「通信文化新報」特集記事詳細

 年/月

第6874

【主な記事】

東日本大震災から6年
地域の生活インフラ担う
ユニバーサルサービスを支える
福島県 いわき郵便局 原町郵便局

 国内観測史上最大となるマグニチュード9.0を記録した2011年3月11日の東日本大震災。死者・行方不明者は1万8400人超に達し、福島第一原子力発電所で発生した事故は、大規模な原子力災害を引き起こした。原発事故により、福島県内の12市町村が避難区域に指定されたが、南相馬市では昨年7月12日、居住制限区域と避難指示解除準備区域の避難指示が解除。町内全域が避難指示区域に指定された富岡町と浪江町もそれぞれ4月1日と3月31日から、帰還困難区域を除いた区域の避難指示が解除される見込みだ。多くの困難が残るなか、着実な復旧・復興を目指す3自治体。その生活インフラを担い、ユニバーサルサービスを支えるいわき郵便局(千葉均局長)と原町郵便局(小野寺政勝局長)を訪ねた。

安心のサービスで住民の拠り所に いわき局



 福島第一原子力発電所は東京都の北北東約2200キロ、福島県の太平洋岸のほぼ中央に位置する。敷地面積は約 350万平方メートル。1号機から4号機が大熊町に、5号機と6号機が双葉町に建つ。
 地震による大津波で、福島第一原子力発電所では基準水面に対し約15メートル、福島第二原子力発電所では約7メートル浸水した。運転中だった原子炉は緊急停止したものの施設が損壊。外部電力が絶たれ、炉心冷却は機能不全に陥り、炉心溶融が生じた。その後、1号機、3号機、4号機の建屋が相次いで爆発・破損。国際原子力事故評価尺度(INES)でレベル7とされる大事故となった。
 富岡町は大熊町の南側に隣接する。震度6強の揺れが観測され、15時22分頃、津波の第一波が到来。続いて21.1メートルの大津波が襲った。
 2011年3月12日、政府による「福島第一原子力発電所から半径20キロ圏内からの避難指示」を受け、近隣の川内村に避難。15日には半径20キロ以上30キロ圏内の住民に対し屋内退避の指示が出され、翌日、川内村(東は富岡町、南はいわき市、北は大熊町などに隣接)と共に郡山市(ビッグパレットふくしま)に避難した。
 4月22日には「警戒区域」(原則立入禁止)に指定されたが、2013年3月25日に見直しが行われ、「帰還困難区域」(放射線量が非常に高いレベルにあることから、バリケードなど物理的な防護措置を実施し、避難を求めている区域)と「居住制限区域」(住民が将来的に帰還し、コミュニティを再建することを目指して、除染を計画的に実施するとともに、基盤施設の復旧を目指す区域)、「避難指示解除準備区域」(復旧・復興のための支援策を迅速に実施し、住民が帰還できるための環境整備を目指す区域)の3区域に分けられた。
 千葉局長は当時、秋田中央局に勤務していた。震災の様子を「3月11日当日よりも、その後が大変だった」と聞く。配達担当者は自身が被災しながらも避難所を訪ね、ばらばらに避難する被災者の住所と名前を確認。利用者の大切な郵便物を1通でも多く届けようと、仮設住宅などでも同様の照会を行った。
 災害時に利用される「お客さま確認シート」の提出も呼びかけた。転居届と異なり、本人確認の証明と更新が不要。金融機関のキャッシュカードなど転送不可扱いの郵便物も配達できる。
 地震発生から6年が経過した現在も、「お客さま確認シート」に基づいて郵便物を転送している。転送・還付は1日平均約1100通にのぼり、毎日2人で処理する大変な作業だ。
 富岡町は昨年9月17日、「ふるさとへの帰還に向けた準備のための宿泊」として準備宿泊を開始。これに伴い、いわき局では郵便集配サービスの一部を再開した。
 利用できる郵便サービスは、手紙・はがきのほか、レターパック、ゆうパック、ゆうメール、EMSなど。郵便局の窓口に転居届を提出すると、自宅などで郵便物を受け取ることができる。郵便物の種類に関わらず、配達は1日1回、月曜日から土曜日まで。時間指定の受け取りはできない。
 町内で投函可能なポストは3か所。取り集めは月曜日から土曜日まで1日1回。ポストには取り集め頻度が掲示される。
 現在、転居届が提出されているのは14世帯(32人)で、事業所は61。いわき局から富岡町までは約40キロの距離があり、郵便車で約1時間20分ほどかかる。道路工事や片側通行などの制限に加え、復興事業関連の工事車両も多く、渋滞が発生しやすい。
 いまだ多くの困難を伴うが、配達先で温かい声をかけられることも多い。利用者の笑顔を見ると、苦労が報われる。「商店などもすべて営業を再開していないため、事業所にゆうパックを届けた際など本当に感謝される」。
 震災前に富岡町の配達を担当していた社員が現在いわき局で働いており、富岡町の配達を担当。「避難先から戻られた住民の方にとって、震災前と同じ社員が配達に来てくれると安心感も戻る。郵便サービスを安心してご利用頂いて、拠りどころの一助になりたい」。
 「帰還困難区域」の住民宛の郵便物は「お客さま確認シート」に基づいて避難先などに転送される。「お客さま確認シート」が未提出の場合は差出人に戻される。
 いわき局は浪江町や大熊町、双葉町宛の郵便物の転送・還付も取り扱っている。千葉局長は浪江局長を兼務しており、浪江局の総務関係の事務処理のほか切手の払い出しなども行っている。
 富岡町役場は現在、郡山事務所として行政機能を郡山市に移しているが、今月下旬には町内にすべて戻る予定。いわき市内には支所があり、「局前のポストの除染など、避難指示解除に向けて今後も連携していきたい」。
 いわき局では、地域貢献としてさまざまな取り組みを行っている。昨年8月、夏の一大イベントである「第35回いわきおどり」に10年ぶりに参加した。
 市内の部会内局とゆうちょ銀行と合同で、揃いのポロシャツを用意。「いわき市内郵便局・ゆうちょ銀行」というプラカードを掲げて、祭りを盛り上げた。
 いわき市ならではのフレーム切手「第5回フラガールズ甲子園」も取り扱う。毎年8月に市内で開かれる高校生の全国フラ競技大会を題材にしたもので、「フラガールのふるさと」であるいわき市を全国にPR。発売セレモニーでは、部活動でフラダンスに取り組む市内の高校生が練習の成果を披露した。
 一昨年には、いわき市公認のご当地アイドル「アイくるガールズ」のフレーム切手も販売した。「アイくるガールズ」は発売セレモニーにも登場し、会場を大いに沸かせた。
 いわき市では昨年、市制50周年を記念して、ミニバイクのご当地ナンバープレートを製作。デザイン案には100件にのぼる応募があり、千葉局長ら選考委員が審査した。フラガールとハイビスカスがあしらわれ、虹と海がデザインされた作品が最優秀賞に選ばれた。
 市内の郵便局もPRに貢献しようとバイク全車に装備(90ccは薄黄色、110ccは薄桃色、50ccは白色)。いわき局構内で交付・出発式が開かれ、千葉局長をはじめ、清水敏男市長らが出席した。

復興に貢献、期待に応える(千葉均局長)
 富岡町では、町内の環境整備をより前に進める努力をしています。郵便局としても、住民の皆さんの大切な生活インフラの一つとして、町の復興に役立ちたいと強く思っております。
 いわき市の自慢は美味しい海の幸ですが、漁師さんたちもまだ本格操業までは至っていません。どんどん魚が水揚げされれば、もっと活気づくと思います。いわき局ではエリアの郵便局と合同で、ふるさと小包として生さんまを取り扱っています。もう20年以上取り組んでおりますが、今年も「いわき市と言ったら海の幸!」というイメージの継続に向け、PRに努めたいと思います。
 「やっぱり郵便局があって良かった」。お客さまにそうおっしゃって頂けるよう、地域の期待に応えて頑張ってまいります。

■山海の自然に恵まれる(富岡町)
 浜通り地方の中央に位置し、北は大熊町、西は川内村、南は楢葉町に隣接。阿武隈山地と太平洋の間に広がり、面積は68.47平方キロ。
 富岡川や阿武隈山地を流れる滝川渓谷、落葉広葉樹を中心とした自然林が広がる大倉山、磯釣りのメッカとして知られる仏浜など山海の自然が豊富。
 年間降水量1196ミリメートル、年平均気温12.2度と1年を通じて温暖な町。夏の夜空をこがす「麓山の火祭り」は約400年の伝統を持つ。暗闇に包まれる麓山神社の境内や山の風景が、松明によって照らし出される姿は多くの人々を魅了する。
 震災当時の住民登録人口は1万5960人。現在の避難者数は1万4999人で、県内が1万750人、県外が4249人(1月1日現在)。

感謝に応え、変わらぬサービスを 原町郵便局




 2011年3月11日、南相馬市では震度5強から震度6弱の揺れを観測。津波が市沿岸に到達したのは15時35分頃。最大波は9.3メートル以上にのぼった。
 15日、半径20キロ以上30キロ圏内の住民に対し屋内退避の指示が出され、住民による自主避難と、バスで市内の避難所から市外に住民の集団避難の誘導が実施された。
 4月22日、屋内退避が解除。政府は福島第一原子力発電所から20キロ圏内の小高区と原町区の南側一部(約107平方キロ)を「警戒区域」に、30キロ圏内の原町区の一部と鹿島区の一部(約181平方キロ)を「計画的避難区域」(事故発生から1年の期間内に積算線量が20ミリシーベルトに達するおそれのある区域)と「緊急時避難準備区域」(常に緊急時に屋内退避や避難が可能な準備が求められる区域)に指定。2015年8月31日からの準備宿泊を経て、昨年7月12日、居住制限区域と避難指示解除準備区域の避難指示を解除した。
 準備宿泊での配達は1日1回。時間指定の受け取りや当日の再配達などは対応できなかったが、7月の避難指示解除後は、帰還困難区域を除く地域で、震災以前と同様の郵便集配サービスを提供している。小野寺局長は「社員の懸命な頑張りと本社・支社からの大きなバックアップもあり、解除翌日から滞りなくサービスを提供できるように準備を進めた」と語る。
 震災前(2010年5月)の原町局の配達業務担当者数は79人で、現在は72人(2017年2月)。2人減だが、「6年をかけて徐々に要員の確保が出来てきた」と総務部の坂本政浩部長。震災当時は35人ほどが退職や避難などで原町局を離れたが、身につけたスキルを活かし、避難先の郵便局で働くケースもあったという。1日平均の郵便物数は市役所からのお知らせや定期的な健康調査などの利用により、震災前の約1万8000通から約2万5000通に増加している。
 震災当日、小野寺局長は日本郵便東北支社で、坂本部長は原町局内で働いていた。原町局では「まず窓口のお客さまを局外に誘導した後、社員を局外へ避難させた。局舎は倒れずに持ちこたえたが、暖房の火気点検・局内の水漏れなどがあり、揺れが収まらないなかでの対応に苦慮した。配達担当者数名の携帯はつながらず心配だった」と坂本部長。配達途中、郵便車ごと津波に襲われた社員が1人おり、「民家にぶつかったところを住民の方に助けて頂き、ずぶ濡れになり、帰局できたのは20時30分過ぎだった」。福島第一原子力発電所に近い小高区や沿岸部に住む社員は帰宅することができず、郵便局で寝袋を使い一夜を過ごしたという。
 3月下旬から4月上旬にかけて、社員数名が局内に保管していた未配達の郵便物などを郡山南局に移した。この頃から「お客さま確認シート」の配布・周知も開始。4月6日からは44人で、郡山南局と郡山局で仕事を再開した。郡山南局では通常郵便物を、郡山局では書留の仕分けを行った。常磐線の浪江駅のほど近くにある浪江局も郡山局で書留を、内郷局で通常郵便物の仕分けを行った。
 同日から窓口交付も行われ、25日には福島第一原子力発電所から半径20キロ圏外で配達を再開。放射線量測定器を配備し、社屋の線量を毎日測って掲示した。
 ガソリンの確保も難しく、「市役所に掛け合って、緊急車両という位置づけで分けていただいた。自衛隊から借りたドラム缶に一度ガソリンを入れてからバイク1台1台に給油した」。食べるものも非常に少なかったが、社員の昼食として「電気が通っていたので、米を炊き、支援物資のレトルトのカレーをかけて食べた。美味しかった。本当に有り難かった」。
 現在も、配達が大変な地域が多く残る。「避難指示が解除された直後はメイン通りを含めて、夜は灯りがなく真っ暗。店舗も少しずつ営業を再開しているが、山手での夜間の再配達の場合、今も懐中電灯を頼りに配達する」と小野寺局長。
 道路状況も決して安全ではない。「福島第一原子力発電所に向かうトラックが相当数通る。道路の細かな損傷により、パンクもしやすい」。
過酷な現実と向き合う郵便局員を支えるのは、利用者が寄せる感謝の言葉。昨年7月、帰還困難区域を除く地域で、フルサービスの提供を開始してからの夜間再配達のとき、「街灯もないところ、お客さまがご不在だったので、担当者が再配達に伺ったら、涙を流して喜んで下さった。解除と同時に再配達が再開されたことへの驚きと、震災前と同じように本当に配達してくれたという喜び。郵便が普通に配達されることの有難さを実感して下さった」。配達を担当した社員もとても喜んだ。「郵便車が見えなくなるまで見送って頂いたことなどは、とても励みになっている」と坂本部長。
 原町局内には、小高局の集配部門が置かれている。小高局は現在窓口業務を再開しているが、福島第一原子力発電所から半径20キロ圏内に位置していたため、原町局に集配部門を移した。現在の配達業務担当者数は震災前(2010年5月)より2人減の11人。郵便物数は約2900通減の約1800通(うち還付が約1300通)。
 南相馬市が隣接する浪江町でも昨年11月1日から準備宿泊がスタート。小高局の集配部門が浪江町内の52か所ほどに配達しているが、「個人宅への配達業務開始の段階で浪江町の居住制限区域に精通している社員は一人も居らず、地図を頼りに配達した」と小野寺局長。
 浪江町から福島第一原子力発電所までの距離は、最も近いところで約4キロにあり、現在も町内の大半が「帰還困難区域」に指定されている。遠回りして配達したり、サルやイノシシといった動物に遭遇する危険もある。「家屋などが震災当時のまま、まったく手つかずの状態で残っていたり、倒れ掛かっている建物もある。心が折れてしまいそうになる風景のなかを挫けず配達する。本当に頭が下がる思い」。
 福島県では今春、複数の自治体で居住制限区域と避難指示解除準備区域の避難指示が解除される予定だが、復興・再生には中・長期的対応が求められる。小野寺局長は「郵便局はとても重要な生活インフラ。地域の復興状況に合わせて、しっかり対応していきたい」と強調する。
 南相馬市では毎年7月の最終土・日・月曜日に、伝統の祭り「相馬野馬追」が行われる。甲冑に身を固めた500余騎の騎馬武者が疾走する姿は豪華絢爛。フレーム切手「相馬野馬追」も昨年6月から販売。地域の着実な復興を祈念して、発売記念の贈呈式も開かれ、小野寺局長から桜井勝延市長へ贈呈を行った。
 原町局では「相馬野馬追」への出店をはじめ、毎月のボランティア清掃など、多様な取り組みを通じて地域との連携を深めている。

正確・迅速・確実という使命(小野寺政勝局長)
 家族と離れての暮らしや自宅の再建など、大変な家庭事情を抱える社員もおりますが、被災地で働く郵便局員として、地域のためにという使命感にあふれています。帰還された住民の皆さまは、高齢の方の割合が多く、若い世代の帰還は少ない状況にあり、社員の配達を心待ちにしていらっしゃいます。「地域を支えたい、元気にしたい、安心の拠り所でありたい」という強い想いを持って、日々の業務にあたっている自慢の社員です。
 地域の復興・発展のために、まずはしっかりと住民の方が生活基盤を復活させることができるよう、少しでも役に立ちたいという気持ちでがんばっております。
 郵便業務は、ほかの地域とつながって行う仕事です。この仕事が滞るようなことがあってはいけません。
 郵便の基本である正確・迅速・確実を胸に、ネットワークの一端をしっかり担っていきたいと思います。

■勇壮な「相馬野馬追」(南相馬市)
 浜通り地方の北部で太平洋に面し、面積は約398.5平方キロ。いわき市と宮城県仙台市のほぼ中間に位置し、市域西部は阿武隈の山すそに、東部は太平洋に面して平野が広がる。
 夏季は涼しく、冬季も比較的暖かい。降雪量が少なく、1年を通じて晴天が続く。4月から7月にかけて親潮の影響による「やませ」が吹くことも。勇壮な「相馬野馬追」には全国から観光客が訪れる。
 市内居住は2月23日現在、小高区(帰還困難区域、旧居住制限区域、旧避難指示解除準備区域)が震災当時より1万1644人減の1198人。鹿島区が602人増の1万2205人。原町区(一部旧居住制限区域、一部旧避難指示解除準備区域)が3972人減の4万3144人。他市町村からの避難者は市全体で2772人。

[東日本大震災の概要]
 2011年3月11日14時46分発生。国内観測史上最大となるマグニチュード9.0を記録した海溝型地震。震度6弱以上は8県(宮城、福島、茨城、栃木、岩手、群馬、埼玉、千葉)にのぼる。
 各地で大津波が観測され、最大波は相馬(福島)で9.3メートル以上、宮古(岩手)で8.5メートル以上、大船渡(岩手)で8.0メートル以上。沿岸部では甚大な被害が発生し、多数の地区が壊滅した。
 死者1万5893人、行方不明者2556人、住家全壊12万1739戸(2016年12月9日現在)。10都県の241市区町村に災害救助法が適用された(長野県北部を震源とする地震で適用された4市町村〔2県〕を含む)。
 現在、配達困難地域となっている市町村は大熊町と双葉町全域、浪江町の一部、その他各市町村の「帰還困難区域」。
 原発避難指示区域内で窓口が休止中の郵便局は19局。うち直営局は14 局で浪江局、津島局、富岡局、大熊局、飯館局、飯曾局、双葉局、熊町局、幾世橋局、大堀局、苅野局、夜ノ森局、山木屋局、請戸局。簡易局は5局で夫沢簡易局、野上簡易局、大柿簡易局、大倉簡易局、小宮簡易局。


>戻る

ページTOPへ