「通信文化新報」特集記事詳細

 年/月

第6785号

【主な記事】

春夏秋冬 簡易局のある風景⓲
風情ある旧東海道と懐かしい
公衆電話BOXが残る
坂下簡易郵便局(三重県)
福島長幹局長


 坂下簡易郵便局は現局長の福島長幹氏が受託者となり、昭和60年7月1日にオープンした。前身は坂下郵便局(無集配特定局)。祖父が初代局長となり開局、父は2代目を務め、血縁関係はないが3代目の時、過疎化による取扱数減少で廃局となり、自営局舎だったことでそのまま利用した。
 近隣の集配局長から「簡易局を引き受けて欲しい」と頼まれ、妻の直子さんと相談し坂下局退職者にも代行者になってもらい3人体制で出発。それから30年、業務は「妻と2人で行ってきた」と福島局長。
 亀山市は三重県中北部にあり面積が約190平方キロ、人口約5万。市の木は杉、花はハナショウブ。江戸時代には伊勢亀山藩の城下町、東海道で鈴鹿峠越えを控えた亀山宿の宿場町として栄えた。
 蝋燭生産が盛んでカメヤマローソクは有名。シャープ亀山工場があり“世界の亀山”ブランドの液晶テレビは人気を博した。手前の関宿は、東海道で唯一「伝統的建造物群保存地区」に指定され、静かな山間の観光を兼ね鈴鹿峠まで旧東海道をハイキングする人が増えている。
 坂下簡易局へ行くにはJR関西本線・関駅で下車、コミュニティバスに乗り換え沓掛バス停から徒歩3分。坂下地区は三重・滋賀県境にあり、江戸時代には東海道五十三次「阪の下宿」(日本橋から48番目)があった。
 現在の局舎は父親が東京五輪開催の翌昭和40年に竣工、今年で半世紀となる。青色の陶器瓦屋根だったが、10年前に光沢あるグレーの和瓦に葺き替えた。旧特定局をそのまま使っており、電話交換(自動化が遅く50年頃まで交換作業で対応)の部屋(後に改修)や懐かしい公衆電話BOXが残っていて年配の利用者に喜ばれる。マニアから風景日付印を作って欲しいと頼まれ、平成9年1月6日に配備、今でも風景印の押印依頼は多くある。
 祖父と父が特定局長だった関係で、福島局長にとり郵政事業は子どもの頃から身近な存在。我が子は郵政の仕事に就かなかったが、従兄弟の子ども(祖父の曾孫)が「日本郵便に採用され、郵政事業との不思議な縁を感じる」と話す。
 地域では、戦没者慰霊祭や小・中学校運動会への出席、坂下地区の公民館活動の運営審議委員となり館長も務めた。過疎・高齢化が進む地域なので年配の利用者が多く「玄関の鍵が開かないので来て、申請書類が分からないから教えてなどと頼まれる」。できることは親身に対応している。
 郵政グループ3社の同時上場が今秋以降に予定されるが、支社には「今まで通り過疎地に合った対応を」と望む。
 今後の抱負を「CTM-6の運用が間近に迫り事務のOA化についていけるか心配だが、若い人たちに負けないよう頑張っていきたい」、三重県簡連副会長として「県簡連のため後継者の育成・指導に心がけていきたい」と意欲を示す。
 福島局長のモットーは「何事も誠実に」、趣味は郷土史研究。公民館長を務め郷土史を調べるうち歴史全般に興味を持つ。「NPO歴史の道 東海道宿駅会議 第19回東海道シンポジウム 阪の下宿大会」(平成18年)では実行委員長も務めた。
 地域のために福島局長は「これといった実績もないが簡易局を30年間運営してきた。年齢では祖父の退職時より年長、期間も父より長く郵政事業に関らせてもらった。引き受けた時の思いとは全く違った結果に驚いている」と感想。局長の実直な人柄が自然と伝わってきた。


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