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第6927号

【主な記事】

「前島密翁パネル展」開く
神奈川県の浄楽寺 未公開の断簡も


 郵便の父、前島密翁が眠る神奈川県横須賀市の浄楽寺本堂で、3月1日から5日までパネル展「前島密とよこすか西海岸」が開催された。今年は明治維新150年に当たり、来年は近代郵便制度の創設をはじめ日本の近代化に尽くした前島密翁没後100周年になる。これを機に、大楠観光協会、浄楽寺、おおくすエコミュージアムの会が共催し、日本文明の一大恩人前島密翁を称える会(吉﨑庄司会長/神奈川県南部地区郵便局長会顧問)が後援した。

 浄楽寺は、境内に建てられた如々山荘で晩年を過ごした前島密翁夫妻の墓所があるなど、縁が深い古刹。本堂で未発表の前島翁最晩年の断簡を交えた貴重な資料が多数パネル展示された。
 本堂をぐるりと巡るように配せられたパネルは九つのテーマごとに区分され、参拝客は足を止めて見入った。なかでも注目を集めたのが最晩年の断簡。「前島密と横須賀」の執筆者でもある民族研究家・辻井善彌氏の父親の遺品の中に眠っていたのを掘り起し、氏が丹念に読みこんだ。断簡に記された数式を解読したところ、興味深い謎があぶり出されたという。
 例えば、一見すると翁が何気なく綴ったと思われる、「84 47ー37(84ー47=37)」という数式には相応の意味が込められている。84歳で亡くなる前の年(齢83)に前島密翁はこの断簡を書いたが、その時の数え年は84になる。官吏を辞めて下野するのが数えで47歳の時(46歳)なので、減算(引き算)の答えである37は、前島翁が民間で活躍した年数を意味していると、辻井氏はひも解く。
 また、紙タバコの品質について専売局への忠告と思われる下書きも公開された。野に下っても国家のために進言するのをためらうことがなかった前島翁の活動姿勢を、如実に表すものと推定されるそうだ。
 「もともと、地元では(遺品の発掘等を含めた本格的な前島密翁の研究を)やっていなかったが、吉﨑会長に触発されて(研究活動を)始めることになった」と辻井氏は振り返る。
 吉﨑会長は「来年の没後100周年に合わせて、今回のパネルで展示した研究成果を紙媒体にまとめたい」と抱負を語った。
 期間中、上野の東京国立博物館の「運慶展」に出展していた5体の運慶仏が戻ったことを記念して、本堂裏の収蔵庫で御開帳が行われたこともあり、3700人の人出で賑わった。「運慶仏お戻り開帳」に合わせて、国指定の重要文化財である5体の仏像を収める収蔵庫を改修し、晴れてお披露目の段となった。
 収蔵庫の改修に当たっては、クラウドファンディングを採用。日本文明の一大恩人前島密翁を称える会を筆頭とし、地元内外の篤志家が支援した。


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