちがよく分かる。定住対策は、制度があるだけでは人は来ない。こちらがしっかりしたものを持ち、来る人のマインドを理解してあげること。何を求めてきているのかを、受け止めてあげることが大事だと思う」。
 廃校寸前の隠岐島前高校を立て直したのは、当時ソニーの人事部に勤めていた岩元悠さん。Iターン者がこの島に安心して定住できるのは、島内に高校があるからだ。山内町長は「高校が残ったのは何より大きなこと」と振り返る。
 岩元さんは「教育を通して社会に貢献することが生涯の仕事」と決意し、ソニーを退職。2006年に3年契約の町の嘱託職員として赴任した。給料は下がり身分も不安定になるうえ、よそ者・若者というアウェイな状態で、この難題に取り組んだ。
 学校改革ビジョン作成のための組織づくりから始めた。何もないところから大変な思いをしながら課題解決に向けて奔走した結果、島外からの入学希望者が増え、学生寮を増設するまでになった。軌道に乗るまでには、寮や学校で様々な問題が起きたが、山内町長は岩元さんを全力で支えた。

 生きざまに感動、住民も変わった
 「Iターンの人が本気で島に来て、島のために一生懸命に働くようになってからは、住民の受け入れる姿勢も変わってきた。『お前、いつまでおるんか』と言っていた人が、今ではそうじゃない。彼らの生きざまに感動し、この封建的な島が変わった」。
 2015年の国勢調査によると海士町の人口は2353人。前回の2010年の2374人と比べてほぼ横ばい。生産年齢人口は1189人。2010年の1201人と比べて、こちらもほぼ変わらない。
 「海士町の人口減は止まった状態だが、離島の過疎地で人口を増やすのは並大抵ではない。まずは留めることが大事。ただ、海士町はうれしいことに若い層が増えている。Iターンの多い地区は待機児童が出ている。保育所の定員を増やすなどの対策を打っている」。
 海士町では、地域おこし協力隊や総務省の地域の暮らしサポート事業など地域創生に向けて複数の国の事業が同時進行している。
 「集落支援や地域おこしなど国のいろいろな事業をやっているが、制度が変わればゼロになってしまう。制度の永続性がどのくらいあるのか分からない。町で長く働き続けてもらうという視点が大事だ。仕事を続けることは人の信用を得ることにもつながる。新しいアイデアも大事だが、今やっていることをどれだけシビアにしっかりと展開していけるかだ」。
 「本気の人は本気で応援する」。山内町長はきめ細かい気配りで外から来る人を支えてきた。そして、本気で取り組む人が町の人も変えた。外からの目線で町にあるものを有効活用するというのが、この町の地域おこしのスタイル。ふくぎ茶もサザエカレーも町内の人が日常食しているものだ。干しナマコや塩もこの島で作っていた。
 島の人にとってはいつもの生活だが、そこに価値を見出したのは島外の人。材料は島にあり、作り方は島の人に教えてもらう。後は外からのアイデアをプラスするだけ。安定感とスピードをもってできることがメリットだ。最初に来た人が起業して約11年が経ち、その後も新たな事業が次々と生まれ、現在進行中のものもある。
 「決して今のままでいいとは思わない。変えるものはある。思いつきのようなことではなく、今やっていることをもう一度、軸足をよく見て、変えるもの、続けるものの仕分けが必要。変えたらよいものは皆さんの意見を聞いていきたい。変わらないことは、人を受け入れるという町の思想や、本気の人は徹底的に面倒を見るコンセプトだ」。

 郵便局は住民の手足となっていた
 山内町長は就任する前はNTTに勤めていた。NTTの前身である電電公社、そして電気通信省が郵政省と分離する前には、同町の菱浦郵便局で郵便、為替、電話交換などの内勤業務に就いていた。
 「郵便局は全国組織、その組織やネットワークを生かさないといけないと思う。私は郵便局の出身。その当時は郵便局はもっと地域に根差しており、住民の手足となっていた。例えば簡易保険は亡くなると、翌日には保険金が届く。そこまでお世話をしてくれた。民営化後、郵便局は地域から離れているのではと感じる。局内でもお互いに助け合って仕事をしていた。今は職務上の壁があって相互応援をしていない。忙しければ配達も集金も、内勤の人も営業に入るという時代を懐かしく思う」と話す。
(つづく)


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