「通信文化新報」特集記事詳細

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第6932号

【主な記事】

東日本大震災から7年 宮城県南三陸町
[志津川郵便局]新局舎が完成


 宮城県東部地区連絡会(今野毅統括局長/石巻立町)の志津川郵便局(小野寺潤局長)は、東日本大震災で流出し、仮局舎で営業してきたが、4月9日に新築移転営業開始式典を開催した。南三陸町の佐藤仁町長、三浦清人町議会議長、東北支社の中江紳悟支社長、今野統括局長、ゆうちょ銀行の細谷正人東北エリア本部長、かんぽ生命の野村靖仙台支店長ら多数の来賓を招き新局舎での営業開始を祝った。16日には野蒜局が本築営業を開始し、県下では68局中、48局が本築営業となり、未だ19局が仮設で営業、1局が閉鎖となった。

 新局舎は本吉郡南三陸町志津川字沼田14番地26号、南三陸町庁舎の隣に建てられ、敷地面積1816.45平方メートル、建築面積は569.36平方メートル、鉄骨造り2階建。局舎の色は南三陸町庁舎との調和を図り、明るい茶系統の木目調となっている。開局式典は加藤理子局長(長根)が司会を務めた。
 中江支社長は「志津川局は先の東日本大震災で局舎が全壊し、約6年6か月間にわたって仮店舗で営業していたが、新局舎での営業再開を迎えることができた。郵便局はユニバーサルサービスの提供を使命としており、お客さまに対しては最高の商品とサービス、さらには真心をお届けし、笑顔で幸せになっていただきたい。今後とも、地域の更なる復興と発展に寄与していきたい」とあいさつした。
 佐藤町長は「町役場は昨年9月に完成したが、その隣に新しい志津川郵便局が落成し営業開始となった。町にとっても住民にとっても意義深い。郵便局は住民にとって『心の拠りどころの場所』である。これで、町役場、郵便局、病院の設置や宅地の整理などが進んだ。今後3年間のうちに、元の南三陸町にしていきたい」と祝辞を述べた。
 今野統括局長は「佐藤町長さんをはじめ、地域の皆さんのご支援により、このたびこのような立派な新局舎が完成し、本日から営業開始となった。局長以下、全社員が一丸となり、『優しさと温かい思いやり』のスタンスで、今まで以上に地域に根差し、より質の高いサービスを提供していただきたい」と期待を寄せた。
 小野寺局長は「狭い仮設店舗にも関わらず、南三陸町のお客さまには郵便局を利用いただき、心から感謝している。今後は受け継がれてきた郵政の精神を胸に刻み、サービスの充実や、更なる地域の復興・発展に社員一同尽力していく覚悟である」と決意を表した。
 続いて佐藤町長、三浦議長、中江支社長、今野統括局長、細谷東北エリア本部長、野村仙台支店長、小野寺局長、社員代表ら十数人によるテープカットが行われた。地元代表の婦人は「待ちに待った新局ができ、うれしい限り。生活していく上でとても助かる」と喜びを表した。
 窓口は午前9時に業務開始となり、最初にカウンターに来た男性は「待ち望んでいた郵便局が開局し、たいへん助かります」と笑顔で語っていた。
《志津川局の沿革》
▽明治6年2月1日=本吉郡志津川駅189番地に志津川駅郵便取扱所を設置し、郵便の事務取扱を開始▽8年1月=志津川郵便局と改称▽11年=村制施行により本吉郡吉村209番地となり、本吉郵便局と改称▽37年4月=志津川郵便局と改称。
▽昭和4年=本吉郡志津川町字43番地に新築移転▽12年5月4日=志津川町の大火により局舎が類焼し、仮局舎で事務を取り扱う▽同12月28日=本吉郡志津川町字43番地に新築移転。
▽平成2年10月29日=本吉郡志津川町汐見町30番地1に新築移転▽23年10月24日=東日本大震災による局舎流失のため、本吉郡南三陸町志津川字沼田150―108に仮設局舎を建設し営業再開。

 人口減少など課題
 南三陸町は宮城県の北東部に位置し、馬蹄形の形はリアス海岸特有の猛々しい風光を有する三陸復興国立公園の一角を形成している。東は太平洋に面し、北は気仙沼市、南は石巻市、西は登米市に接しており、海岸部は日本有数の養殖漁場になっている。
 未曽有の被害をもたらした東日本大震災から7年が経過した。南三陸町では死者620人、行方不明者211人、建物被害(全壊3143棟、半壊・大規模半壊178戸)の被害となったが、復旧・復興に向けて、一歩ずつだが明るい光が認められつつある。
 住民の生活関連施設は、前年度は南三陸地方卸売市場、防災集団移転促進団地、災害公営住宅の整備が終了した。また「南三陸さんさん商店街」や「南三陸ハマーレ歌津」のオープンをはじめ、三陸縦貫自動車道と南三陸海岸インターチェンジが供用された。
 少しずつ町の景観が変わり、人の賑わいも土日を中心に、徐々に見受けられるとの声が聞かれるなど、復旧・復興がわずかずつ進んでいるようである。

 生活を支える商店街
 「㈱南三陸まちづくり未来」の菊地眞人常務によると、4年10か月に及ぶ仮設店舗から、昨年3月3日にオープンした「南三陸さんさん商店街」には28店舗が入り、飲食関係を中心に、通常の生活に必要なものはほぼあると言う。
 平日の利用者は400人前後だが、週末には約3000人が見え、この1年間で予想を多少下回ったが約80万人が利用したそうだ。また、10キロほど離れた「ハマーレ歌津」には、現在8店舗が入っている。駐車場の端には「ATM」を搭載した「ポスクル移動郵便局」が駐車しており、平日は貯金の出し入れや送金サービスの利用ができる。50代の男性は「平日はお金の出し入れができるので、とても助かる」と答えてくれた。
 震災前の南三陸町の光景を思い浮かべると、住宅がびっしり並んでいたエリアには、住宅や商店が立てられないこともあり、人影はあまり見受けられない。見えるのは鉄骨だけが残った当時の防災センターがぽつんと立っているだけで、各種の工事をしている関係者や土砂を運ぶダンプカー、土地のかさ上げなどをしている多数の重機を見ると、復興にはまだまだ時間がかかるように感じた。


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