「通信文化新報」特集記事詳細

 年/月

第6990号

【主な記事】

日本文明の一大恩人前島密翁を称える会
𠮷﨑庄司会長 墓前祭を主催
[没後80年を契機に発足]偉業偲び前島精神を継承


 神奈川県横須賀市芦名の浄楽寺で4月27日、前島密翁没後100年の墓前祭が執り行われた。前島翁の墓は浄楽寺にあり、なか夫人と共に眠る。400人を超える参列者が墓前に集い、“郵便の父”前島翁の業績に思いを馳せ、改めて“前島スピリッツ”の継承を誓った。また、郵便局の木に制定されているタラヨウ(多羅葉)の記念植樹が行われた。
 この墓前祭は平成11(1999)年の没後80年を機に創立された「日本文明の一大恩人前島密翁を称える会」(吉﨑庄司会長)が主催してきた。吉﨑会長は、神奈川県鎌倉市の鎌倉材木座郵便局の局長を退任後、20年以上にわたって運営に携わってきた。没後100年の墓前祭を機に、称える会が創立された経緯や今後の方向性について聞いた。
(インタビュー・永冨雅文)

■「日本文明の一大恩人前島密翁を称える会」の会長として長く墓前祭に携わってこられました。称える会が発足した経緯を聞かせてください。

 「日本文明の一大恩人前島密翁を称える会」は、平成10(1998)年に当時の高原耕三関東郵政局長が、神奈川県横須賀市の浄楽寺にある前島翁の墓を訪れた際に、「来年、没後80年になるので、80年祭を行って改めて前島翁の業績を顕彰したい。神奈川県南部地区会の会長経験者が責任者となって、執り行ってもらうとありがたい」と話されたのが、発足のきっかけです。
 10年3月に退職していましたが、神奈川南部地区会は墓のある横須賀市などをエリアにしており、局長だった鎌倉材木座郵便局からもそう遠くなく、墓前祭に携わる縁に恵まれました。翌11年2月に称える会が発足しました。
 墓前祭へ向け、改めて前島翁について調べ、参道工事や墓所の修繕などを行いました。高原郵政局長のご尽力により普通局の管理者、また、特定局には関東管内全局から寄附をいただいて、祥月命日の4月27日に何とか間に合わせることができました。称える会の会員には、地域の郵便局を訪ね、局長や郵便協力会の皆さんにお願いして回りました。
 新聞各社も取材に来ましたが、参加者も今ほど多くなく、郵政OBが中心となって催しました。前島翁の孫の長男の夫人・太津子さんが健在で、様々な尽力をいただきました。

■その後、今回の没後100年の墓前祭まで、称える会の会員も年ごとに増えてきましたね。

 没後80年で終わるのかと思っていましたが、毎年開催してくれないかと請われ、100年まで続けてきました。参拝者の都合が良いということで、途中からは祥月命日よりも直近の土曜日に変更しました。
 会員もほんの10数人で始まりましたが、現在は約560人になりました。日本郵政で発行していた広報誌に、称える会を紹介する記事が掲載されたのを機に、会員数も増えました。

■郵政民営化で、一時期は前島精神が希薄になったと指摘され、ご苦労があったことと思います。

 20年の間にはいろんなことがありましたね。寄附をつのって細々と行っていた時期もありましたが、日本郵政の泉真美子執行役が担当部長だった時、称える会への協力体制の相談に見え、関係各位の尽力もあって日本郵政グループが法人会員になることも決まりました。全国郵便局長会、通信文化協会、貴社ほかの支援もいただいています。
 民営化以降、どなたに相談したらよいか悩んだことも多くありました。日逓の副社長をしていた廣瀬俊一郎さんに「前島精神を踏襲して続けていきたいのだが、どなたに相談したらよいか」と尋ねると、日本郵政の森下一夫さん(その後、全特の事務局長に就任)なら間違いないとの助言をいただきました。民営化以降の称える会の道筋を開くきっかけにもなりました。

■没後100年を迎えた墓前祭が終わり、ほっとされていることと思います。

 没後80年の墓前祭以降、妻や娘の手を借りながら案内状の送付からはじまり、名簿の作成や管理まで行ってきましたが、体力的にもきついものがありました。
 平成19(2007)年には妻が亡くなり、葬儀の翌日が墓前祭でした。心身ともに困憊し本当に辛かったです。今回の没後100年の準備作業は、その時よりも肉体的に厳しいものがありましたね。
 当日は10連休の初日ということもあり、午さん会を含めた駐車場の確保が大きな課題でしたが、地元の多くの局長の協力で無事に解決しました。事務的には、まだ処理しなければいけないことが多く残っています。
 全特の各地区会から寄附をいただいていますので、記念の品やお礼状を送らなければなりません。墓前祭で撮影した写真が出来上がり次第、出席者へ送付する作業もあります。

■墓前祭の開催に当たって日本郵政グループに期待することは。

 今回は南関東支社がとても協力してくれました。打ち合わせから始まり、会場整備はもとより、来賓の顔が分かる社員を受付に配置してくれるなど尽力いただきました。泉執行役は「何かやることがあったら言ってください」と常々話されていますが、出欠管理など地元でやらなければならないことが多々あります。
 ただ、前島翁関連の部署のようなものを南関東支社に作っていただければ、称える会の実務も楽になるとも思います。

■改めて前島翁の魅力というと。

 前島翁は「縁の下の力持ちになることを厭うな。人のためによかれと願う心を常に持てよ」と言われていたということですが、多くの偉業を成し遂げても自分はあまり前面に出てこないですね。
 言葉のように、人生においても縁の下の力持ちということを貫いたことに敬服しますし、大きな魅力です。
 また、前島翁の生誕地、新潟県上越市には「郷土の偉人 前島密翁を顕彰する会」(堀井靖功会長)が、平成25(2013)年に結成されています。前島翁について“学び、伝える”活動をしています。墓前祭にも毎年、参加してもらっていますが、引き続き連携を深めていくことにしています。

■没後100年で一区切りと思われますが、今後の称える会については。

 称える会には終生、携わってまいりたい思いですが、今回の没後100年を機に、若い人にバトンタッチしたいとも考えています。10年、50年、さらには100年後、どうすれば称える会を継続し、発展させていけるかということをじっくりと考えたいと思います。
 正直、郵便局に入るまでは前島翁について全く知りませんでした。終戦の混乱期を経て、父が局長に就任していた鎌倉材木座郵便局で働いていた時のこと、「教養の書」というのが本省から送られてきていました。何気なく見たら前島翁の本が図書保管箱に入っていました。
 それを読むと「前島さんというのは郵便だけではなくて、様々な事業を手がけ、近代日本の礎を築いた」と知り、たいへん感銘を受けました。それが、前島翁に触れた最初の出来事でした。
 振り返ると、ここまで称える会の活動が広がったのは、私に力はありませんが、多くの皆さんに助けられて何とかやってこられたというのが本音です。没後100年の墓前祭が、多くの皆さんが参列し、盛大に開かれたことは、本当に良かったと思っています。前島翁の精神を受け継ぐことの大切さに思いを馳せ、称える会も絶やすことなく続けてもらいたいと強く願っています。


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